ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

セミが道端で転がっている季節になりましたが

2008-08-20 07:27:59 | 自然
 このところ、早朝、事務所までの道のりで、道端や住宅の周りで、セミが上を向いて転がっている姿を、見かける季節になりました。 何故、上を向いているのかよく分かりませんが、拾って生きているかどうか確かめるのですが、大抵はまだ生きていることが多く、そのまま大空へ飛ばしてあげます。 最後の力を振り絞って、飛んでいくのかよくは分かりませんが。

 数年も地中に潜って生活し、成虫となってセミの形に変えて、10日前後でまた土に還っていく、自然の循環を繰り返します。 深夜も、いっせいにセミが啼いていたり、ぜんぜん啼かずに、静かだったりします。

 深夜に坐禅をしておりますと、大きな鳴き声でも静かなバックグランドミュージックのように、聴こえるから不思議です。 そろそろ夏も終わりに近づき、秋が近づいていることを、表しているのでしょうか。 セミの姿は。

坐禅では宇宙と一体になる

2008-08-19 19:11:34 | 座禅
 最近では寝る前に、気持ちが乗ればそのまま坐禅をします。 隣の部屋のテレビの音などが、気になるときには、さっさと寝てしまいます。 足を開いて手を大の字にし、足から宇宙の気を吸うようにしてです。

 夜中の1時頃に目を覚ましますが、その頃になると、ちょっとアルコールが入ったとしても、すっきりしています。 トイレに行った後、パジャマ姿のまま低い枕をお尻に敷いて、布団の上で呼吸法を伴いながら、坐禅を行います。 

 このところは、もっぱら胎息をしながらの坐禅三昧です。 右膝が悪いので結跏趺坐ではなく、半跏趺坐での胡座です。 何故、結跏趺坐でなければならないのかの理由について、禅宗の作法が書いてあるものには、なんの記述がありませんが、足の裏は湧泉のツボがあり、どちらかというと宇宙の気を吸うということにおいて、意味があるように思います。

 宇宙と一体になるときに、通常の逆腹式呼吸では百会から吸いますが、同時に足の裏からも吸うということでしょうか。 坐禅を始めて45分から1時間たつ頃には、体の中の気も動きがゆったりとしてきて、上半身の経穴が開き、自分と宇宙が一体になる感覚が得られます。

 胎息を行っての場合は、百会から宇宙の気を吸うというより、おでこの真ん中の天目が開き、天目から吸う感じになってきます。 只ひたすら坐禅。 宇宙と一体になることだけの坐禅です。 以前のように、無のイメージや光のイメージや、蓮の花の上にいるイメージを、しなくなりました。 そんな坐禅を楽しんでいます。

暑い夏こそ半身浴をはじめるチャンス

2008-08-18 07:09:44 | 半身浴
 私が半身浴の話を聞いたのは、今から11年ぐらい前ですが、その半身浴の素晴らしさを、親しくしている知人に話したら、早速はじめました。 心臓に不整脈がある方で、ペースメーカーを胸に着けています。 

 毎朝、半身浴をしながらのんびり入っているそうですが、昼近くまでぽかぽかしているとのこと。 どちらかというと冷え性で、足の先などがすぐ冷たくなってしまうといいます。 先日お会いした折に、夜も半身浴をしてみたらどうですかと話しましたが、早速朝も入りますと答えていました。

 私のブログを通して知った方は、半身浴をすれどもなかなか汗をかかなったのですが、半身浴の時間が足りないのではありませんかとアドバイスしたら、やはり汗が出る前に風呂から上がってしまっていたそうです。 今や積んどく本が見る見るなくなるほど、半身浴をしながら本を、よく読むようになったそうです。 

 お臍のちょっと上にお湯の面がくるように入る半身浴は、心臓にも負担が少なくこの暑い夏からはじめれば、10分も入っていれば頭の先まで、汗びっしょりになれます。 汗をかくということは、体の新陳代謝が良くなるということです。 冬などはいつまでも体全体が、暖かくいられたりします。

 半身浴の隠れたる副次効果として、普段は眠っている臓器を揺り動かし、活性化する効果もあると感じています。 半身浴は下腹にある臍下丹田を、温める効果もあるように思います。 肩までつかってしまうお風呂は、心臓に水圧がかかり、特に心臓病に疾患のある方は、要注意です。

