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【金曜恒例】反原発北海道庁前行動(通算320回目)でのスピーチ/最近の保養をめぐる実情

2018-12-21 21:53:46 | 原発問題/一般
 皆さんお疲れさまです。

 先週は「福島の子どもたちを守る会」のクリスマスパーティーに行ってきました。約30人程度が集まり、保養との関わりについて思いを述べました。2018年最後の道庁前行動は、話題に上ることが少ない保養について述べたいと思います。

 福島で、放射能の影響をできるだけ減らすため、保養の考え方が出てきたのは2011年の秋頃でした。多くの福島県民にとって、避難が当面無理でも、夏休みなどの長期休暇の間、せめて子どもたちだけでも放射能汚染のない地域に滞在させようとの考え方です。

 チェルノブイリ原発事故で最も汚染が深刻だったベラルーシでは、非汚染地域にあるサナトリウム(療養所)に滞在できる無料クーポンが政府から支給され、多くの子どもたちが保養に出ました。サナトリウムでは汚染されていない安全な食事が提供されます。保養開始前と終了後に内部被曝検査をすると、ほとんどの子どもたちは保養終了後の内部被曝が半分以下だったとの報告があります。日本でも、政府にこのような保養政策を行わせる必要がありますが、今の非人道的な安倍政権には望むべくもありません。

 保養には親が同伴するケースもあります。2012年夏、沖縄での保養に同伴したある母親は、現地(沖縄)の同じ学年の子どもと比べ、福島の子どもたちの体格が劣ることに気づき衝撃を受けたといいます。当時、福島では放射能汚染を警戒して屋外活動が一部制限されており、運動が十分でないため子どもたちの成長が遅れていたのです。

 保養先で体調を崩す子もいます。多くの子は体調不良が発覚すれば福島に帰されると考え、黙って耐えていることも多いといいます。「なんで子どもがこんな目に遭わなければならないのか」と涙声で電話してきた母親もいました。福島に住むことは身体に良くないと子どもたちも知っています。

 今では保養受け入れ団体は北海道から沖縄まで各地に及び、希望すればどこかが受け入れてくれる状況になりましたが、問題もあります。保養に出るのはいつも同じ人で、福島の子ども全体の1%にすぎないとの話もあります。事故当時は福島県民に保養の情報が十分伝わらず、福島より首都圏からの保養希望者のほうが多かったケースもあります。保養すら許さないムラ社会の雰囲気が福島にはあります。情報提供は今も大きな課題です。

 保養を重ねることで受け入れ先との信頼関係や生活基盤を作り上げ、移住につなげることが本来の姿です。その意味で、保養のたびに行き先を変えることは得策ではありません。毎回同じ保養先で受け入れてもらうことで現地に溶け込み、サポートも得られやすくなります。そこから実際、移住につながったケースも多くあると聞いています。

 最近は、次第に保養を取り巻く状況も変化しつつあります。確かに保養には劇的な効果があり、やらないよりはやった方がいいことはもちろんですが、事故から早くも7年9ヶ月が経つ中で、移住につながらない一時的な保養を繰り返すことの意味を問い直す局面に来ています。例えば、1年のうち2ヶ月程度保養に出るとしても全体から見れば6分の1の期間に過ぎません。7年9ヶ月のうち6分の1の期間、保養に出ても、放射能の影響を逃れて生活できる期間は1年3ヶ月程度に過ぎず、残りの6年6ヶ月は低線量被曝をしながら暮らしていることになります。この状況をいつまでも続けるよりは、どこかのタイミングで移住したほうがいいと私は考えます。事故直後は非常に空間線量も高く、食品なども今よりずっと汚染されていたため、短期間でも福島から離れることに大きな意味がありました。しかし今は当時に比べれば空間線量は6割程度、全量検査が行われている福島産のコメからは基準値を超え、出荷停止となるものはほとんど出ていないのが実情です。もちろんそれは安全宣言をすることとは別問題であり、いま福島に住んでいない人たちがあえて福島に移り住むことを私はお勧めしません。福島は安全になったと主張する人たちも大勢いますが、何らかの形で国や原子力産業とつながり、そこからお金をもらっている人たちばかりです。そんな人の言うことに惑わされ、自分の健康を犠牲にしてはなりません。

 今年5月、避難者団体の集会に参加したときにも、移住を考えているのですが、7年以上経った今頃移住することに意味があるのですかと尋ねられました。福島からの移住を考える人は以前ほど多くありませんが、耳を澄ませばまだそうした声は聞こえてきます。私は「被曝の影響は累積線量に応じて出てくるので、福島からの移住は遅くなってもしないよりはいいと思いますよ」と答えました。移住先で生活が成り立つか、仕事や適切な住宅があるか、周囲からのサポートが受けられそうかなど、移住に当たっては健康以外の要素も含めて総合的に判断しなければなりません。しかし、どの地域も少子高齢化に悩んでいるのは同じであり、特に子ども連れで移住する家族に対しては各自治体が奪い合いの状況になっています。一方で、手厚い優遇策をするといいながら口先だけでほったらかし、フォローも何もない自治体もあります。

 保養の話をしていたら、最後は移住の話になってしまいました。保養は移住の前段階であり、移住につなげるために行うのがあるべき姿と思っています。ここ北海道でも、札幌はじめ、地方でも日高町などあちこちで行われています。私たちにとって大事なことは、この保養の火を絶やさないことだと思います。できる限りの支援をしていきたいと思います。

 さて、2018年の道庁前行動も今日で終わりです。高橋はるみ知事が不出馬を表明しました。次は泊原発をなくすと表明できる知事を選ばなくてはなりません。候補者の名前は毎日変わり、まだ定まっていないようですが、来年は泊原発廃炉をめざす私たちにとっても転機の年になるような気がします。来年こそ廃炉の年にしましょう。

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