「太田昌秀さんにかみつく」の添削をお願い

今度「かみつく」という季刊誌を出す決心をしました。評論、小説、それに沖縄の新聞が報道しないニュースを掲載するつもりです。ブロガーの意見も掲載します。しかし、資金がないのでプロに添削・校正を依頼するわけにはいきません。そこでみなさんに添削をお願いします。

太田昌秀さんにかみつく1

  太田昌秀さんにかみつくための本を探す
 
無名の人間が有名人になるには有名人にかみつくのが一番てっとりばやい方法である。私は有名人になりたい無名な人間である。無名な私は有名人になりたいから有名人にかみつくことにした。最初に誰にかみつくかあれこれと考えた。考えた末に最初にかみつくのを太田昌秀さんに決めた。なにしろ太田昌秀さんは元琉大教授であり、元沖縄県知事であり、元国会議員である。沖縄では超がつくほどの有名な人だ。太田昌秀さんにかみついて、うまくいけば私は有名になれるだろう。こんな私の思いつきを、安直な考えだと笑う者がいるだろう。笑いたい者は笑えばいい。なんと身の程知らずの人間だとあきれる者がいるだろう。身の程知らずで悪かったな。万が一有名人になれたら最高じゃないか。えげつないやり方だと軽蔑する者もいるだろう。軽蔑するならけっこうけだらけ、ファックユーだぜ。勇気のある人間だと感心する人間がいるかどうかは知らないが、とにかく、無名な人間が有名人になるには有名人にかみつくのが一番てっとりばやいのは確かなのだ。

さて、かみつくにはどうすればいいか。
その方法は決まっている。太田昌秀さんの書いた本を買って読むことだ。そして、本の中からかみつくことができそうな文章を探すのだ。
 さて、大田さんの書いた本はどんな本があるのだろうか。私はネットで大田さんの本を調べた。調べるとなんと大田さんの書いた本は70冊以上もある。こんなにたくさんの本を書いていたのかと私は驚いた。

沖縄健児隊(共)、血であがなったもの、沖縄の民衆意識、現代の差別と偏見(共) 、近代沖縄の政治構造、伊波普猷―人と思想(共)、伊波普猷の思想とその時代、沖縄崩壊、沖縄人とは何か、日高六郎編「軍備は民衆を守りうるか」、憲法改悪反対運動入門(共)、沖縄―戦争と平和、人間が人間でなくなるときジェノサイド、留魂の碑―鉄血勤皇師範隊はいかに戦塵をくぐったか、沖縄の決断、沖縄差別と平和憲法―日本国憲法が死ねば、戦後日本も死ぬ、死者たちは、未だ眠れ・・・・・・・・・
ううん、みんな難しそうな本だ。どの本を買えばいいのか私は困った。どの本がかみつきやすいのかは本の題名を見ただけではわからない。全部の本を読めばどの本がかみつきやすいか分かるのだが、70冊もの本を読むなんて読書嫌いの私には無理な話だ。それに70冊もの本を買うと本代が10万円は超すだろう。貧乏人の私にとって10万円は大金だ。とてもじゃないが70冊もの本を買うのは無理だ。お金がもったいない。私が買うのは一冊にしよう。三、四冊も買うと読むのが大変だからな。

「こんな沖縄に誰がした」と「こんな女に誰がした」

どの本を買うか。私は考えた。私は悩んだ。本の題名を見比べてもどれがかみつきやすい本か見当がつかない。悩んだ末に私が決断したのは一番新しい本を買うことだった。一番新しい本を買うことに特に理由はない。
 一番新しい本の題名は「こんな沖縄に誰がした」だった。え、どこかで聞いたような題名だ。ああ、わかった。日本の歌謡曲に「こんな女に誰がした」という歌があった。いや違う。「こんな女に誰がした」は歌の題名ではなく、歌詞だ。歌の題名は「星の流れに」だ。ずい分昔の歌であるがなかなかいい歌なので私はスナックのカラオケで時々歌っている。

