唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
日曜日は雪?
今週初めに出ていた週間予報では、週末まで晴れマークが並んでいたけれど、いま、週末の天気を確認したら土曜日は晴れだけれど、日曜日は曇りのち雪、降水確率50%の予報。降れば雪と言うことだ。さて、どこに撮りに行こうかな。
今日の1枚は、13日の冬空。20日にはこの雲から白いものが・・・
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Nikomat FTN + Auto Nikkorが現役!?
今日の朝日新聞多摩版に掲載されていた写真を見てびっくりした。そこにはAuto Nikkor 200mm F4を装着したNikomat FTNと思しきカメラが写っていたのである。
注:Nikomatは「ニコマート」と読み、1960-1970年頃の普及・中級機に使われた日本光学(ニコン)のブランドである。郷秋<Gauche>の記憶が正しければ、1977年登場のFT3が最後のNikomat。
記事の内容は、都立清瀬高等学校地学部の生徒が顧問教諭の指導を受け、富士山の立体写真の撮影に成功したというもので、その記事に添えて「撮影した高校生と撮影に使ったカメラ」の写真が掲載されたわけだ。
Nikomat FTNはF T (1965年発売)の後継機で、1967年に発売になり70年代までの財布の軽いニコンファンに大いに愛用された、TTL露出計を内蔵したSLR(一眼レフカメラ)である。その後、ペンタプリズム部にアクセサリーシューが付いたFT2、FT3などが登場しているが、このシリーズの最盛期はNikomat FTN当時であったと記憶している。
Nikomat FTNの最大の特徴はシャッタースピードのダイヤルが軍艦部(ボディー上部)ではなく、レンズマウント部にあったこと。シャッタースピードのダイヤルが軍艦部にあると、一度シャッタースピードをセットした後の露出の調整は絞りによる事が多くなる。つまり「シャッタースピード優先」になるわけだが、Nikomat FTNの場合は両手でカメラを構えた状態でシャッタースピードを変更できることから「絞り優先」の撮影も可能となる優れた操作性を備えていたのである。まっ、一般的にはならなかったけれど。
さて、朝日新聞に掲載されていたNikomat FTNと思しきカメラだ。DSLR(デジタル方式一眼レフ)全盛の今、何故40年前のカメラが登場しているのか。顧問の先生が、Nikonあるいはフィルム方式カメラの熱烈な信奉者ということなのだろうか。あるいは都立清瀬高等学校地学部の備品のカメラがNikomat FTN(だけ)だと言うことなのか。謎である。
いずれにしても、おそらくは露出計も正常に作動し、モルトも張り替えられた「完動機」なんだろ。2、3年で買い換えなければならないDSLR時代に、まったく貴重なことだ。
今日の1枚は、FTNではありませんが、我が家に生息するNikomat、 EL。
注:Nikomatは「ニコマート」と読み、1960-1970年頃の普及・中級機に使われた日本光学(ニコン)のブランドである。郷秋<Gauche>の記憶が正しければ、1977年登場のFT3が最後のNikomat。
記事の内容は、都立清瀬高等学校地学部の生徒が顧問教諭の指導を受け、富士山の立体写真の撮影に成功したというもので、その記事に添えて「撮影した高校生と撮影に使ったカメラ」の写真が掲載されたわけだ。
Nikomat FTNはF T (1965年発売)の後継機で、1967年に発売になり70年代までの財布の軽いニコンファンに大いに愛用された、TTL露出計を内蔵したSLR(一眼レフカメラ)である。その後、ペンタプリズム部にアクセサリーシューが付いたFT2、FT3などが登場しているが、このシリーズの最盛期はNikomat FTN当時であったと記憶している。
Nikomat FTNの最大の特徴はシャッタースピードのダイヤルが軍艦部(ボディー上部)ではなく、レンズマウント部にあったこと。シャッタースピードのダイヤルが軍艦部にあると、一度シャッタースピードをセットした後の露出の調整は絞りによる事が多くなる。つまり「シャッタースピード優先」になるわけだが、Nikomat FTNの場合は両手でカメラを構えた状態でシャッタースピードを変更できることから「絞り優先」の撮影も可能となる優れた操作性を備えていたのである。まっ、一般的にはならなかったけれど。
