人生チャレンジ20000km~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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国は今こそ貨物列車迂回対策を!

くま川鉄道を完乗~ついに転換三セクの完乗成る

2012-12-14 22:14:19 | 鉄道・公共交通/趣味の話題
6日間にわたった長い九州出張も今日が最終日。仕事のスケジュールを前倒しで進めた結果、昨日までに終わってしまい(しかも、出張用務に入っていない、やらなくてもいい仕事までやった上で)今日はやることがなくなってしまった。本当は早く帰りたいが、帰りの飛行機が職場から支給された「特割」(要するに変更不可)の便で、早い便に変えることもできない…

せっかく熊本まで来たので、未乗区間になっている第三セクター・くま川鉄道に乗ってみようかという考えが浮かんだのは昨夜のこと。夕食を早々に済ませ、ホテルに戻って時刻を調べると、朝8時にホテルを出れば、ダイヤ上も無理なく行けることがわかったからである。このところのJR在来線はちょっとした雨や風、「人身事故」で遅れることがよくある。遅れた場合は無理せず引き返そうと思ったが、一方で、何かあってもそのまま週末なので、なんとかなるという安心感もあった。

ホテルで朝6時に起床。温泉大浴場で一風呂浴びた後、朝7時過ぎに朝食を済ませ、身支度をする。8時前にホテルをチェックアウトし鹿児島本線で出発。8:28、熊本着。8:31、「くまがわ1号」で熊本発。九州新幹線の高架を見ながら八代まで鹿児島本線を下った後、肥薩線に入る。


拡大写真

「くまがわ1号」に使用されているキハ185系(上の写真)は、瀬戸大橋線の開通をにらみ、国鉄末期の1986年、四国に特急用として投入された車両だ。民営化後のJR四国の象徴的存在となったが、曲線が多い四国の路線条件のため所期の性能を発揮できなかった。そのため、振り子機構を備えた後継車種・2000系が実用化されるとキハ185系は余剰となった。一方、JR九州では気動車の老朽化が深刻化しており、キハ58・65系列気動車の置き換え車両の登場が待たれる状況にあった。こうして両社の利害が一致した結果、キハ185系は四国から九州に売却されることになり、1992年に九州入りした。

国鉄時代は、車両の広域配転は珍しいことではなく、首都圏の通勤電車が関西に転属したり、東北・北陸・九州の交流区間同士での広域配転もしばしば行われていたが、JR化後はこのような会社間の車両の移動は珍しい。

「くまがわ1号」は、その名の由来にもなった清流、球磨川に寄り添いながら肥薩線を走る。川幅は次第に狭くなり、下流から上流に入ってきた。10:00、人吉着。

くま川鉄道・人吉温泉駅まで歩き、10:20、人吉温泉発。いよいよくま川鉄道だ。この鉄道は、国鉄再建法に基づき第3次特定地方交通線に指定された湯前線を転換して発足した鉄道だ。転換は1989年と遅く、このため国鉄からではなくJRからの転換となった。

人吉市の市街地はすぐに途切れ、田園地帯に入る。あさぎり駅は唯一の交換駅。タブレット交換が行われる(厳密に言えば、人吉温泉~あさぎり間がタブレット閉塞、あさぎり~湯前間はスタフ閉塞)。非自動閉塞方式も九州で今やここだけになった。

あさぎりを出た後も列車は淡々と進む。11:05、定刻通りレールバスは終点・湯前に到着した。

【完乗達成】くま川鉄道

この結果、当ブログ管理人は旧国鉄特定地方交通線転換第三セクター鉄道の全線完乗(乗らないうちに廃止となった北海道ちほく高原鉄道を除く)を達成した。89年の完乗開始から23年での達成はかなり遅い方であろう。

国鉄がJRとなってはや25年、特定地方交通線の転換が終わってから数えても22年が経過した。特定地方交通線転換第三セクターといってもどの鉄道のことかわからない新しい読者もいるかもしれないので、ここで対象全路線を挙げておく。鉄道名の後の〔 〕内は国鉄時代の路線名である。