星の流れに
作詞:清水みのる 作曲:利根一郎

星の流れに 身を占って
どこをねぐらの 今日の宿
すさむ心で いるのじゃないが
泣いて涙も枯れはてた
こんな女に 誰がした

煙草ふかして 口笛ふいて
あてもない夜の さすらいに
人は見返る わが身は細る
町の灯影の わびしさよ
こんな女に 誰がした

飢えて今ごろ 妹はどこに
一目逢いたい お母さん
ルージュ哀しや 唇かめば
闇の夜風も 泣いて吹く
こんな女に 誰がした

私が生まれる一年前の歌だ。ぐっとくる歌詞だねえ。それに7775777575と定型詩になっていて締りのある言葉の流れが最高だ。昭和の名曲「星の流れに」は、菊池章子という歌手が歌って大ヒットした。
この歌は戦争に翻弄され、満州から引き揚げてきて、生き抜くために身を落とした女性の手記(新聞への投書)を見た「清水みのる」が、そのやるせなさを思い作詞したそうだ。最初にこの曲を貰った歌手は、「こんな娼婦の歌など唄えない」と断ったのを、菊池章子さんが引き受けて歌ったといういきさつがある。とWEBに載っていた。
娼婦の女と沖縄をひっかけて「こんな沖縄に誰がした」と本の題名にした大田昌秀さんもなかなか味なことをやるじゃないか。私は感心したね。戦争に翻弄された女性が娼婦に身を落としたように、戦争に翻弄された沖縄も娼婦の女のように身を落としたと大田さんは言いたいわけだ。娼婦と沖縄か。意味深な題名だな。かみつきがいがあるというものだ。
「こんな沖縄に誰がした」にかみつくことにした私は、嘉手納の水釜にあるネーブルカデナの宮脇書店に行って「こんな沖縄に誰がした」を買ってきた。私が沖縄関係の本を買うなんて何年ぶりだろう。30年以上になるのではないか。いや、もっと前かもしれない。たしか、大浜方栄さんという大浜病院の院長が書いた「教師は学力低下の最大責任者」という本を買って以来である。あの頃の私は学習塾をやっていたが、学習塾を始めた時に、沖縄の生徒の学力のあまりの低さにたまげたものだ。学力の低い最大の原因は学校の先生が復習をしないことだった。一度教えたものは100%マスターするのが子供の義務あると学校の先生は決めつけていたのだろう。だから復習をしなかったというわけだ。学校の授業は教科書に敷いたレールを前へ前へとどんどん進んだ。だから、どんどん落ちこぼれが出た。人間は忘れる動物だからな。復習をして前に習ったところを思い出させてあげないと落ちこぼれる生徒が出るのは当たり前だのクロッカーだ。それを学校の先生たちは無視していた。
小学二年生の時に掛け算九九を覚えたとしても、三年生になると部分的に忘れてしまう生徒がかなりいる。だから二桁三桁の掛け算を教える前に掛け算九九の復習をやるべきである。ところが学校では復習をやらない。だから落ちこぼれる生徒がどんどん出てくる。学習塾で掛け算九九の復習をやるだけで成績がぐんぐん上がったものだ。子供の成績を上げるのは簡単だった。
学習塾をやって生徒の学力が低い原因は先生たちのいい加減な教え方が原因であるとわかってきたから、大浜方栄さんの「教師は学力低下の最大責任者」という主張に「そうだそうだ」と私は大いに賛成した。たから「教師は学力低下の最大責任者」の本を買った。沖縄の本を買うのはあれ以来だ。

