県民連合は斎藤知事の「不信任決議案」提出の方針 アホか

県民連合は斎藤知事の「不信任決議案」提出の方針 アホか


百条委員会が始まり、職員と斎藤知事の証人尋問が展開されている。9月5日と6日にも証人尋問を行われる。斎藤知事のほか、文書で疑いが指摘された幹部のうち、▽先月辞職した片山安孝 元副知事や、▽体調不良を理由に休んでいる元総務部長、それに▽産業労働部長の3人に証人として出席を求める方向で調整を進めている。これから百条委で7つの告発文の真偽が解明されていく。ところが百条委は始まったばかりでこれから斎藤知事への追及が深まっていくというのに県議会のひょうご県民連合は斎藤知事の「不信任決議案」提出の方針を固めたというのである。9月議会で不信任決議案を提出するというのである。それはおかしい。7つの告発文の真偽をはっきりさせるのが百条委である。百条委で審議をして、7つの告発文の真偽がはっきりしてから斎藤知事に対する判断をするべきである。それが議員のやるべきことである。ところが県民連合は百条委が始まったばかりなのに不信任決議案を提出するというのである。
不信任決議案を出すか否かは百条委が終わってから決めるべきである。議員であるなら議会が設置し議会の代表が尋問する百条委に強い関心を持ち、百条委の真偽の結果を見て判断するべきである。それなのに県民連合は百条委の尋問が始まっから間もないのに斎藤知事新任決議をするというのである。


なぜ市民連合は百条委が始まったばかりのいま不信任決議案を提出しようとするのか。議員であれば百条委が終了した後に対応を決定するべきである。それなのに百条委が始まってすぐに斎藤知事を不信任決議をするというのである。百条委の権威を軽視している県民連合である。県民連合派百条委よりも7つの告発文が正しいと決めつけているいるのだ。だから、市民連合は不信任決議案提出を決めたのである。県民連合の議席はわずか10議席である。県民連合が議会に提案しても自民党や維新の会が反対すれば議決されることはない。不信任を議決するためには自民党や維新の会が不信任案に賛成しなければならない。だから県民連合は両政党に不信任案に賛成するように働きかけている。
維新の会の藤田幹事長は9月6日の斎藤知事の2回目の証人尋問の答弁を見たうえで、「何らかのアクションを考えたい」と述べた。マスメディアは藤田幹事長の発言を不信任決議案を提出するかどうかを2回目の証人尋問の後に判断していると報道している。藤田幹事長の答弁はおかしい。百条委が終了してから判断するべきであって百条委の途中で判断するのは間違っている。
「百条委員会が終了してから判断する」と言わない藤田幹事長は間違っている。


 県民連合は百条委が集結していないのに不信任決議案を出そうとしているし、共産党は県議会が辞職要求することを議長に申し入れしている。なぜ両党は議会への決議を提案しているのか。理由ははっきりしている。百条委での尋問が進んでいけば、次第に7つの告発文の嘘が露呈していき斎藤知事を辞任させることができないからだ。両党はそのことを知っているのだ。
なにがなんでも斎藤知事を辞任させたい県民連合と共産党は百条委が進まないうちに不信任案、辞職案を議決したいのだ。しかし、県民連合、共産党の狙い確実にとん挫する。それを確信させたのが8月30日の「斎藤元彦知事への証人尋問」である。次の斎藤知事の尋問は9月6日である。斎藤知事の辞任がないことがもっとはっきりするだろう。
 
2012/05/25XML
アメリカの先生
アメリカ兵がとなりに住んでいた頃の話


嘉手納町の水釜の外人住宅に新聞を配達していた頃の話である。水釜の外人住宅街はかなり広く、私はUの字のように外人住宅を回って新聞を配達していた。最後の頃になると太陽は東の住宅の上から覗き、陽射しがまぶしくなった。
私がドアの側の窓際に新聞を挟んで庭から出ようとすると、呼び止められた。振り向くと開いたドアから女性が私をみながら微笑んでいた。アメリカ人と言えば白人をイメージするだろうが、白人でもない黒人でもないアメリカ人は結構多い、私を呼び止めた女性はスペイン人の膚を白っぽくしたような女性で小柄な人だった。


彼女は私に中学生であるかと聞いた。私がそうだというと、彼女は、私は中学の先生だと言った。私は彼女が学校の先生だといったことに驚いた。なにしろ、彼女は化粧をしていて青のアイラインを入れていたのだ。服も華やかなワンピースだった。彼女が先生なら私たちは心が落ち着かず勉強どころでなかったはずである。
彼女の夫も出てきたが、彼も中学の先生だといった。夫はジーパンを履き遊びに行くような服装だったが、それが彼の仕事着だった。ラフで自由な服装の人が学校の先生であるのに私は驚いた。


私は長男だったので、母は私にはしつけが厳しかった。沖縄方言の敬語をしつこく教えられた。「食べる」の方言は「カムン」である。「食べれ」は「カメー」である。母がカメーの敬語はなんというかと聞いたので私は「カミミソーレー」と言った。母は大笑いした。「カミミソーレー」は日本語に直訳すると「食べてください」であるが、日本語でも「食べてください」は丁寧語であって敬語ではない。ウチナー方言でも同じである。「カメー」の敬語は「ウサガミソーリ」であると母は教えた。日本語でいえば「お召し上がりください」になる。
母は敬語や大人に対するマナーを教えたが、私は右の耳から左の耳へ流していた。


大人でもダメな人間はいる。ダメな人間を尊敬することはできない。だから、大人だからと言って尊敬できない人間には敬語を使わなくてもいいというのが私の考えだった。


そんな私がアメリカ人と接して一番感じたのは彼らが大人と子供の上下関係を感じさせないことであった。大人でも私には友だち目線で話した。沖縄の世界では大人と子供では上下関係があるし、先輩後輩でも上下関係があって、会話する時にはこの上下関係が強制される。私は上下関係を強要されるのが嫌いだった。


アメリカ人と接するときに、彼らには沖縄の大人が持っている威圧感がなかった。それは平等というよりアメリカ人の自由さを感じた。アメリカ新聞を配達しながら、私はアメリカ人の持っているフリーさを皮膚で感じた。


50年前の話である。


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