生徒を囲い込みイデオロギー教育する県高教組




「沖縄内なる民主主義5」(A4版・60ページ)発売中。




裏表紙です。名護市街地は辺野古から10km離れています。しかも、間には山があります。
辺野古が安全であり、普天間基地がいかに危険であるかは写真を見れば一目瞭然です。
この事実を多くの人に知ってもらいたいと思って、このような裏表紙にしました。
買わなくてもいいから、裏表紙を見てほしい。
この三つの写真を見ても、辺野古移設に反対するのは「命どぅ宝」の精神が欠けている証拠です。
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生徒を囲い込みイデオロギー教育する県高教組

「自分が戦争に行くの?」は高教組のでっち上げ



 県高教組の第49回定期大会で、県内の高校に勤務する男性教諭が、「先生、自分たちが戦争に行くことになるの? と、最近子供たちが聞いてくるんです」と言うと、大会に参加していた周囲の教諭たちも、「うちの生徒もそうです」「子供は敏感、今の状況に危機を感じている」と口を揃えた。

「集団的自衛権の行使」を言葉通りに解釈すると、集団で国を守るということである。一つの国だけで国を守るのではなく、複数の国と国が手を取り合って共同で国を守ると理解するのがふつうである。一国で国を守るより集団で守るほうがより強固な防衛ができる。「集団的自衛権の行使」から浮かぶのは戦争をする可能性を高くするのではなく戦争の可能性を低くして平和を維持するイメージが湧いてくる。

 ところが男性教諭は「先生、集団的自衛権って決まったらどうなるの?」「嫌だ。戦争に行きたくない」と次々に生徒に問われ、教諭は、これまで感じたことのない生徒の不安を感じたという。

 「自衛」とは自国を守るということである。他国に戦争を仕掛けることではない。どうして政治に詳しくない高校生が「自衛権の行使」から戦争をするイメージ湧いてくるのか不思議である。それに戦争をするのは自衛隊である。自衛隊に入隊しない限り戦争に参加することはない。普通の高校生が「集団的自衛権の行使」が決まれば自分が戦争に行くことになると考えることはあり得ないことである。

 高校生が戦争に行くには、

 集団的自衛権の行使・・・「米軍と一緒に大きな戦争をする・・多くの戦死者が出る・戦争忌避の自衛隊員が大量に辞める・・・自衛隊員の大量不足・・・国家は徴兵制を採用する。

このような筋書きでなければならない。こんなバカらしい筋書きは沖教祖や左翼団体がつくるものである。
こんなめちやくちゃな筋書を普通の高校生が思いつく筋書きではない。教諭が高校生に集団的自衛権が行使されれば徴兵されると教えたから生徒は「嫌だ。戦争に行きたくない」と言ったのである。

 教諭はこれまで感じたことのない生徒の不安を感じたというが、不安にさせたのは当の教諭であるのは間違いない。そうでなければ普通の高校生が集団的自衛権の行使に関心を持つはずがない。事実、ほとんどの高校生は関心ないはずである。

 ある高校では、生徒が「僕たちに何かできないか」と、集団的自衛権の行使容認に反対する署名活動を提案しているとも述べているが、教諭が生徒をそそのかして署名運動をさせようとしているのだろう。

 
戦前は「三歩下がって師の影を踏まず」というくらいに教師は絶対的な存在であった。戦後の沖縄でも教師は絶対的な存在であり、教師の政治運動に口出しする県民はいなかった。それが戦後ずっと続いていた。
学校での平和学習に対する圧力が強まっているという報告があったということは「三歩下がって師の影を踏まず」という教師の権威に疑問を持った県民が増えてきたことを表している。
「教師でも間違ったことをやっている。間違ったことは正すべき」の気概を持った県民が平和学習を批判するようになったのだ。

 平和教育は沖教祖の左翼イデオロギーを生徒に植え付ける活動である。教育にあってはならない行為である。
 一般の男性が県教育庁を通して「偏った取組だ」と抗議したのは沖教祖のやりたい放題をいさめるものであり、生徒にとっていいことである。

 平和学習は一般の男性の言う通り「偏った取組」である。

 糸満高校の教諭は六月に、平和学習の一環で、辺野古を訪れた。基地建設の予定地とされる大浦湾を見学し、埋め立てに反対するため座り込みをしている人たちの話を聞いたという。
 教諭は辺野古を組み入れたのは「今、辺野古で起こっていることを直接見て、生徒自身に判断してほしかった」のが理由だと述べている。
 なぜ教諭は、普天間飛行場を見せなかったのか。辺野古は普天間飛行場を移設する場所である。普天間飛行場は住宅密集地の真ん中にある。沖国大にヘリコプターが墜落したこともある。宜野湾市民の命の危険を訴え続けたのは革新であり高教組だったではないか。
 普天間飛行場は人の命の危険性が高い。それに比べて辺野古は人の命の危険は低い。二つを見せて生徒に考えさせるのが教育の当然のあり方である。普天間飛行場を見せれば辺野古移設はやむを得ないと考える生徒が多いだろう。高教組の教諭は生徒がそのような考えをしないように普天間飛行場を見せなかったのである、
普天間飛行場を見せないで辺野古だけを見せるのは沖教祖のイデオロギーを植え付けるための「偏った取組」である。
 
 第49回県高教組大会では、安倍晋三宛ての「集団的自衛権の行使容認の閣議決定撤回を求める決議案」を採決したという。

 県高教組は教師であることを利用して、生徒に自分たちのイデオロギーを植え付けようとしている。だから、「先生、自分たちが戦争に行くことになるの? と、最近子供たちが聞いてくるんです」などと、話をでっち上げて、生徒を強引に自分たちの味方であるように演出するのである。そして、平和学習という名で「集団的自衛権の行使反対」の左翼イデオロギーの洗脳を公然とやるのである。

 県高教組は「沖縄の歴史と主体性を生かした民主教育の創造と子供たちの豊かな未来を守る」の大会宣言を採択したが、県高教組のいう「民主教育」は議会制民主主義を拒否した、県高教組=民主という県高教組エゴの「民主教育」である。
 
 県高教組は教諭の任意団体だから、任意団体の表現の自由として「集団的自衛権の行使容認の閣議決定撤回を求める決議案」を採択し、高教組の運動方針にするのはいい。しかし、県高教組は私的な組織であって公的な団組織ではない。
 日本は議会制民主主義国家である。教育方針に関しては国会で決め、公的な機関である文部科学省、県教育庁、教育委員会、地方教育委員会が実践していく。県高教組に教育方針を決める権限はない。
 しかし、県高教組は「集団的自衛権の行使」反対の教育を平和教育の名で高校生にやっている。教育者であるなら賛成・反対の両方の意見を紹介するべきであるのに県高教組は県高教組の方針だけが正しいと生徒に教えるのである。

 平和教育で、普天間飛行場を見せないで、辺野古だけを見せ、左翼活動家のたまりばであるテントに連れていって辺野古移設反対の理由を聞かすというのは、明らかに生徒を洗脳して辺野古移設反対に誘導している。
県高教組の左翼イデオロギーを植え付けているのが平和学習である。それは議会制民主主義に反した偏向教育である。

県高教組のように私的な団体が教育方針をつくるのは私的な団体の利益のための教育となり偏向教育に陥っていく。そのような教育は断ち切るべきである。
一般の男性が県教育庁を通して「偏った取組だ」と抗議したのは県高教組の偏向教育を正すために必要なことである。
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