「こんな沖縄に誰がした」の表紙は全体が朱色だ。琉球王朝の色だな。
真ん中には白い円を描いている。
黄色の字で元沖縄県知事と書いてあり、黒字で太田昌秀著と書いてある。
文字の上には黄色の沖縄本島の図がある。そして、黒字で大きく「こんな沖縄に誰がした」と書いてある。
「こんな沖縄に誰がした」の題名を見た瞬間に「お前がしたのじゃないのか」とからかいの言葉が脳裏にひらめいた。すぐ相手をケチつけようとする私の悪いくせだ。
私は冷蔵庫から2リットルのおーいお茶のボトルを出しコップについだ。居間に行き、一年中居間に居座っている電気炬燵にコップを置いて「こんな沖縄に誰がした」を開いた。耳には昼ドラの声が聞こえる。テレビはあまり見ないが見ていなくてもテレビはつけたままだ。独り暮らしだから、テレビを消すと家中が静かになり独り暮らしのわびしさを感じる。わびしさを感じないためにテレビは一日中かけっぱなしだ。
本を開いた。
朱色の紙があり、それをめくると、「こんな沖縄に誰がした」と大文字で書いてあり、その下に沖縄本島の地図、さらにその下に大田昌秀著と書かれてある。ページをめくった。すると「まえがき」という太文字が右上に小さく申し訳なさそうに立っている。私はまえがきを読んだとたんに、「え」と驚きの声を発した。

まえがき
「私は、本書で『こんな女に誰がした』もどきの泣き言を並べたてようと思ってはいない」
うわ、なんてことだ。私の予想とは違いすぎる書き出しだ。
「それはないよ、太田さん」
私は思わずつぶやいていた。
「こんな沖縄に誰がした」と本の題名にしたのなら娼婦に身を挺した「こんな女に誰がした」の深い悲しみと沖縄の悲しみを重ね合わせた本でなければならないはずだ。題名と本の内容はおおよそ一致するというのが常識ではないか。それが題名というものだ。表紙カバーにでかでかと「こんな沖縄に誰がした」と書いてあるのに本を開いた途端に「『こんな女に誰がした』もどきの泣き言」と題名を否定するような書き出しになっている。なんじゃこりゃ。期待を裏切られた私は戸惑ってしまった。「こんな沖縄に誰がした」という題名と「こんな女に誰がした」を重ね合わせて興味を持ったために本を買った人もいるはずだ。それなのに「『こんな女に誰がした』もどきの泣き言」とは・・・これじゃあサギまがいだ。
大田さんは戦争に翻弄された女性の悲しみを冷たくつっぱねて昭和の名曲「星の流れに」をあっさりと切り捨てた。

飢えて今ごろ 妹はどこに
一目逢いたい お母さん

大陸から帰って来た女性はまだ家族にも会えていない。妹は飢えてはいないだろうか、お母さんに一目会いたい。必死に生きながら妹や母親の無事を願っている。敗戦が原因で娼婦に身を落としながらも妹や母の身の上を心配している女性。
そんな女性は戦後の日本にたくさん居ただろう。
悲惨な戦後の真っただ中を生きている女性の心情を大田さんは「泣き言」と冷たく突き放した。大田さんは県知事になったお人だ。知事というものは県民の生活に関心を持ち、県民の生活を向上させていくのが使命だと私は思うのだが、戦後の名曲「星の流れに」を冷たく突き放した大田さんは貧しい県民のことを考える知事ではなかったかもしれない。と、まえがきの「私は、本書で『こんな女に誰がした』もどきの泣き言を並べたてようと思ってはいない」を読んだ瞬間に私は直感したね。

菊池章子が歌った昭和の名曲「星の流れに」は多くの歌手に愛された。
藤圭子、戸川純、倍賞千恵子、島倉千代子、美空ひばり、ちあきなおみ、石川さゆり、秋吉久美子、小柳ルミ子など多くの歌手がカバーしている。なんと美輪明宏もカバー曲を出している。歌手たちの「星の流れに」への思い入れは強く、それぞれがオリジナルな歌い方をしていて、それぞれの歌が個性豊かで感動させる。
ユーチューブに掲載されている「星の流れに」のファンのコメントを紹介しよう。

菊池章子の歌声は当時の世情そのものである。ちあきなおみの歌声は高度成長期に聞く戦後のイメージである。倍賞千恵子の歌声はその清純さのイメージとかけ離れた落差が大きいゆえに別な何かを醸し出す。藤圭子は不幸をキャッチフレーズに売り出した人なのでこの歌を聴くとなんか空々しい。

