ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

胸式肺呼吸から胎息までー5

2008-08-10 08:12:30 | 座禅
 呼吸することを意識しなかった胸式肺呼吸を、ゆっくり息を吐くことだけ意識することによって、次第に逆腹式呼吸になっていきます。 吐く息が下腹に入っていくのを実感するために、息音を立てながら息を吐いていきます。

 私が、はじめて坐禅を行って3週目に入った坐禅(静功)会が終わった帰り道で、会への呼びかけをしてくれた級友が、静寂な坐禅中に、私だけの息音が聴こえたようで、もう少し静かに坐禅をしなさいと注意を受け、それ以来ほとんど息音が聞こえないように、呼吸を行いました。

 ゆっくり息音が聞こえないようにしていきますと、深化の過程で息をしているかどうか、分からなくなる雰囲気があります。 

 胸式肺呼吸をゆっくり息を体の中へ吐くことによって、次第に逆腹式呼吸に変化していきますが、その逆腹式呼吸も、やがて自分が意識しなくても、気の呼吸の練習をしていることになります。

 吐く息は実際には、鼻から出ているのですが、吐く息を意識しながらゆっくり吐くことによって、自分の体の中の気や宇宙の気を、動かすことになって行きます。 自分では分からぬ間にです。 自分が思うように体の中の気は動き、気が動くとそのように体全体を動かすことが、分かってくるのです。 ですから、間違っても否定的な考えや、悲観的な見方をしてしまいますと、ますます体全体は、マイナス方向へ進んでいってしまうのです。

 ゆっくり吐く息だけに意識を集中し、1時間の坐禅時間も当たり前のようにできてきますと、次第に気力が充実し、自発動という気が勝手に動き出すようなことが、起きてきます。 その際には、びっくりすることなく、自然の動きに任せます。 普段から、自然の摂理に委ねる感覚が、とても大切です。 自発動がおきたら、その勝手に動く気の動きを、楽しんでください。 そのまま静かに横になってください。 

 自発動を経て、やがて臍下丹田が活性化し、心臓のように鼓動を始めることになってきます。 

胸式肺呼吸から胎息までー4

2008-08-09 10:07:33 | 逆腹式呼吸
 私たちがお母さんのお腹の中では、気の呼吸ー胎息をしながら、すくすく、ぬくぬくと愛情いっぱいに感じながら、成長してきました。 お母さんのお腹から生まれ出た瞬間から、空気で呼吸する胸式肺呼吸に、おぎゃーという泣き声とともに変化してきました。

 胎息から胸式肺呼吸に変化する過程で、下腹の臍下丹田で呼吸する気の呼吸の名残があって、赤ちゃんをよく見ると、胸というよりも下腹が動いています。

 私たちは、胸式肺呼吸を意識することもなく、ごく自然な呼吸として過ごしてきましたが、この呼吸を意識し、またゆっくり吐くことによって、お母さんのお腹の中で行っていた、気の呼吸を取り戻すことができるのです。

 そのためには、日常的に舞にとの生活の一部として、胸式肺呼吸を意識をしながら、ゆっくりと息を吐くことが大切です。 どんな場合でも、どんなときでも、目を瞑り口を閉じて、大きく胸いっぱいに空気を吸って、ゆっくり胸に入った空気を、下腹に戻すように吐いていきます。 鼻で息を吐くことを忘れ。

 私はいつも寝る布団の上で、パジャマ姿で坐禅を行います。 改めて着替えをしないことが大切です。 普段の生活着で行うのがよいのです。 寝る前には、半身浴をして、十分汗をかき、体内の眠れる内臓をも十分活性化した上で、坐禅を行います。

 低い枕をお尻に敷いて、胡坐を組みます。 私はどんな胡坐の組み方でも、自分のやりやすい組み方でよいと思っています。 つい最近までは、普通の胡坐でした。 原則は最低1時間は、坐禅を行うようにしていますが、集中力がなさそうなときは、無理をせず寝てしまいます。 

