「大田昌秀さんにかみつく」の添削をお願い2

今度「かみつく」という季刊誌を出す決心をしました。評論、小説、それに沖縄の新聞が報道しないニュースを掲載するつもりです。ブロガーの意見も掲載します。しかし、資金がないのでプロに添削・校正を依頼するわけにはいきません。そこでみなさんに添削をお願いします。

「大田昌秀さんにかみつく」の2



一週間後。一応「こんな沖縄に誰がした」を読み終わった。

 読後の感想は「まいったな」である。かみつくところを見つけるところがなくて困ったという意味で「まいったな」ではない。むしろ逆だ。かみつくところがあまりにも多すぎる。最初のページから最後までみんなかみつくことができそうだ。こんなにかみつきやすい本でいいのかと私は戸惑ってしまったし、かみつくところが多いと書く量が増えて難儀だ。それで「まいったな」と思ったわけである。
元琉球大学教授で、県知事になり、国会議員までなったお人だ。そんなお人が書いた本を私のような社会の底辺で生きてきた人間が簡単にかみつくことはできないだろうと思っていた。かみつくことができなくても無理やりかみつこうと思っていたのに、意外や意外である。いたるところ噛みつくことができるのだ。こんなでたらめなことをよくも書けたものだと妙な感心をしたくらいだ。本当にこのお人は県知事になった人物なのか。信じられないなあ。

私たちの愛する沖縄の現状が日本国憲法の理念をもろもろの規定と余りにも異なり過ぎている事態を直視し、それが何に起因するのかを明らかにしたいのである。と同時に、できる限りその解決の処方箋を読者と一緒に考えてみたい。
                         「こんな沖縄に誰がした」より

と、かっこいいことを述べているが、「星の流れに」から見える戦後の日本の悲惨な現実を見ることができないお人がさ、「沖縄の現状」を正しく見ることができるのだろうか。どうしても疑問が湧いてくるよ。大田さんは憲法という上から目線で沖縄を見ているが、上から目線では沖縄の足の裏までは見ることはできない。

 さて、かみつくとするか。この本を買った目的は有名人の大田昌秀さんにかみついて私が有名人になるのが目的だからな。噛みついて噛みついて噛みついてやろうではないか。

あ、そうだ。大田昌秀さんの略歴を記しておこう。WEBのウィキペティアから転載する。

1945年(昭和20年)- 沖縄師範学校本科2年時、学徒隊の鉄血勤皇隊に動員され、沖縄戦に参戦
1946年(昭和21年)- 沖縄文教学校卒業
1948年(昭和23年)- 沖縄外国語学校本科卒業
1954年(昭和29年)- 早稲田大学教育学部英文学科卒業
1956年(昭和31年)- 米シラキューズ大学大学院修了(社会学専攻)、琉球大学財団に勤務。
1963年(昭和38年)- 東京大学新聞研究所にて研究
1968年(昭和43年)- 琉球大学法文学部教授就任
1978年(昭和53年)- フルブライト訪問教授として米アリゾナ州立大学教授就任
1990年(平成2年)- 琉球大学辞職。11月18日の第6回沖縄県知事選挙に出馬、現職西銘順治を破り当選。石垣空港建設反対を公約にしていた。
1994年(平成6年)- 11月20日、任期満了に伴う第7回沖縄県知事選挙で当選(2期)。
1998年(平成10年)- 11月15日、任期満了に伴う第8回沖縄県知事選挙で稲嶺惠一に敗れ落選。
2001年(平成13年)- 7月29日、第19回参議院議員通常選挙(比例区・社会民主党)当選。
2007年(平成19年)- 7月29日、第21回参議院議員選挙に出馬せず政界を引退。
現在大田平和研究所主宰