 暑い夏だからこそ、シャワーで済ませることなく、半身浴をはじめるチャンスだと思います。 私は半身浴を始めて11年になりますが、今では肩まで浴槽に浸かることはありません。 上半身が頭の中まで汗でびっしょりになるまで半身浴をするのが、当たり前の生活になっています。 

 今はじめれば、寒い冬も抵抗なく半身浴ができます。 事情でお風呂に入れない人
ー病人なども、半身浴ができなければ、足湯(足首だけお湯に入れる)でもよいと、思っています。
  


原丈二(じょうじ)さんは日本の進むべき道を示唆する

2008-08-17 13:25:52 | 社会・経済
 朝のテレビで、ベンチャーキャピタリストの原丈二さんのことを、取り上げていました。 初めて知った方でしたが、その考え方にただ感心するばかりでした。

 会社は株主のためにあるという考え方は、欧米のものの考え方ですが、日本にはもともと、会社は社会の公器であるという考え方があったのですが、最近では欧米の考え方に、飲み込まれてしまっているといいます。

 原さんはバングラデッシュで、XVDというコンパクトな映像通信機器を使い、遠隔医療の取り組みを始め、通信設備の伴わない地域での、実施が始まったという。 また、続いて遠隔教育の取り組みも、行うという。

 アフリカでの飢餓に対する取り組みもはじめ、スピルナという藻の一種を、食料対策として、対応するという。 100グラム当たり65グラムもたんぱく質を、含むという。

 改めて、ネットで原さんを検索して見ましたが、とても素敵な考え方の持ち主であると感じました。 テレビで15分間ぐらいの時間でしたが、輝いて見えました。

坐禅は中丹田にある心を鍛える

2008-08-16 07:49:38 | 座禅
 恋愛をして胸が痛いとか、悲しいことに遭遇して胸を病むとか、よく言われることですが、呼吸法を伴いながら坐禅を行っていますと、胸の中心部にある中丹田には、情緒とか感情などを司る心が、存在しているように感じます。

 背中から後頭部に駆け上がってきた体の中の気は、おでこから視床下部に入り込み、視床下部にある上丹田を刺激し、上の歯の付け根にそっと付けられている舌を通して、体の前部に気が回っていきます。

 体の主要な気の流れである小周天の通り道(経絡)は、皮膚のすぐ裏側を流れています。 背中の部分には、神経が集中する背骨と皮膚が近接していますので、比較的気を感じやすい部分ですが、体の前部は肉が多いせいもあって、その気の流れは感じにくい部分でもあります。

 それでも、舌を通して体の前部に流れてくる気を、中丹田では何となく揺り動かされるような雰囲気で、感じることが出来ます。 ああここに中丹田があり、色々な感動や不安を感じさせる部分なんだなあと。 大きな気の流れの中で、静かな暗闇の中で、坐禅を行っていますと、その微妙な変化がよく分かってきます。

 坐禅は、体の中の気の流れを感じ、楽しみ、脳を優しく刺激し癒し、脳を活性化し脳の開発率を高めます。 また視床下部にある上丹田を刺激し、生命体を鍛えます。 また中丹田を刺激し、心を鍛え強くする作用を、発揮します。

 ひとり静かに坐禅を日常的に行うことによって、そこから様々なことを学んでいきます。 1時間の坐禅時間を持つことによって、自然と道が開かれて来ます。 楽しみながら坐禅を続けていきますと、ある日突然、前触れもなく体の変化を起こします。 普段から自然の動きに任せる、自然の摂理に委ねる気持ちが、とても大切なことなのです。

坐禅は上丹田の生命体を元気づける

2008-08-15 09:22:23 | 座禅
 目と目の間の奥、視床下部あたりに上丹田があるとされています。 上丹田には、私たちが生きるための元気ー生命体があるとされています。 生命体に元気がなくなったときに、この世から去っていきます。

 坐禅で、体の中の気の循環ー小周天をしながら、脳を刺激し視床下部にある上丹田をも刺激します。 宇宙の清新な気を体内に取り入れながら、気の溜まる場所である丹田ー上丹田、中丹田、臍下丹田、玉沈関、夾脊関(きょうせきかん)、尾りょう関に蓄積されます。