 寝るときも、上を向いて両手をお腹の上において、目を瞑り逆腹式呼吸を行いながら寝ます。 両手の親指をお臍の上になるように寝ます。 私は4時間経つと自然と目が覚めますので、トイレに行った後、また坐禅を行います。 深夜とか早朝の坐禅は、よいとされています。 

 坐禅で大切なのは、姿勢、呼吸、集中力ですが、集中力を高めるためには、普段から意識するゆっくりした呼吸に、慣れる必要があります。 そのためにも日常的にも、あらゆる時間、場所で行って、スムーズに滑らかに、呼吸ができるようになっておくことが、肝要です。 改めて何かをするという意識をせず、日常性の中で行う気持ちが大切であると、いつも感じております。 逆腹式呼吸を、坐禅を楽しんでください。

胸式肺呼吸から胎息までー3

2008-08-07 08:51:41 | 逆腹式呼吸
 吐く息を体の中へ、下腹の臍下丹田へ入れ込むような感じで、吐いていきますが、実際には鼻から息は少しずつ、出て行きます。 ところが、吐く息をゆっくり吐きながら、下腹に向けてイメージで呼吸をしていきますと、体の中の気や宇宙の気を取り入れながら、気も動いていきます。

 自分でも知らないうちに、そのようになってくるのです。 体の中に入っていった宇宙の気は、体の中には殆ど貯まることはなく、鍼とか灸のツボー経穴(気の流れを調節する弁で、人体実験を通して、内蔵と関係するツボが分かっています)から、排出されます。 排出される過程で、ツボの弁の調節のよくするので、逆腹式呼吸は自己免疫力が高まるということになるのです。

 経穴から体の中へ吐いた気が出てくる感覚は、逆腹式呼吸や座禅の深化の過程で、皮膚と骨が近接している部分、特に背中の部分で感じることができます。 息を体の中に吐いていくと、背中全体から息ー気が出て行くのを、感得できます。

 息を体の中へ吐くのですが、体のどこかに具合の悪い部分があると、その関係するツボの弁がうまく動きません。 そのツボの周辺だけ気が、少しずつ溜まっていくことになります。 1時間も逆腹式呼吸を行っていますと、もうこれ以上体の中に、息が入らないということも起きます。

 私は、座禅を始めた当時、腎臓結石の残骸があり、腎臓から膀胱への連絡管である尿管に、結石が詰まっておりました。 そんな関係でしょうか、何回か、もうこれ以上体の中へ、息が入らないような状態になりました。 そんな経過を経て、ある時ぷーんと、一種焼け焦げたような臭いがしました。 詰まっていた経穴が、開いた瞬間でした。

胸式肺呼吸から胎息までー2

2008-08-06 07:42:41 | 座禅
 肩の力を抜きリラックスします。 頭のてっぺんが天から引っ張られているような感じで、上体を維持します。 姿勢をよくしようとして、体を反ってしまうと、筋力が働き長く座禅をできません。 筋力が働くことは、リラックッスしたことにはなりません。

 目を瞑り口を閉じて、鼻だけで呼吸をします。 禅宗では目を半眼にしなさい、といわれますが、ここでは集中力を優先し、目を瞑ります。 私自身は、現在半眼で座禅を行うようにし、半眼にしなければならない意味を、感じようとしていますが、観想するにしても、今の私達を取り囲む環境を考えても、目を瞑ったほうが意識は集中しやすいと、感じております。

 大きく胸を膨らませて息を吸い、ゆっくりと肺にたまった息を、下腹に戻すように10秒以上かけて、吐いていきます。 吐くときには鼻から息を出すことを忘れ、あくまでイメージで、肺にたまった息を下腹の臍下丹田に戻すように、吐いていきます。 普通の肺呼吸を、息を吐くときだけゆっくりと、吐いていきます。

 吐いていった息は、実際には鼻から少しずつ出て行くのですが、あくまで体の中へ息を吐くイメージです。 全部吐ききるつもりで行いますが、全部吐ききる寸前で、また大きく息を吸います。 胸式肺呼吸を上記のとおりに行いますが、ゆっくり息を吐きながらイメージし、イメージしながら息をゆっくり吐く行為を通して、自分でも分からないうちに、宇宙の気や体の中の気を、動かしていくことになります。