さて、朝日新聞に掲載されていたNikomat FTNと思しきカメラだ。DSLR(デジタル方式一眼レフ)全盛の今、何故40年前のカメラが登場しているのか。顧問の先生が、Nikonあるいはフィルム方式カメラの熱烈な信奉者ということなのだろうか。あるいは都立清瀬高等学校地学部の備品のカメラがNikomat FTN(だけ)だと言うことなのか。謎である。
いずれにしても、おそらくは露出計も正常に作動し、モルトも張り替えられた「完動機」なんだろ。2、3年で買い換えなければならないDSLR時代に、まったく貴重なことだ。
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D200、大暴落
ニコン(Nikon)のニコンD200が中古市場に大量に出回り、それに伴い、買取価格、販売価格共に大暴落している模様。それだけ売れている、取り分けD200からD300(あるいはD3)への買い替えが多いということですね。
D200は、まだ数年は第一線で活躍できるだけの基本性能を持ったしっかりしたカメラ。ですから、初めてDSLR(デジタル方式の一眼レフ)を手に入れようと考えている方、D100、D70、D50と言った(もはや!)初期のNikon DSLRからの買い替えを考えている方には朗報ですね。他方、これからD200を下取りに出してD300を購入しようと考えている方にとっては、嬉しくない、あるいは予算的に厳しい状況になってきているとも言えるわけです。
D200の買取価格は58,000円で売価は80,000円ですが、新品価格が138,000円程度まで下落していますので止むを得ないところでしょう。一方、D300の方は203,000~205,000円と言うところでしょうか。ですから、D200を売ってD300を買うためには150,000円弱が必要となりますが、D70を売って中古のD200を手に入れるためには60,000円強あれば足りると言うことになりそうです。
郷秋<Gauche>はと言えば、D300の発売を睨んでその2ヶ月も前にD200を手放したお陰で相当有利にD300を手に入れる事ができました。もっとも、D200を手放してからD300を入手するまでの2ヶ月の間はD40X一台だけで結構不便な思いはしましたが。
デジタル機器は日進月歩(もはや死語か)ですが、中でもデジタル方式のカメラはその代表的存在。コンパクトタイプのライフサイクルは半年、開発費が高額になるDSLRでさえ長くて2年です。新しいモデルは、これまでと同価格で性能は3割増し。元々高価格であったDSLRに至っては価格が20%下がり性能30%アップといった状況ですから、今しばらくは「買い替え、買い替え」が続くことになるでしょうね。
注:記事中の価格は東京・中野のF社(程度AB)のものを中心に郷秋<Gauche>が独自に調査したもの。特に中古品の買取、販売価格は店と個体の程度により前後します。
例によって記事本体とは何の関係もない今日の1枚は、分厚い雲に覆われた恩田の森で撮影した「冬のオブジェ(その4、最終回)」。「冬のオブジェ」4点は一見モノクロームのように見えますが、カラー作品です。
D200は、まだ数年は第一線で活躍できるだけの基本性能を持ったしっかりしたカメラ。ですから、初めてDSLR(デジタル方式の一眼レフ)を手に入れようと考えている方、D100、D70、D50と言った(もはや!)初期のNikon DSLRからの買い替えを考えている方には朗報ですね。他方、これからD200を下取りに出してD300を購入しようと考えている方にとっては、嬉しくない、あるいは予算的に厳しい状況になってきているとも言えるわけです。
D200の買取価格は58,000円で売価は80,000円ですが、新品価格が138,000円程度まで下落していますので止むを得ないところでしょう。一方、D300の方は203,000~205,000円と言うところでしょうか。ですから、D200を売ってD300を買うためには150,000円弱が必要となりますが、D70を売って中古のD200を手に入れるためには60,000円強あれば足りると言うことになりそうです。