戦後の疲弊した世の中で否応なく身を持ち崩す女の心情を吐露するような曲ではあるが、そんな女にも会いたい母の面影を追う気持ちを知らされる。当然と言えば当然すぎる人間の心。菊池章子が歌ったものとは違った味が賠償千恵子の清純な声から窺える。まさか賠償千恵子が唄うとは思ってもいませんでした。

はい、チョコレート色の国電(こんにちのJR中央線)の中で白装¬束の傷痍兵さんが松葉杖をつきながらコッツコッツ歩いていたのを覚えております。

最近の日本はあまり元気がないようですが、人生と同じく山あり谷ありです。ころんだら、這い上がって、立ち上がって。長い歴史を振り返ってもこれの繰り返しですよね。これらの写真を見てつくづく日本人は立派だと思いました。がんばれニッポン

「星の流れに」ファンのコメントを読めば「星の流れに」が多くの人々に深く愛されていることがわかる。「星の流れに」を「こんな女に誰がした」もどきの泣き言と冷たく突き放す大田さんの気持ちが分からない。所詮大田さんは庶民の気持ちが分からない上の人間かもしれない。
大田さんは、
「私たちの愛する沖縄の現状が日本国憲法の理念をもろもろの規定と余りにも異なり過ぎている事態を直視し、それが何に起因するのかを明らかにしたいのである。と同時に、できる限りその解決の処方箋を読者と一緒に考えてみたい」
と述べているが、なにか白々しく感じる。大田さんの愛する沖縄とはどんな沖縄なのだろう。日本国憲法の理念と沖縄の現状が違うのを問題にしているが、日本国憲法の理念といっても憲法は文字に書かれたものであるし、憲法の解釈はひとつではない。それぞれの人間によって解釈が違う。いくつもの解釈がある。自民党と共産党、社民党では憲法の解釈が大きく違う。憲法の理念をひとつにすることは不可能だ。大田さんのいう憲法の理念はつきつめていけば大田さん個人の憲法理念である。憲法を調べては沖縄を見て憲法の文章と沖縄を照らし合わせる。また、憲法を調べては沖縄を見て憲法の文章と沖縄を照らし合わせる。こんな繰り返しで沖縄の現実を正確に見ることができるのだろうか。
世界情勢も国内情勢も変化し続けているのに60年以上も前に作られた憲法を理念にして憲法通りの世の中にしようとするのはおかしいではないか。憲法は神がつくったものではない。人間がつくったものだ。憲法にも欠点はある。欠点を見つければ訂正していくべきである。憲法は固定させるものではない。国民の手によって現実に沿って改定されていくべきものだ。
60,年以上も前につくった憲法を理念に置いて、その理念を実現するという考えは時代の変化に遅れた改革しかできない。現実に生きている私たちは私たちの理念をつくり上げ、私たちの理念を実現するために憲法を改定し、私たちの理念を実現するために現実を変えていくのが普通だ。ただ、日本は戦争に負け、天皇崇拝・富国強兵の帝国主義憲法から180度転換した民主主義の日本国憲法になったために国民のほうが憲法の理念に追いつけない状態が続いた歴史がある。しかし、憲法を絶対視して憲法の理念を実現すればいいと考えるのは世の中の変化を無視し、思想や理念の変化を無視し、現実に生きている人々のことを無視してしまう。現実に生きている人たちの幸せが一番大事な問題であって、憲法の理念に合っているかいないかが大事ではない。
戦前は天皇崇拝者だった大田さんは戦後になって憲法崇拝者に変わったようだ。大田さんにとって戦前は天皇が絶対的存在だったものが戦後は憲法が絶縦的な存在になったというわけだ。戦前の支配者や軍隊が自分たちの都合のいいように天皇制を解釈したように、大田さんは憲法を自分の都合のいいように解釈しているのだろう。

 昭和の名曲「星の流れに」は戦争で苦労した戦前生まれの人たちだけでなく、私のような多くの戦後生まれの人たちにも愛されている歌だ。そんな「星の流れに」を単なる女の泣き言と切り捨てる大田さんの精神を疑う。この人に人間の情というものはあるのだろうかと思いながら私は本を読み進めていった。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 「大田昌秀さ... 「1971Mの死」... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。