 イメージしながらゆっくり息を吐くことによって、生来持っていた気感を取り戻す作業を、することになります。 私達はお母さんのお腹の中にいたときには、みんなが胎息という気の呼吸をしながら、生長してきたのですが、お母さんのお腹の中から出た瞬間から、気の呼吸から空気を吸う肺呼吸に変わり、そのときの雄たけびが「おぎゃー」という泣き声なのです。

 私達すべての人が、元来、気を感じていたのです。 それを呼吸法によって、取り戻しているだけで、何も特別なことではありません。 気については素粒子の一種だと思いますが、宇宙に存在する素粒子は、まだまだ科学的に解明されていないことが多いのも事実です。

 私達は自分が思うように、体を流れる気は動いてくれます。 そのことは、呼吸を通した座禅を行う中で、自然と分かって来ることです。 ですから、否定的な消極的な考えを持つと、そのように体全体は動いていきます。 ガンなどの不治の病になったときに、気弱になってしまうと、ますます病気は加速度的に、進んでしまいます。

 体の中へ吐く息だけに意識は、集中できるはずです。 自分自身で体の中へ、息が入っていくのを体感するために、息音を立てるようにします。 最低でも1時間の座禅時間が必要です。 呼吸になれるために、日常生活のちょっとした時間、場所を利用して、目を瞑り胸式肺呼吸ー逆腹式呼吸を練習してみましょう。 呼吸法を、座禅を楽しんでください。

 

胸式肺呼吸から胎息までー1

2008-08-05 14:51:55 | 逆腹式呼吸
 何故、私が生まれて初めて行った1時間の坐禅(静功)で、百会が頭の周りを、電子の輪ができたように活性化したのか、何故、自分でも分からないうちに、逆腹式呼吸を行い、1ヵ月半で臍下丹田が活性化し、心臓のように鼓動し、その結果として胎息まで行うようになったのか、改めて振り返って考えてみたいと思います。

 つい先日まで、普通の胸式肺呼吸を、ただ息を吸うときに、胸を膨らませて大きく吸い、したがって下腹は当然のように凹みます。 吸った息をゆっくりのどで息音を立てながら、吐いていっただけなのです。 肺に入った息が出るに従い、下腹は元に戻っただけなのです。 ゆっくり息を吐くことによって、自然と逆腹式呼吸が、出来上がっていったということです。

 それを難しく考え、息を吸ったときに下腹は凹み、息を吐いたときに下腹は膨らむ、だからそれを逆腹式呼吸というんですよ、ということになっていました。

 ゆっくり息を吐くということが、とても重要な鍵があるように思います。 息を吐ききる感じで吐いていきますが、全部吐ききると苦しくなり、無理が生じます。
 胸式肺呼吸から発展した逆腹式呼吸は、今までの呼吸を、ちょっとゆっくり吐いただけのことで、できるのです。 別段、下腹の動きは気にすることはありません。 

 私自身は、現在ほとんど肺呼吸をせず、胎息をしながらの坐禅を、楽しんでいます。 坐禅を始めたころを思い出しながら、座禅のすばらしさや、呼吸法のやり方について、思い出しながらブログを書いていることもあり、改めてこういうことだったのかと、思い返すこともあります。

 いつも深夜の坐禅時での雑念で、この坐禅のよさをどのように表現したらよいかなどと、頭をよぎります。 

1時間の坐禅で脳がどのような状態になるのか

2008-08-04 15:53:44 | 座禅
 ものの本には、坐禅を行うと脳内麻薬が産出され、気持ちがよくなると書いてあります。 その書き方には、私は素直に賛成できません。

 逆腹式呼吸を行いながら、体の中へ吐く息だけに意識を集中します。 私たちには(私は分かりますが、当初は分かりませんでした)、臍下丹田がどこだか分からず、ただひたすら丹田に向けて、丹田が活性化することだけを念じて、息を吐いていきます。 