北海道ちほく高原鉄道〔池北線〕(2006.4.21廃止、未乗車)
三陸鉄道〔久慈線・宮古線・盛線〕(現在、東日本大震災で一部区間運休)
秋田内陸縦貫鉄道〔阿仁合線・角館線〕
由利高原鉄道〔矢島線〕
阿武隈急行〔丸森線〕
山形鉄道〔長井線〕
会津鉄道〔会津線〕
真岡鉄道〔真岡線〕
わたらせ渓谷鉄道〔足尾線〕
いすみ鉄道〔木原線〕
天竜浜名湖鉄道〔二俣線〕
神岡鉄道〔神岡線〕(2006.12.1廃止)
樽見鉄道〔樽見線〕
長良川鉄道〔越美南線〕
明知鉄道〔明知線〕
愛知環状鉄道〔岡多線〕
伊勢鉄道〔伊勢線〕
のと鉄道〔能登線〕(2005.4.1廃止)
信楽高原鉄道〔信楽線〕
北近畿タンゴ鉄道〔宮津線〕
北条鉄道〔北条線〕
三木鉄道〔三木線〕(2008.4.1廃止)
若桜鉄道〔若桜線〕
錦川鉄道〔岩日線〕
土佐くろしお鉄道〔中村線〕
平成筑豊鉄道〔伊田線・糸田線・田川線〕
甘木鉄道〔甘木線〕
松浦鉄道〔松浦線〕
南阿蘇鉄道〔高森線〕
くま川鉄道〔湯前線〕
高千穂鉄道〔高千穂線〕(2005.9.6災害で休止~その後廃止)

以上が転換三セクの一覧である。このうち、乗車前に廃止になってしまったのは北海道ちほく高原鉄道のみ。ここを乗車していれば本当の完全乗車になるところだっただけに、廃止前に乗れなかったことが悔やまれる。

この際、ついでなので、転換線のほか、国鉄再建法成立に伴う工事凍結区間で、三セクが工事を再開させ開業した路線を示しておこう。これらの路線は、あと数年工事が早ければ、上記の転換三セク鉄道に入るはずだった路線である。これらの路線も、当ブログ管理人はすでに全線完乗している。

秋田内陸縦貫鉄道〔鷹角線(比立内~松葉間)〕
野岩鉄道〔野岩線〕
北越急行〔北越北線〕
鹿島臨海鉄道〔鹿島線〕
北近畿タンゴ鉄道〔宮福線〕
智頭急行〔智頭線〕
井原鉄道〔井原線〕
阿佐海岸鉄道〔阿佐東線〕
土佐くろしお鉄道〔阿佐西線、宿毛線(中村~宿毛間)〕

この他、異色の路線として以下の2線を加えておく。

東海交通事業〔瀬戸線〕
名古屋臨海高速鉄道〔西名古屋港線〕

この2線を旧国鉄の転換線に加えることには異論のある方もいるかもしれないが、東海交通事業は旧国鉄時代、貨物線として建設計画があったが凍結となっている。また名古屋臨海高速鉄道は、旧国鉄の貨物線・西名古屋港線をいったん廃止後に転換したものである。この路線も、当ブログ管理人は乗車済みである。

最後に、第三セクター鉄道会社が設立されず、地元私鉄の路線として転換した特定地方交通線を挙げる。これらの路線は未乗車であり、今から考えると惜しいと思う。

弘南鉄道〔黒石線〕(1998.4.1廃止)
下北交通〔大畑線〕(2001.4.1廃止)

こうしてみると、私鉄が国鉄特定地方交通線を引き取ったのはいずれも青森県である。青森県には当時、第三セクター鉄道を作れないような特殊事情でもあったのだろうか。

なお、いずれ機会を見て、「印象に残った第三セクター鉄道トップ5」の発表をしたいと思う。実施する際はあらかじめお知らせしたい。

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