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日本では高級文化を身に付けるのは女性だった

2019-10-16 07:24:50 | 読書ノート
片岡栄美『趣味の社会学:文化・階層・ジェンダー』青弓社, 2019.

  ブルデューが『ディスタンクシオン』で展開した理論を使って、日本における文化と階層の関係を解釈してみようという試み。多変量解析による図表が満載で、一般の人が読みやすい本ではない。おもに1990年代初めから2000年代初頭に発表された論文を改訂して収録した論文集であり、あとがきによれば諸事情で書籍化が遅れてしまったとのこと。僕も10年以上前に4章と7章の元となった論文を読んだことがあって、性差や文化的オムニボア(雑食)という概念を採り入れた議論が面白かったことを記憶していた。

  著者によれば、ブルデューの文化的再生産論は日本の社会階層を説明するのには適切ではないと、長らく日本の社会学者らによって考えられてきた。20世紀の半ばのフランスでは学歴エリート層は高級文化を体得することによって卓越を示した。しかし、日本の学歴エリートはそうではなく、高級文化よりは大衆文化に親しんでいる。したがって、日本では高級文化への嗜好を身に付けることはエリート層参入のための投資とはなっていないのだ、と。

  本書の分析においてもまた、日本の男性エリートは大衆文化に親しんでいることが確認される。しかし、彼らはスポーツ新聞を読んでカラオケをするという活動のみで日々を過ごしているわけではなく、例えばクラシック音楽のコンサートに行くなど時折高級文化を消費する。すなわち彼らは文化的雑食者(オムニボア)なのだ。オムニボア傾向は下層男性には見られない(彼らは大衆文化のみに親しむ)特徴であり、この点に日本の文化と趣味の特徴があると著者は指摘する。

  また、女性にとって高級文化は投資する価値のある資本であり、それはエリート男性との結婚に効果を持っているという。すなわち高級文化は女性によって有効利用されているのだ。ただし、先に記したように1990年代の調査データであり、「高収入の男性の妻となった教養ある専業主婦」というイメージが思い浮かぶ。女性の四大卒者が増えて共働きが主流となった2010年代後半においては、もはや有効ではないかもしれない。今後検証してほしい点である。

  全体としては、日本女性に「大衆文化忌避」の傾向があるのが興味深いところだった。女性はオムニボア化していない。「大衆」文化とは言うけれども結局は男性が好むもので構成されていて、女性にとっては不快であることが多いといことなんだろうか。あるいは文化の内実とは無関係に、担い手が下層の男性であるために避けられるのだろうか。なんとなく後者のように考えてきたけれども、大衆文化の消費量を調べてみても優れた男性であるか否かを弁別できないとしたら、女性がパートナー探しでその属性を重視しすぎるのはリスクがある。というわけで、前者が理由となっているのかもしれない、という気がしてきた。
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