大田氏の信じられない経済論=妄想経済論

 最初にかみつくところを117ページに決めた。117ページに書いてある題名は「基地返還前後の経済変動」だ。大田さんが経済変動の具体例にしているのがハンビータウンだ。ハンビータウンはハンビー飛行場の頃から私は知っている。ハンビー飛行場に駐機しているヘリコプターを見たことがあるし、貨物船が停泊していたのも那覇行きのバスの中から何度も見た。ハンビー飛行場がハンビータウンになってからも遊びや買い物に何回もいったことがある。ハンビータウンのことはよく知っているから、まずはここからかみつくことにしよう。

 大田さんは、ハンビータウンがヘリコプター基地だった頃の雇用は100人そこそこであったが、1981年に返還されてからは若者の街に変貌して、ヘリコプター基地だったころよりも経済発展し、雇用は数千人から一万人にも及んでいると述べている。うん、それはそうだろう。ヘリコプター基地だった頃はだだっ広いだけで、人の姿はみえなかった。たまにヘリコプターを見るくらいだった。返還されてハンビータウンになると次々と新しい建物が建ち、大きな商業街になった。大田さんのいう通りハンビータウンは急激に賑やかな街になり、めざましい経済発展をして雇用が増えたのはわかる。
大田さんは地元自治体に入る固定資産税は約257万円から1億9507万円に及んでいると述べている。以上の統計の事実を根拠にして大田氏は、ハンビータウンだけでなくすべての軍事基地が軍事基地であるよりも民間に開放されたほうが経済発展をするのだと主張している。
なるほど、そうだろうなあと言いたいところだが、そうはいかないよ大田さん。
大田さんはハンビータウンの経済発展イコール県の経済発展であると考えているが、ハンビータウンは小売店の街だ。ハンビータウンの経済発展をそう単純に県の経済発展であると判断できるものではない。北谷町の経済発展が県全体の経済発展につながるのなら大いに喜ばしいことであるが、北谷町の経済発展が県全体の経済発展につながらないということになれば県にとって喜ばしいこととはいえない。

 沖縄市の園田にモッズというライブハウスがあった。国道331号線沿いにあり、モッズでは民謡からジャズまで多くのミュージシャンがライブをし、沖縄では有名なライブハウスだった。しかし、モッズは新しい街ハンビータウンができると園田より集客力がいいハンビータウンに引っ越した。当然のことながらモッズの客は沖縄市から北谷町に流れた。北谷の客は増えたが沖縄市の客は減ったということになる。
 ハンビータウンの隣の美浜タウンにグッドウィルという新しいパソコン専門店ができた。すると沖縄市のコリンザの一階にあったパソコン専門店は閉店に追い込まれた。コリンザのパソコン店のほうがグッドウィルより数倍大きい店であったが、元々ぎりぎりの経営状態だったので、グッドウィルに北谷町や嘉手納町の客が流れたことが影響したために赤字経営に転落したのが原因だと考えられる。コリンザのパソコン店が閉店すれば美浜のパソコン店に客は流れる。パソコン関係のコリンザの客はゼロになる。
 モッズのように沖縄市から北谷町のハンビータウン・美浜に移転した店舗がいくつもあり、多くの客がハンビー・美浜に流れた。
 客がハンビー・美浜に流れたためにコリンザのパソコン店のように閉店した沖縄市や宜野湾市の店は多い。つまりハンビー・美浜のお客は他の市町村から流れた人たちであり、他の市場から客を奪うことによって北谷町のハンビー・美浜は繁盛した。沖縄市、嘉手納町、宜野湾市などの店はハンビー・美浜に客を奪われたのだ。
 県全体から見ればハンビー・美浜の客は他の市町村から移動したのだからプラスマイナスゼロである。
 県知事だった大田さんがハンビータウンの経済発展をまるで県全体の経済発展だと錯覚して手放しで喜ぶとは信じられないことである。元県知事なら沖縄市、嘉手納町、宜野湾市などの店からどれほどの客がハンビー・美浜の店に流れて売り上げが落ちたかを調査して、ハンビー・美浜が県全体に及ぼすメリットとデメリットについて分析するべきだ。そのような市場調査をしないで、ハンビータウンの経済成長を県全体の経済成長だと喜ぶ大田氏はめでたいお人である。