 体の中へ吐く息だけのこと意識していれば、雑念は一切沸かないはずです。 雑念が沸くのは、呼吸に意識を集中できていないからです。 吐く息だけに意識を集中できてから、45分から1時間も経つと、脳の状態がとても気持ちのよい状態になります。

 何故、気持ちがよくなるのか。 私たちの体の中に流れる気は、神経の線に沿って流れていますが、逆腹式呼吸によって入っていった宇宙の気は、体中の経穴から排出されていきますが、深化の過程で、しだいに体の中の気の流れを促進させていきます。

 神経の線が一番集中する脳にあっても、気が流れていき、脳細胞を刺激することになります。 ところが、その気の流れも、坐禅を行う時間の経過とともに、気の流れがスムーズに、滑らかになっていくのです。 その時間が45分から1時間必要ということなのです。

 座禅の初めのころは、強く硬く脳細胞を刺激し、決して気持ちがよいものではありません。 その流れが次第にゆっくり滑らかにやさしく、脳細胞を刺激してくれるようになるのです。 いわゆる至福感を感得することになるのです。 それは脳内麻薬という類のものではありません。

 脳がそのような状態になったとき、宇宙の叡智との接触も、できるのではないかと思っています。 脳がそのような状態になったときの雑念も、それをどのように考えたらよいかを、そっとサジェスチョンしてくれたりするのです。 

 私は、一人でもよいから、坐禅を通して、逆腹式呼吸を通して、そんな至福感を感得する中で、自分自身で何かをつかんでほしいと願っています。 難しい哲学的な考えは不要です。 ただひたすら坐禅。 その坐禅の中から、感得するのです。

邪気のこと

2008-08-03 06:35:30 | 
 邪気って何ですか。 よく邪気を払うためとか、邪気を引き込むとかの話を、される方がいます。 邪気とは、悪い気とか否定的な気と解釈されます。

 私が静功(座禅)をはじめたときにも、中国人の先生がよくそんな話をされていました。 私自身は、何故そんな話をするのか不思議な感じがしました。 今まで邪気については、頭にも浮かんでかなかったのです。

 悪い気ー邪気は、そのことを考えるだけで、自分によってくると考えていました。 世のため人のために、何かを考えやろうとしている人のところには、寄り付こうはずがないとも、考えていました。

 いつも明るく、前向きに建設的に考えていれば、邪気が近づいてもこないとも、感じていました。 自分自身が否定的なものの考え方をすれば、自然とそのようなものも近づいてきてしまうものと、思っておりました。 

 最近になって。ものの本を読む機会があり、改めて今まで考えていたことが、間違っていなかったことが、分かりました。 否定的、消極的な考えを持ってしまうと、自分の体の気がそのような気で支配してしまい、そのように体全体(脳も含め)が、動いてしまうのです。

 どんな状況下になっても、いつも前向きに明るく考えていくことが、どれほど大切なことか、改めて認識しました。 私の友人の中にも、すぐ胃痛になってしまう人がいますが、やはり否定的な考えー邪気を持ってしまうためなのかも知れません。 

 否定的な考えを持つことは一切やめ(ただし反省することは必要ですが)、前向きに建設的に考える癖を、つけてしまうことが大切なことだと思います。

蝉の声

2008-08-02 18:17:44 | 自然
 連日30度を超えるお天気が続いていますが、蝉の声が今を盛んと鳴いています。 連れ合いがそんな蝉の声を聴いて、うるさくていやだ、というのを聞いて、蝉だって数年も土の中で暮らして、やっと成虫になり、10日前後でまた土に帰ってしまうのになあ、という思いを持ちました。

 この世に蝉の形で出たからには、精一杯これでもかこれでもかと、鳴いてください、という風に私自身は感じています。 うるさいと感じるか、生きているね、頑張っているねと感じるかによって、この熱い天気の過ごし方も、変わってくるものです。

