斎藤知事は県民ファーストである だから反県職員ファーストだ

斎藤知事は県民ファーストである だから反職人ファーストだ


 百条委の委員から「人望がなかったのではないか」と言われた時に、 斎藤氏は「職員に好かれたり、人望があるのは大事だ」としつつ、「必要な指導は県民のためにする」と述べた。斎藤知事は職員ではなく「県民ファースト」の精神で政治をやってきたと述べたのだ。対応だったとの認識を強調した。県民ファーストに徹したから職員からはパワハラと思われてしまうほどの厳しい指導をした斎藤知事は述べた。
斎藤知事は県民ファーストの政治に固執し、県民ファーストの政治行動をしていた。しかし、県庁の職員は知事を暴君だと決めつけ、知事の行為をパワハラと決めつけていたのである。職員たちは知事の県民ファーストの政治を理解していなかったのだ。単純なパワハラだと決めつけていたのだ。知事は県民ファーストである。県民ファーストの斎藤知事をパラファラと非難する県庁職員は職員ファーストである。




県内の博物館に出張した際、博物館の20メートルほど手前で車を下ろされて歩かされたことに激怒し、職員らを怒鳴りつけたというパワハラ疑惑について斎藤知事は百条委で「歩かされたから怒ったのではない」と言った。斎藤知事が怒ったのは円滑な車の進入をきちんと確保していなかったからだと述べた。
運転手は当該のエリアが車両進入禁止であることを知事に伝えてなかった。とろが知事を迎える職員二人は20m離れた博物館入口の前に立っていた。知事は職員が立っている所まで行くと思っていた。ところが運転手は車止めがあることを知事に伝えずに20m離れたところに車を止めて知事を下ろしたのである。
運転手は車止めがあることを知事に伝えるべきであった。しかし、伝えなかった。出迎えの職員は車が止まるところまで行って知事を迎えるべきであった。しかし、行かないで博物館入口に立ったまであった。やるべきことを放棄したのが運転手と迎えの職員である。
百条委で斎藤知事は:当該のエリアが車両進入禁止という認識がなく、「なぜ車止めをどけなかったのか、どけるのを失念していたのではないか」とそれなりに強く指摘させていただいたと述べ、「歩かされたから怒ったのではない。急いでいたこともあり、円滑な車の進入をきちんと確保していなかったことを注意した」と述べたのである。
 職員はどうすれば叱責されずに済んだのか? ――という議員の問いに斎藤知事は、
「車止めをどけるか、車止めのところで職員が待つべきだった」
と答えている。
知事の発言に議員が「過大な要求とは思わないか」と質問した。
斎藤知事は、
「車の進入禁止エリアとは知らされていなかったので、当時としては過大な要求ではなく、合理的な指摘だった」と答えた。
 パワハラの原因は職員の怠慢である。職員が適切な行動をすれば斎藤知事が怒ることはなかったのだ。百条委でこのことがはっきりした。百条委は怠慢な職員を黙認するのだろうか。それでは百条委が中立ではなく職員側である。職員ファーストである。


深夜や休日に会議用アプリのチャットで、県職員に繰り返し叱責や指示のメッセージを送っていたという疑惑について斎藤知事は、
「チャットはメールだから、忘れないうちに備忘録的に送った」と述べている。
メールは無音である。見たい時に見ればいい。生活に支障することはない。知事が忘れないうちにチャットをするのに問題はない。ところが兵庫県庁の職員は深夜や休日にチャットされるのはパワハラだというのである。勤務時間外のチャットはパワハラだと知事を非難するのである。パワハラだと思うならチャットをしないように知事に要求すればいい。要求してもチャットをするならパワハラでと主張することができるが知事には何も言わず陰でパワハラだと言いふらす県職員はおかしい。知事に深夜や休日にチャットをさせているのはなにもしない職員なのだ。
斎藤知事は最後に「レスポンスは明日でいい」ですとか「週明けでいい」ですとか、そういったところは丁寧に書くべきだったと思います。やっぱり職員は一生懸命、仕事をしようと頑張りますので、急いでレスをしなければならないという空気感になっていたんだとすれば、私はそこは反省しなければいけない。そういった対応を負担に感じていた職員がいるとすれば、お詫びしたいなと思いますと述べている。


 百条委で明らかになったのは20m歩かされたことや深夜、休日のチャットは斎藤知事の一方的なパワハラではなかったことである。7つの告発文が事実を巧妙に捻じ曲げて知事のパワハラにてっち上げた捏造文であることを百条委は明らかにした。
 これからも7つの告発文の捏造を百条委は明らかにしていくだろう。




2012/06/01
アメリカ少年がアムロ少年の周りをぐるぐる回った理由
学校の行き帰りに古堅の外人住宅街モーガンマナーの中を通った。別の道路もあるのだが、毎日同じ道を通るのはおもしろくないから時々モーガンマナーの中を通った。モーガンマナーに入るとアメリカ人が歩いているわけで、アメリカ人とすれ違う。
グループの時は、グループの中の誰かが、アメリカ少年へ、「ファイトミー」と言ってこぶしを振り上げた。アメリカ少年へ「ファイトミー」をいうことは他の少年に勇気を見せる行為であった。一人がいうと他の少年も調子に乗って「ファイトミー」といった。私たちは喧嘩をする気はないし、アメリカ少年も聞きなれた言葉なので無視した。私たちの「ファイトミー」は「ヤー」と同じくらいの挨拶代りの言葉だった。「ファイトミー」の意味も知らないでアメリカ少年に向かって言う生徒もいたくらいだ。一人の時は本当に喧嘩になってしまうと怖いから言わなかった。
これもアメリカ人が隣りに住んでいたから出てくる話である。


アムロは自転車屋の子どもだった。彼は大湾に住んでいたので時々モーガンマナーの中を通る時があった。彼が中学三年生の時の話だ。「ファイトミー」をいうのは小学生の時で中学生になると「ファイトミー」はいわない。アメリカ少年とすれ違う時は「ヤー」とか「グッドアフタヌーン」というくらいだ。
ある日、学校帰りにモーガンマナーの中を歩いていると、アメリカ少年がアムロに話しかけてきた。アムロは英語が全然ダメだったから、アメリカ少年の話は全然分からなかった。「ソーリー、I cannot speek inglish」さえも言えないアムロは「分からん」と言った。それも英語の調子で「ワカラーン」と言った。
するとアメリカ少年はアムロのまわりをぐるぐる歩き回った。アムロはアメリカ少年が自分の周りをぐるぐる歩いたものだから、頭が混乱し怖くなって逃げた。
この話はつくり話ではない本当にあった話だ。アムロはなぜアメリカ少年が自分の周りを歩いたのか英語の先生である砂辺先生に聞いた。砂辺先生はその理由がわかった。アムロが「ワカラーン」と言ったのをアメリカ少年は「walk around」
に聞こえたのだ。
砂辺先生は授業でアムロの体験談を私たちに話した。英語の発音と似ているのが多い沖縄の方言である。「ワッタームン」(私の物)を「what time」と勘違いしたことや、「nine three」を「ナーヒン トゥリ」(もっと取れ)に勘違いした話はあったが、共通語の「わからん」が英語の「歩き回れ」に勘違いされたというのはあの時に聞いただけである。


アメリカ人と隣り合わせに住んでいたから出てきた話である。


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