 沖縄市の南側にある泡瀬ゴルフ場跡には大型店舗のイオンモールができる。沖縄市の商店経営者たちはイオンモールが開店すると壊滅的な打撃を受けるだろうと心配している。しかし、大田さんなら返還された泡瀬ゴルフ場跡にイオンモールができて経済が発展すると手放しで喜ぶだろうな。

一方が繁栄すれば一方は廃れる。それがサービス業の経済法則だ。例えば、大型スーパーが繁栄することによって個人商店やスーパーは廃れた。コンビニエンスが繁盛することによって個人商店、書店、弁当屋、パーラーなどが廃れた。新しい商業地が繁栄している裏には古い商業地が廃れていくのが現実だ。そこにはプラスとマイナスの関係がある。ハンビー・美浜が栄えた分だけ他の商業地の売り上げは落ちたのであり、県経済の全体が成長したとは言えない。こんな簡単な経済法則さえ知らない大田さんが県知事だったのだ。ため息がでてしまう。

大田さんの妄想はまだ続く

現在返還問題で揺れている普天間飛行場は、このハンビー飛行場の11倍の大きさにも関わらず、二〇〇九年三月末現在で二〇七人しか雇用していない。
                         「こんな沖縄に誰がした」より

普天間飛行場とハンビー・美浜は車で5、6分の距離である。大田さんは11倍も広い普天間飛行場跡にハンビー・美浜と同じような若者向けの商店街ができたら客はハンビー・美浜の11倍に増え繁盛すると考えている。普天間飛行場跡は繁盛するかもしれない。しかし、ハンビー・美浜の客は普天間飛行場跡に流れるに決まっている。ハンビー・美浜の客は激減し、沖縄市のように閉店する店が増え、ゴーストタウンになってしまうだろう。
米軍基地が全て返還され、跡地にハンビー・美浜のような小売店街ができたら、限られた客の奪い合いで多くの商店街はゴーストタウンになるだろう。沖縄経済の破綻である。
返還跡地にハンビー・美浜のような小売店街だけをつくったら沖縄経済が破綻する理由がもうひとつある。
普天間飛行場の軍用地料金は年間60億円である。軍用地料は日本政府から沖縄県内に入ってきて県内で流通するお金になる。そのお金が沖縄に入ってこないから県の収入は60億円のマイナスになる。一方ハンビー・美浜の小売店は本土から商品を仕入れる。商品が売れれば売れるほど商品の原価の分だけ本土にお金が出ていく。県内のお金を減らすのがハンビー・美浜の経済である。
 もし、すべての軍用地が返還され、軍用地返還跡にはハンビー・美浜のような小売店の商業街ができると仮定すると、県内に入ってくる米軍基地関係の3000億円の県内への流入は絶たれてしまい、そのかわり県外から商品を買う商店が増えるから、県外へお金が出ていくシステムが増えるようになる。県外からお金が入ってくるお金が減り、県外に出ていくお金が増えれば県全体のお金が減り続けることになる。そうなると県民のお金は減り続けるから、商品を買うお金が減り店の商品は売れなくなる。倒産する店がどんどん増えていく。経済が悪循環して県内の仕事は減り、失業者が増える。
復帰前は戦前の農業中心経済から基地経済になって人口は増え続けた。復帰後は基地経済に加えて政府からの高額交付金による公共工事によって経済が成長し人口が増えた。それに観光業やコールセンターなどやヘンチャー企業の成長が経済発展を助長した。しかし、米軍基地の撤去や海兵隊の減少は沖縄経済を下降させる。それに従って経済がマイナスに転じるだろう。
 そう、ならないためには県外からお金が入ってくる新しい企業が増えることである。コールセンターやベンチャー企業が増えているし、農産物の輸出に情熱を燃やす企業も現われている。しかし、企業が急激に増えるということはない。亀の歩みのように少しずつ増えていくしかない。沖縄の企業が新たに3000億円の収入を増やすには長い時間がかかる。米軍基地は中国の民主化に連動させてゆっくりと減少させて県経済に悪影響を与えないようにするのがいい。急激な基地経済の減少は沖縄経済に悪影響を与えて倒産が増えるだろう。