 坐禅を行っているときの感覚では、後頭部からあがってきた気は、脳内を刺激しながら、おでこから視床下部に入り込みます。 脳を刺激すると同じくらいに、視床下部をも刺激しますので、上丹田もそれなりに刺激を受けていると感じます。

 体を動かす運動であると感じにくいのですが、暗闇の中で一人静かに、呼吸法を伴いながら坐禅を行っていますと、微妙な体の変化を、感じ取ることができます。 

気がつかなければそれで済んでしまうことですが

2008-08-14 08:57:03 | 逆腹式呼吸
 ゆっくり息を吐くことで感得した気感。 級友からの呼びかけがなければ、一生知らないで過ごしていた気感。 その差はとても大きい。 今では級友に改めて、感謝したい気持ちでいっぱいです。

 パジャマを着て座禅の前後に、大の字に寝ながら、足の裏から宇宙の気を吸いながら、しばらくの間眠りにつかずに、気感を楽しみます。 いつも感じることですが、糖尿病の方が血行障害を起こして、心臓から一番遠い足の先から黒くなり、足先や足を切断しなければならないことを考えたときに、せめて寝ながらの逆腹式呼吸をやったらいいのになあ、と思うのです。

 低い枕をして上に向いて寝、目を瞑り口を閉じて、鼻だけで呼吸をします。 両手の親指を、お臍の上にそっと置いておきます。 大きく胸いっぱいに息を吸い、肺に入った息を、ゆっくりと足の裏から吐き出すようにして、吐いていきます。 鼻から息を出すことを忘れ、おくまでも胸に入った空気を、全部吐き切るような感じで、足の裏へ吐いていきます。 無理をせず、リズムよくスムーズに呼吸を行うことを、心がけます。

 胸式肺呼吸を、ゆっくり体の中を通して、足の裏から息を吐くだけでよいのです。大きく吸ってゆっくり吐く、そんな単純な呼吸を繰り返すだけでよいのです。 呼吸を繰り返すうちに、自然と眠ってしまいます。 毎日、寝ながらの呼吸法を続けていくだけで、体の中の血管も、体の中を流れる宇宙の気の影響を受け、弱って傷ついた血管も、少しずつ癒され改善されてくると感じています。

 糖尿病の方だけでなく、一人でも多くの方に、寝ながらの呼吸法を実践していただきたいと思っております。 寝ながらの呼吸法だけでなく、眠っている臓器を活性化させる半身浴も、同時に行っていただきたいことではあります。

微笑みながら坐禅を行う

2008-08-13 06:55:17 | 座禅
 目を瞑って坐禅を行うほうが、集中力は保てると思いながら、禅宗では半眼で行いなさいという作法を、自分自身で実践する中で、何故、半眼なのかを感じるために、最近では、半眼で坐禅を行っています。

 ただ、半眼だけではつまらないので、お釈迦様や観音様が、微妙な微笑があるのを真似て、意識的に微笑むようにしながら、坐禅をしております。 何も座禅のときだけでなく、普段の生活でも、できるだけ険しい顔をすることなしに、気分的に微笑んでいるような気持ちが、表れているように心がけています。

 顔の表情は、心の鏡だといわれていますが、心が心底いつも微笑んでいられれば、最高です。 坐禅のときの半眼での微笑みは、いい練習になるのではないかと感じています。

 深夜の暗闇の中での半眼は、薄暗いのであまり集中力が、欠けるということはありませんが、胎息をしながら、毎日坐禅を楽しみ、脳を刺激する気の動きを、楽しんでいます。 

 呼吸法を伴いながらの坐禅は、1時間の坐禅時間が継続的にでき、意識も集中して行うことができるようになれば、ある日、突然、体に劇的な変化をもたらします。 その変化にびっくりしないように、いつも自然の動きに従う、自然の摂理に任せる気持ちが、とても大切です。

 ひたすら坐禅。 楽しんでください。

どんなときでも楽しむ気持ちが大切

2008-08-12 07:02:04 | 座禅
 嬉しいことや楽しいことがあれば、誰でも楽しむことができます。 けれども、具合が悪いことや、つらいことがあると、誰でもできれば避けたい、苦しいと感じるのが普通です。