郷秋<Gauche>はと言えば、D300の発売を睨んでその2ヶ月も前にD200を手放したお陰で相当有利にD300を手に入れる事ができました。もっとも、D200を手放してからD300を入手するまでの2ヶ月の間はD40X一台だけで結構不便な思いはしましたが。
デジタル機器は日進月歩(もはや死語か)ですが、中でもデジタル方式のカメラはその代表的存在。コンパクトタイプのライフサイクルは半年、開発費が高額になるDSLRでさえ長くて2年です。新しいモデルは、これまでと同価格で性能は3割増し。元々高価格であったDSLRに至っては価格が20%下がり性能30%アップといった状況ですから、今しばらくは「買い替え、買い替え」が続くことになるでしょうね。
注:記事中の価格は東京・中野のF社(程度AB)のものを中心に郷秋<Gauche>が独自に調査したもの。特に中古品の買取、販売価格は店と個体の程度により前後します。
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ベルトーネ倒産
イタリアの名門カロッツエリア、ベルトーネ(Bertone)が倒産状態となり、トリノの裁判所が14日午前、同社の破産手続き開始を宣言した(元ネタはこちら)。
ベルトーネと言えばランボルギーニ・ミウラやカウンタック、ランチア・ストラトス、フェラーリ・308GT4(フェラーリ随一の不人気車故に無理をすればフツーのサラリーマンでも入手可能かも)などのスタイリングで知られ、ジョルジェット・ジウジアーロやマルチェロ・ガンディーニなど、優れたデザイナーを輩出したことでも有名である。
ここ10年ほどは、ボルボやオペルのコンバーチブルモデルの委託生産(更にその前にはFIAT X1/9も)で糊口をしのいでいたようだが、それらも次第に減少。従業員の大量解雇などの対応も空しくついに倒産に至ったようである。
折りしもwebCGには「がんばれ! 迷走する名門ベルトーネ」(大矢アキオ)が掲載され、今後の成り行きに注目していたところでの倒産の報。ジュネーブショーが3月に控えているが、もはやベルトーネのショーモデルを見ることはできないということなのだろうか・・・。
例によって記事本体とは何の関係もない今日の1枚は、分厚い雲に覆われた恩田の森で撮影した「冬のオブジェ(その3)」。
ベルトーネと言えばランボルギーニ・ミウラやカウンタック、ランチア・ストラトス、フェラーリ・308GT4(フェラーリ随一の不人気車故に無理をすればフツーのサラリーマンでも入手可能かも)などのスタイリングで知られ、ジョルジェット・ジウジアーロやマルチェロ・ガンディーニなど、優れたデザイナーを輩出したことでも有名である。
ここ10年ほどは、ボルボやオペルのコンバーチブルモデルの委託生産(更にその前にはFIAT X1/9も)で糊口をしのいでいたようだが、それらも次第に減少。従業員の大量解雇などの対応も空しくついに倒産に至ったようである。
折りしもwebCGには「がんばれ! 迷走する名門ベルトーネ」(大矢アキオ)が掲載され、今後の成り行きに注目していたところでの倒産の報。ジュネーブショーが3月に控えているが、もはやベルトーネのショーモデルを見ることはできないということなのだろうか・・・。
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blog 1000日
2005年4月20日にスタートした「郷秋<Gauche>の独り言 blog版」が、今日で1000日目を向かえた。1000日間休みなく、と言いたいところだが、実は2006年8月25日から28日にかけての4日間、休載しているが、サボったわけではなく、掲載できない事が見込まれたために予めお知らせをした上での休載であった。
もっとも、1日に2つの記事を掲載した日もあるために、1000日間に1020の記事がUpされている。まっ、1000日間毎日休まずと言っても良いだろうか。4月には丸3年と言うことになるが、blog化以前の「独り言」は1997年3月4日にスタートしているから、そこから数えると早11年と言うことになる。