 普天間飛行場跡地の利用を考える専門家の中で大田さんのようにハンビー・美浜の複製街を普天間飛行場跡につくろうと考えている人はいない。今提案されているのは国が土地を買って大きな公園をつくることだ。国が土地を買い取ることで地主に大金が入ってくる。地主は普天間飛行場が返還されても土地が売れるから一安心というわけだ。しかし、普天間飛行場の基地経済に匹敵する経済効果案はまだ提案されていない。というより、案がないといったほうがいい。
泡瀬ゴルフ場跡にはイオンモールができる。七月には宜野湾市の西海岸に大店舗サンエーコンベンションシティー店が開店した。ドンキーも進出する予定だ。ハンビー・美浜、泡瀬ゴルフ場跡、宜野湾市西海岸、ズケラン部隊、普天間飛行場は車で十分もあれば行ける場所である。こんな場所にハンビー・美浜のように小売店街をつくれば供給過剰になる。倒産する店が増加してゴーストタウンになる場所も出てくるだろう。大田さんは、全ての米軍基地が返還されればすべての跡地にハンビー・美浜のような街ができて経済発展すると妄想しているのだ。おめでたいお人である。

大田さんの妄想はまだまだ続く

. 嘉手納基地は成田空港の二倍の広さがある。しかし、2734人しか雇っていない。それに比べ、民間空港の成田は4万人以上が雇用されている。
このように軍事基地が返還され、その跡地が、民間に利活用されるようになると、雇用が10倍にふえるという試算がなされているが、それはあながち誇張ではない。
                  「こんな沖縄に誰がした」より

 それは誇張ではない。誇張をはるかに超えた妄想だ。
嘉手納基地が返還されて、民間空港になったら、嘉手納空港は成田なみに4万人の雇用ができると妄想をすることがなぜできるのだろうか。とても不思議である。大田さんは嘉手納基地について述べる前に成田空港の旅客数と那覇空港の旅客数を調査比較しただろうか。もし、嘉手納空港が成田空港のような民間空港になると想定したら、成田空港と那覇空港の旅客数について調査するのは常識である。
成田空港の年間旅客数は約二八〇六万人(二〇一一年)である。それに比べて、那覇空港の平成二一年度の旅客数は一四〇六二万人である。那覇空港の旅客数は成田空港の約半分である。
大田さんは、嘉手納飛行場は成田空港の二倍の広さがあるから、嘉手納飛行場が返還されれば成田空港の二倍の旅客が嘉手納飛行場を利用すると想定している。実に那覇空港の四倍の旅客数だ。どうして、嘉手納飛行場が成田空港の二倍だから旅客数も二倍になるというのだ。こんなことは絶対に起こらないことである。
沖縄県の観光業界は観光客を増やすためにあの手この手を使って苦労している。飛行場の広さを二倍にすれば観光客も二倍になるのなら、どんどん飛行場を拡張すればいい。しかし、こんな簡単に観光客や旅客数が増えるわけがない。
もし、嘉手納飛行場が民間空港になったら、那覇空港と旅客の奪い合いになり、それぞれの空港の旅客数は半分ずつになり、二つの空港が莫大な赤字経営をすることになる。
 県知事体験者ならば沖縄県の経済発展を真剣に追及するはずであるが、大田さんは経済破綻をさせてしまう経済論を展開している。不思議な人である。
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