青森県六ヶ所村の使用済み核燃料再処理施設に反対する行動として、1986年から始まった六カ所ピースサイクル行動。全国各地を自転車で回りながら核燃サイクル反対を訴える行動も今年で36年目に入った。
当ブログ管理人に、行動主催者からメッセージの依頼が来るようになったのは、福島原発事故が起きて以降だ。福島県で被災したという事情もあり、以降、毎年、六ヶ所ピースメッセージとして思いを伝えてきた。今年、当ブログ管理人が寄せたメッセージをご紹介する。
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六ヶ所ピースメッセージ
六ヶ所村村長 戸田 衛 様
青森県知事 三村 申吾 様
日本原燃株式会社 社長 増田 尚宏 様
福島第1原発事故から10年が経過しました。放射能汚染、賠償、除染、避難者への住宅提供など事故に伴って発生した問題は解決に向かわないばかりか、被害者救済はスタートラインに立ってさえいません。こうした状況の下で、事故10年を「区切り」として幕引きに利用しようとする双葉町への「伝承館」建設などの動きに強い怒りを覚えます。膨大な数の農業者が生業を、被害者がふるさとや生活を取り戻せずにいる中で「区切り」「幕引き」などできるでしょうか。
福島原発の廃炉や汚染水問題と並び、今後重要となるのが六ヶ所村に積み上げられた膨大な使用済み核燃料や高レベル放射性廃棄物(核のごみ)の行方です。北海道寿都町では、無投票当選を続けてきた町長が住民の意見も聞かないまま「肌感覚」で最終処分場への応募を表明し、北海道が勝手に核のごみ捨て場にされようとしています。核のごみを、原発で恩恵を受けた立地地域から他の場所に、地元住民の同意もなく持ち込むことは民主主義にも日本学術会議の提言にも反しており、受け入れられません。
私は、福島第1原発事故当時、福島県西郷村で事故を体験した者のひとりとして、関係者が直ちにこの無責任で未来のない電力政策を変え、原子力推進から撤退へと勇気ある決断を下されること、使用済み核燃料や高レベル放射性廃棄物に対しては事業者と自治体のみで決めるのではなく、広く国民全体での議論を尽くした上で決めることを求めます。
当ブログ管理人に、行動主催者からメッセージの依頼が来るようになったのは、福島原発事故が起きて以降だ。福島県で被災したという事情もあり、以降、毎年、六ヶ所ピースメッセージとして思いを伝えてきた。今年、当ブログ管理人が寄せたメッセージをご紹介する。
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六ヶ所ピースメッセージ
六ヶ所村村長 戸田 衛 様
青森県知事 三村 申吾 様
日本原燃株式会社 社長 増田 尚宏 様
福島第1原発事故から10年が経過しました。放射能汚染、賠償、除染、避難者への住宅提供など事故に伴って発生した問題は解決に向かわないばかりか、被害者救済はスタートラインに立ってさえいません。こうした状況の下で、事故10年を「区切り」として幕引きに利用しようとする双葉町への「伝承館」建設などの動きに強い怒りを覚えます。膨大な数の農業者が生業を、被害者がふるさとや生活を取り戻せずにいる中で「区切り」「幕引き」などできるでしょうか。
福島原発の廃炉や汚染水問題と並び、今後重要となるのが六ヶ所村に積み上げられた膨大な使用済み核燃料や高レベル放射性廃棄物(核のごみ)の行方です。北海道寿都町では、無投票当選を続けてきた町長が住民の意見も聞かないまま「肌感覚」で最終処分場への応募を表明し、北海道が勝手に核のごみ捨て場にされようとしています。核のごみを、原発で恩恵を受けた立地地域から他の場所に、地元住民の同意もなく持ち込むことは民主主義にも日本学術会議の提言にも反しており、受け入れられません。
私は、福島第1原発事故当時、福島県西郷村で事故を体験した者のひとりとして、関係者が直ちにこの無責任で未来のない電力政策を変え、原子力推進から撤退へと勇気ある決断を下されること、使用済み核燃料や高レベル放射性廃棄物に対しては事業者と自治体のみで決めるのではなく、広く国民全体での議論を尽くした上で決めることを求めます。