 私自身は、今までの人生の中で、色々と失敗して具合の悪いことや、心配をすることが、多々ありました。 そのようなことを経験して感じてきたことは、起きてしまったことは、避けることができず、その障害を乗り越えなければ、先には進めないということです。

 起きてしまった現実は、厳然とそこに横たわっているのですから、それを素直に受け止め、もうそれ以上事態は悪くはならない、後は良くなるだけだと、考えるようになりました。 非常に困難な事態になっても、本音はあまり歓迎しないことですが、それをどのように解決していこうか、そんな事態を楽しもうと、いつも思うようにしてきました。 むしろ、あえて困難な状況を楽しもうとも、努力してきました。 

 坐禅を生まれて始めて行うようになってからも、そのような考えは、相変わらず持っています。 今は、坐禅を通して、体の中を流れる気が、脳を刺激してくれるのを、楽しんでいます。 いつもその動きは、同じというわけではなく、微妙に毎日、その動きは違ってきます。 

 呼吸法を伴う坐禅は、脳と心を鍛えるエクササイズであるという感覚が、いつも坐禅をしながら感じることです。 どんな状況でも楽しむ気持ちを持てれば、坐禅を続けることはできます。 無理をせず、自由気ままに、好きな時間に好きな場所で、好きな格好でできる「ひとり坐禅」は、自分の意思さえあれば、できるのです。 楽しんでください。

胸式肺呼吸から胎息までー6

2008-08-11 10:14:23 | 座禅
 胸式肺呼吸で吐く息をゆっくり吐くことによって、次第に逆腹式呼吸ができるようになり、座禅時間が1時間普通にできるようになると、気が充実し気が勝手に動き出す自発動が、起こります。 さらには臍下丹田が活性化し、心臓のように鼓動をはじめ、中丹田、上丹田、百会、玉沈関、夾脊関、尾りょう関、会陰が活性化し、小周天がなります。

 体の中へ吐く息を、殆ど聞こえないくらいに静かに行っていますと、息をしているかどうか分からなくなります。 胸式肺呼吸をゆっくり静かに、体の中へ吐くことによって、自分では呼吸をしているつもりでも、深化の過程で肺呼吸をしているのではなく、気の呼吸をしていることに気がつきます。

 座禅で、吐く息だけに意識を集中できるようになり、1時間の座禅時間が、生活の一部になる感覚になってきたある日、胎息という言葉に引かれていきます。 ものの本には、なにやら書いてあるのですが、なんのことやら分かりません。 

 静かに行っている呼吸法のときの、殆ど呼吸をしていないのではないかという感覚を思い出し、ある時、思い切って肺呼吸をしないことにしました。 これができたのです。 宇宙の気をコントロールする臍下丹田が動き出すことによって、静かにすれば、この宇宙の気によって生きられるということを、実感した日でした。

 胎息とは、お母さんのお腹にいたときの気の呼吸であることを、改めて思い起こしました。 よく生まれてきた子供が、自分では体験しない、胎内にいたときに感じたことを、話す子供がいるということです。 そういうことも、あるだろうなあと、改めて感じたしだいです。

 私は、胎児がお母さんのお腹にいたときには、胎息という気の呼吸をし、多分臍下丹田も活発に動いていただろうと想像できますが、生まれ出た瞬間から、気の呼吸をやめて胸式肺呼吸に変換していきます。 おぎゃーという泣き声とともに。

 気の呼吸の名残として、赤ちゃんは下腹が動く腹式呼吸を行っています。 それが次第に、胸式肺呼吸になっていくのです。 

 私は、その逆を結果的に行って、胎息ができるようになったのではないかと、感じております。 胎息は決して難しいものではなく、私たちみんなが、お母さんのお腹にいたときには、行っていた呼吸法なのです。 生来、呼吸を意識することもなかったものを改め、吐く息をゆっくり吐くことによって、次第に気を感じ、気の呼吸に進むことができるとも、思っております。

 何事も楽しみながら行うことが、大切です。 自由気ままに、好きなときに、好きな場所で、好きな格好で、呼吸法や座禅を楽しんでください。