 ものは考えようで、確かに蝉の声は、一段と暑さを増幅させる何かを持っています。 でもそれが暑い夏を感じさせる風物詩と考えれば、自然と楽しくもあり、嬉しくもあるもんです。 昨年は仕事で毎日のように、外へ出かけておりましたので、セブンイレブンのふんわかかき氷が、欠かすことが出来ませんでした。 飲料水だけでは、熱を持った体を、冷やすことが出来ませんでした。

 今年は、つい最近まで、事務所の窓を開けて仕事をしていましたが、さすがに汗をふくばかりで、仕事の能率があがらないので、28度設定でクーラーを掛けての、仕事にしました。

 深夜や早朝に座禅をしておりますが、不思議なことに、蝉や虫の声が聞こえる日や、聞こえない日があることに、気がつきました。 何故だか分かりませんが、あるのです。 同じような熱帯夜の中でもです。

 私にとっては、蝉の声は暑い夏を表現するバックグランドミュージックに聞こえます。 蝉さん、大いにいっぱい鳴いてください。

精神的な余裕が余裕の幅を広げる

2008-08-01 11:05:37 | 座禅
 私自身は、自分の希望する大学に進みながらも、デザインに対する考え方が分からず、精神的に低迷していた時期があります。 そんな自分を研究室にきて手伝えと、誘ってくれた先生がいて、おかげで少しはものの考え方が、分かりかけてきました。

 結婚をして事務所に就職し、忙しいときには事務所の床に新聞紙を敷いて、仮眠しました。 長女が生まれ、新しい住宅にも住まうことになって、入居したばかりの梅雨時に、生乾きの畳から発生したダニに発奮し、私の上階のご主人とダニ対策委員会を作ることとなりました。

 長女が飲む生協の牛乳や、ダニ対策に協力してくれた生協職員の口車に乗ってしまい、事務所勤めをしながら、生協の理事を引き受けることになってしまいました。 結局、創立者の後を受けて、理事長を2年担当することにもなりました。

 生協の理事会では、物事をどのように考えていけばよいのか、どのようにまとめていけばよいのかを、学んできた記憶があります。 また。素敵な女性たちとも、親しく話をさせていただきました。

 そんな経緯の中で、事務所をやめ独立することになりましたが、勤めていた事務所で知り合った方々とは、一切連絡を取らず、ゼロからのスタートとなりました。 はじめたばかりで、仕事はこらがっているわけではありません。 

 そんな時、大学の級友の一人を思い出し、あいつはいつも面白いデザインのものを作っていたが、経済的に豊かだから、精神的にもリッチになれ、面白いものが作れるのだ、よし自分は経済的には不リッチでるけれども、精神的にはリッチになれるんではないかと考え、あえて、その段階から仕事はないが、精神的に豊かになるため、やったことがなかったテニスを始めることになりました。

 すぐ近くの公営のテニスコートで、朝の6時から9時ごろまで、雨が降らない限りはコートで知り合った友人と、毎日のように汗びっしょりになり、へとへとになるまで、自分たち自身で考えた練習方法で、プレイしました。

 連れ合いは、仕事もないのに朝からテニス三昧とは、いかがなものかと批判的でしたが、いつかは分かってくれるものと、毎日のようにテニステニスの生活でした。

 今から10年ほど前に、大学の別の級友からの呼びかけで、生まれた初めて坐禅(静功)を行うこととなり、体の中の気が脳を優しく刺激をし、いわゆる至福感を感得することができ、おかげさまで精神的にも強くなることができたのでした。

 時間的にも経済的にも、さらに精神的にも余裕がないとしても、あえて自分自身を精神的に余裕を、持たせるように心がければ、自然と精神的に余裕が生まれてくるのだというのが、私自身の体験からくる実感です。 たとえ様々な事が絡み合って、余裕がないとしても、精神的に余裕を持つように意識すれば、余裕が生まれてきます。 

 余裕がある精神、心情が、また余裕を生むのだということでしょうか。 坐禅もその余裕を生み出す元になると、考えています。 余裕がないから、呼吸法や坐禅を行うのです。 余裕がない状態から、余裕が生み出されてくるのですから、面白いものです。 坐禅を私自身は、楽しんでます。 どうぞ坐禅を楽しんでください。