上司への安全報告 「しにくい」増加 JR西労組調査(神戸新聞)
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JR西日本の最大労組「西日本旅客鉄道労働組合(JR西労組)」は23日、尼崎脱線事故を教訓に同社が導入した「リスクアセスメント制度」についての職場アンケートの結果を発表した。安全にかかわるエラーや、気がかりな事象の上司への報告が、運転士や車掌が所属する乗務員部門では「しにくい」と答える職場が増え、改善が進まない現状が浮かび上がった。
同制度は2008年度から始まり、報告されたエラーなどの危険度を数値で見積もり、改善策を講じる。アンケートは1~3月に実施し、285職場から回答を得た。
それによると、報告を「しやすい」とした職場は48・8%で前年より4・2ポイント増えた。一方、管理職との信頼関係などが原因で「しにくい場合がある」「しにくい」と答えた職場も計29・5%と3・1ポイント増えた。
特に乗務員部門は、報告しにくい傾向の職場が4・6ポイント増え、計45・0%に上った。逆に「しやすい」は3・1ポイント減の25・0%にとどまった。
改善が進まない理由を、同労組は「制度の理解の促進に問題がある」と指摘。改善事例を積み上げ、情報を共有化することなどを提案している。
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この調査は、ここ数年、毎年JR西労組が行っているようだが、時間の経過とともに報告「しやすい」が増えているのはいいとしても、「しにくい」も増えているとはどういうことなのか。
当ブログは、
昨年2月の記事では、硬直したJR西日本の姿勢を批判した。もちろん、その後も尼崎事故調査報告書の漏えい問題を引き起こすなど、JR西日本の姿勢は相変わらずである。しかし、この問題に関しては労働組合側の問題点も指摘しなければならないように思う。そこで、今年は視点を変え、労働組合側の問題点を取り上げる。
JR西労組がこうした調査を行うこと自体を無意味だと否定するつもりはない。調査はどんどんすればいいし、問題点が会社にあるなら要求して改善させるのも労働組合の重要な仕事のひとつである。
もちろん、労働組合としてはそれだけでなく、もっと内部ではいろいろな意見が出ているであろうし、マスコミが一部だけを取り上げ、もっと本質的で重要な指摘をしているのに取り上げてくれないということもあるのかもしれない。しかし、安全上の問題点を社員が会社に指摘しにくいことの原因を「制度の理解の促進に問題がある」という形に集約するのはいかがなものか。
JR西日本は、昨日今日「リスクアセスメント」を始めたわけではなく、少なくとも1年はこの制度の社内周知に努めているはずである。それに、会社の周知体制がどうであれ、社員は安全について勉強しようと思えば、リスクアセスメントに限らず、いくらでも意欲的に取り組むことができる。疑問点があればどんどん聞く、調べるなどできるはずだ。それにもかかわらず、報告「しにくい」が増加するというのは、結局のところ、社員、組合員の意識の低さと「指示待ち態勢」にも原因があるのではないか。JR西日本社員、なかんずくJR西労組組合員は、自分から聞くことも調べることもせず、会社から何かが下りてくるのを待っていて、「下ろし方が悪いから理解できない、浸透しない」と文句を言っているだけなのだ。
厳しい言い方になるが、106名のお客様を死なせてしまった企業の社員は、もっと安全に対して貪欲になるべきだし、鉄道マンとして誇りを持つべきである。そして労働組合も、こんな調査にかけるエネルギーがあるなら、それを鉄道マンとしての誇りを持たせる組合員教育にもっと振り向けるべきだと思う。大上段に構えた、時代がかった言い方をするなら、「労働者教育」にもっと力を入れなければならない。労働者教育とは、会社に対しておかしいことはおかしいと言える労働者づくりのことである。
事故から5年も経っているのに、JR西日本社員は、相変わらず上から何かが下りてくるのを待っている「社畜」に見える。JR西労組幹部自身もそうした「社畜思想」に染まっているから、事の本質が会社側の周知体制の問題にしか見えないのである。たとえ社員にアンケートを行うにしても、会社がどうのこうのではなく、たとえばこんな項目を設けるだけでも、少なくない組合員を目覚めさせることができるだろう。
「再びJR西日本の鉄道で事故が起き、自分がその現場に居合わせながら、上司から出勤するよう命じられた場合、あなたは上司の命令より乗客の救助を優先することができますか」
まるで思想調査のような設問だが、こうした項目をあえて設けることで、組合員が自社の抱える問題をクリアに認識できるようになる。できると答えられ、かつその回答がうそでなければ結構なことだし、できると答えられなければ、そう答えるのを阻害している要因が自分にあるのか会社にあるのかを各自が考え始める。会社側の問題でなければ、自分の意識の問題だと、意識改革に努め始める組合員も現れるだろう。
労働組合幹部は、時として嫌われ者になっても、あえて覚醒を促すような劇薬を組合員の心の中に投げ込まなければならないこともある。それを避け、人畜無害なアンケートでお茶を濁しているうちは、安全向上は掛け声倒れに終わるだろう。
