斎藤知事が真剣に兵庫県政に取り組んでいる今日のニュース二つ

斎藤知事が真剣に兵庫県政に取り組んでいる今日のニュース二つ


斎藤知事の‟肝いり政策である特殊詐欺への対策啓発キャンペーンは斎藤知事は出席を断られた。
 特殊詐欺への対策事業は、昨年度、兵庫県が15億円の補正予算を計上した斎藤知事の‟肝いり政策”である。これまで兵庫県内で行われる啓発イベントには、可能な限り知事自らが出席していた。ところが7つの告発をめぐる一連の問題を受け、当初知事が出席する予定だったイベントについて、施設側から知事の出席を断った。
県側から施設側に提示した当初の計画では、会場では斎藤知事から来場者への啓発グッズの配布などが予定されていたが、疑惑が発覚した後の8月になって、施設側から県に対し「知事が出席されると現場に混乱や危険が生じるため、出席を見合わせてほしい」と申し入れがあった。これを受け、県は知事の欠席を決め、啓発キャンペーンは職員のみで実施する方針に変えた。イベントに出席できないというニュースであるが、斎藤知事が特殊詐欺への対策に熱心でイベントに積極的に参加していることが分かるニュースである。
齋藤知事が香川県を訪れたニュースがあった。
2025年に開催される「大阪・関西万博」と「瀬戸内国際芸術祭」を契機に兵庫と香川が協力して観光客の誘致に取り組むことを確認したというニュースである。

観光客の誘致について香川県と兵庫県の知事が直接会って話し合うのは今回が2回目である。齋藤知事は大阪・関西万博に向けて兵庫県と香川県が共同でPRむ゜していくことを提案し、両県で具体的に進めていくことを確認した。  また、両県は2024年7月から観光客の誘致にも連携して取り組んでいて、主に富裕層に向けた歴史や伝統文化をテーマとした周遊ツアーの販売状況はおおむね順調であるという。  今後はお互いの観光資源を生かした「サイクルツーリズム」を推進していきたいと齋藤知事は提案した。
 
齋藤知事はサンポート高松に建設中の香川県立アリーナを池田知事とともに視察した。メインアリーナやサブアリーナ、交流スペースなどを熱心に見学した。
斎藤知事の香川訪問はテレビで放映された。多くの県民が見たと思う。


画面のテロップには「万博へ 香川県斎藤知事が提案」と書いている。斎藤知事が香川県のために政治に取り組んでいることが分かるニュースである。
テレビを見た県民は7つの告発文を信じるとは思えない




2012/05/25XML
アメリカ兵がとなりに住んでいた頃
米軍は沖縄経済を助けた


昨日の沖縄タイムスの「基地で働く」はタイピスト宮城公子さんの話の第二弾を掲載していた。


基地から横流しする女性の話であった。復帰前はPX流れといって基地から多くの商品が基地から流れ出て県内で販売されていた。タバコ、チョコレート、缶詰、お菓子等々。特にタバコとチョコレートは多くの商店にあった。首里の琉球銀行の斜め向かいに老夫婦が営む小さな商店があり、その商店ではPX流れのタバコを置いてあり、私は時々ウィンストンを買った。


復帰前はアメリカ人の犯罪はアメリカ軍が摘発し裁判をしたが、沖縄人の犯罪は沖縄の警察が摘発し、裁判をした。だから、PX流れの商品を扱っている沖縄の商店をアメリカ軍は摘発することができなかったのだろう。沖縄の警察は積極的に取り締まる気がなかったようで、PX流れの商品を扱う商店が多かった。
復帰して、日本警察がPX流れの商品を扱う商店を積極的に取り締まるようになって商店は激減していった。日本専売公社の圧力があったのだろう。


宮城公子さんの話は、1970年半ばの横流しの常習犯の女性の話である。
「その頃は横流しが横行していた。ウチナーンチュの女性が米兵にお金をあげて、基地内の品物を預けていた。下っ端の米兵は給料も安いから、簡単だったと思うよ」
「私は彼女たちを守りたかった。やめたいと思うことがあっても、子供や生活のために働く私たちと同じで、彼女たちも苦労していたんだから」
「彼女たちは50~60代。若いころに米兵と結婚して一緒に米国へ行った後、米兵と離れ離れになり、現地に取り残されたり、家があると思っていったらトレーラーだったという人もいた」
「彼女たちはライスボウル(おにぎり)を作って売り歩いて、わずかなお金を貯めてやっとの思いで帰ってきたと聞いた」


宮城さんの今度の話でも、アメリカ人は沖縄女性を無一文で家から追い出すような薄情で冷たい人間たちである印象を与えている。アメリカの習慣に合わないで離婚した話は何度もきいた。離婚してもアメリカにとどまった女性は多い。アメリカでは女性の人権は守られているのだから、無一文で家から追い出すケースは少なかっただろう。金がなければ沖縄の親族が送金するだろうから、おにぎりを売って旅費を稼ぐなんて考えられない。こんなケースは滅多にない。


1970年半ばで50~60歳というと、終戦の1945年には20~30歳だった女性である。戦後すぐにアメリカ兵と結婚した女性ということになる。


祖国復帰当時の失業率は1%未満であったし、1970年半ばなら本気で仕事を探そうと思えばさがすことができたと思う。PXの横流しは誰でもできるというものではない。彼女たちのようにIDカードがなければならないし、私が聞いたケースは米兵と結婚している沖縄女性が夫を利用して買い入れて横流しをしていることであった。
PXからの横流しの仕事は特定の人間しかできないし、儲けは大きかった。横流しの仕事はうまみの大きい商売であり、貧乏人が仕方なくやる商売ではなかった。少々の危険を犯してもやりたくなる闇商売であったのだ。


「私は子どもが4人いて、この子たちのためにと思って働いていたけれど、生活があるのは彼女たちも同じだった。当時は、みんな生きるために、そうしないといけなかったんだろうね。葛藤の中、定年まで働いたんだよ」


復帰前は軍雇用員の給料は公務員よりもよくて、中流以上の生活が保障されていた。生きるために働いたというより他の人たちより文化的な生活をするために働いたようなものだ。私の家の後ろの父親は軍で働いていた。収入がいいから最初にセメント瓦の家をつくった。軍雇用員の家は裕福だった。まずしい農家の息子の私は軍雇用員の子供がうらやましかった。彼らは親からこずかいをもらえたから。


PX商品の横流しの商売は儲ける闇の商売であり、罰金を払っても採算の取れる商売だったから続けたのだ。宮城公子さんは沖縄の人たちは生活のために仕方なく米軍に関わったように話しているが、本当は米軍は金のなる実であり、多くのウチナーンチュは金を求めて米軍に関わったというのが事実だ。


「私は4人の子どもたちには絶対、軍で働かさなかったの」で宮城さんの話は締めくくっている。読者に米軍への悪印象を持たすのを狙っている記事である。

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