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JR西強制起訴 抱える難問 同じ証拠で異なる立証 被害者多数、どう意見反映(産経新聞)
経営トップの刑事責任が法廷で裁かれる。JR福知山線脱線事故で23日、JR西日本の歴代3社長が強制起訴された。「真相究明につながる」と遺族は公判に熱い視線を注ぐ。一方、起訴を見送った神戸地検からは「証拠がない」と公判維持の困難さを指摘する声も聞かれる。乗客106人の命を奪ったJR史上最悪の事故から25日で5年。大惨事を引き起こした巨大組織の病巣にどこまで迫れるか-。
民意を反映した強制起訴によって検察官役を務める指定弁護士の活動は今後、公判の準備に移る。しかし、起訴議決制度における指定弁護士の負担の重さが早くも課題として浮き上がっている。
■前社長との兼ね合い
「3社長を起訴できる証拠は一切ない。有罪となる可能性は極めて低い」。検察審査会の判断とは異なり、「不起訴」の結論を導いた神戸地検の幹部はそう指摘する。
指定弁護士らは、起訴までの時間が短期間だったこともあり、3社長の事情聴取を行うなど補充捜査もできなかった。
すでに地検によって起訴されている、前社長の山崎正夫被告(66)=公判前整理手続中=の公判との兼ね合いも難しい問題として浮上しそうだ。
地検は、事故現場が急カーブに付け替えられた平成8年に鉄道本部長を務めていた山崎被告の責任と立場を重視。当時の「安全対策の実質的な最高責任者で、事故を回避できた唯一の人物」と位置づけた。
これに対し、指定弁護士による今回の起訴は、「社長が最高責任者で、安全対策を整備する高度の義務を負っていた」という前提に立っている。
証拠はほぼ同一にもかかわらず、指定弁護士と検察官は異なる立証を展開していくことになる。
会見した指定弁護士らは、立証について「『ひそかな自信を持っている』に留めてください」と若干の弱気ものぞかせた。
■大事件は想定外?
検察審査会の民意に押された起訴だけに、被害者の声をどうくみ取るかも課題となりそう。法廷では「被害者参加制度」の利用で、被告という立場になった3社長と遺族や負傷者が対峙(たいじ)する場面が出てくることも予想される。
指定弁護士も事故の被害者から制度適用を求められた場合、応じる考えを示している。しかし、多数に上る被害者の声をすべて法廷に持ち込むことは難しい。
制度とは別に、被害者が証人として出廷することについて指定弁護士は、「考えていない」とした。
公判の長期化も予想される課題だ。3社長は起訴内容を否認するとみられ、その場合、公判前整理手続きに要する期間も含めて判決までは相当の年数がかかる見通しだ。
指定弁護士の1人は「このような大事件は、制度設計の想定外なのでは。制度の運用を考えていかないと、指定弁護士の引き受け手がだれもいなくなる」と懸念を示している。
■起訴状骨子
▽3被告は、鉄道運行の安全を確立し、重大事故の防止対策を指揮すべき業務に従事していた
▽平成8年に現場が急カーブに変更され、直前にJR函館線のカーブで脱線事故があったことを認識していた
▽運転士が適切にブレーキ操作しなければ現場で脱線事故が起きる危険性を予見できた
▽自動列車停止装置(ATS)の整備を指示すべき注意義務があったのに怠った
【用語解説】JR福知山線脱線事故
平成17年4月25日午前9時18分ごろ、兵庫県尼崎市のJR福知山線カーブで快速電車(7両編成)が脱線、マンションに衝突し乗客106人と運転士が死亡、562人が重軽傷を負った。国土交通省航空・鉄道事故調査委員会(当時)の最終報告書では、直前の駅でオーバーランし、懲罰的な「日勤教育」を恐れた運転士が、車掌の無線連絡に気を取られ、制限速度70キロを大きく超える116キロでカーブに進入したと指摘した。カーブには自動列車停止装置(ATS)がなかった。
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『地検は、事故現場が急カーブに付け替えられた平成8年に鉄道本部長を務めていた山崎被告の責任と立場を重視。当時の「安全対策の実質的な最高責任者で、事故を回避できた唯一の人物」と位置づけた。』という記述が、とりわけ引っかかる。
サラリーマンという、組織の歯車(以下の捨て石?)をやっている私は、組織から「仕事はチームでやるもの。ワンマンプレーはするな」「悪い報告こそ上司にあげよ」といつも言われてきた。
だからこそ思うのだ。「社長が山崎鉄道本部長から報告を聞いていなかったとすれば、それは組織の体を成していないし、聞いていたのに責任がないとすれば、何のためのトップなのか?」と。
「サラリーマンは、気楽な稼業と来たモンだ~」と言う植木等の歌があったが、「部下が勝手にやりました」ですべて事が済むなら、経営者こそ「気楽な稼業と来たモンだ」だろう。数千万円から、時には数億もの年収をもらいながら、会議でハナクソをほじり、部下の作った資料にイチャモンをつけ、不祥事や事故が起きたときは「現場の責任」「部下が勝手にやりました」で済むんだったら、俺だって明日から経営者やりたいよ。
結論。すべからく、部下の責任はトップの責任。尼崎事故はトップを裁くべし。そんな簡単なこともわからない奴が検事を務めているなら、検事もついでに裁け。
「市民感覚を裁判に!」と言うなら、これこそ真の市民感覚だろう。
「あなたの職場で最も無駄が多いと思う経費は何ですか?」と尋ねたところ、トップは「役員報酬」(Business Media 誠)