Internetが日本で一般的になり始めたのが1995年頃。1997年3月と言うのは、既にInternetやHomePage、E-Mailという言葉が頻繁に使われだしている時期ではあったが、実際に自宅で利用している人の数は限られ、個人でHPを持つ方も決して多くはない時期であったと思う。
それから8年、「独り言」をblog化した2005年はと言えば、Internetは生活になくてはならないインフラとしてその地位を既に獲得し、ADSLやCATVを利用した常時接続が当たり前になっていたが、blogはと言えば、日本では一般的になってまだ2、3年といったところで、爆発的にそのユーザーが増えている時期であったはずである。
郷秋<Gauche>がblogを始めた2005年4月の(後発かつ弱小?)gooのblogユーザーは25万人程度であったと記憶しているが、現在は約95万人。3年後となる4月には100万人を突破することだろう。3年で4倍である! 世界中に存在しているblogの内、日本語で書かれたものが一番多いと言われる昨今であるが、そのblog世界一の座に日々貢献している、「郷秋<Gauche>の独り言」というわけだな。
まったくお気楽な「郷秋<Gauche>の独り言」でありますからして、今後の方向性や展望など、勿論ない。日々思いつく事どもを勝手気ままに書き綴るだけである。そんな「郷秋<Gauche>の独り言」ではありますが、読者諸兄姉の皆様にこれからもご愛読いただければ望外の幸せというものでございます。
例によって記事本体とは何の関係もない今日の1枚は、分厚い雲に覆われた恩田の森で撮影した「冬のオブジェ(その2)」。
もっとも、1日に2つの記事を掲載した日もあるために、1000日間に1020の記事がUpされている。まっ、1000日間毎日休まずと言っても良いだろうか。4月には丸3年と言うことになるが、blog化以前の「独り言」は1997年3月4日にスタートしているから、そこから数えると早11年と言うことになる。
Internetが日本で一般的になり始めたのが1995年頃。1997年3月と言うのは、既にInternetやHomePage、E-Mailという言葉が頻繁に使われだしている時期ではあったが、実際に自宅で利用している人の数は限られ、個人でHPを持つ方も決して多くはない時期であったと思う。
それから8年、「独り言」をblog化した2005年はと言えば、Internetは生活になくてはならないインフラとしてその地位を既に獲得し、ADSLやCATVを利用した常時接続が当たり前になっていたが、blogはと言えば、日本では一般的になってまだ2、3年といったところで、爆発的にそのユーザーが増えている時期であったはずである。
郷秋<Gauche>がblogを始めた2005年4月の(後発かつ弱小?)gooのblogユーザーは25万人程度であったと記憶しているが、現在は約95万人。3年後となる4月には100万人を突破することだろう。3年で4倍である! 世界中に存在しているblogの内、日本語で書かれたものが一番多いと言われる昨今であるが、そのblog世界一の座に日々貢献している、「郷秋<Gauche>の独り言」というわけだな。
まったくお気楽な「郷秋<Gauche>の独り言」でありますからして、今後の方向性や展望など、勿論ない。日々思いつく事どもを勝手気ままに書き綴るだけである。そんな「郷秋<Gauche>の独り言」ではありますが、読者諸兄姉の皆様にこれからもご愛読いただければ望外の幸せというものでございます。
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2007年のDSLRシェア、Nikonが1位に
2007年のDSLR(デジタル方式一眼レフカメラ)のシェアで、ニコン(Nikon)が常勝キヤノンを抑えて1位を獲得した(正確には、レンズ交換方式デジタルカメラにおいて。ただし、レンズ交換が可能なSLR以外のデジタルカメラは、ライカM8とEpsonのR-D1sのみであり、いずれも販売台数が極めて少ないことから、レンズ交換方式デジタルカメラ=DSLRと考えて、事実上大きな問題はない)
「BNCランキング」の調査・発表によると、2007年におけるDSLRのシェアは、ニコン43.8%、キヤノン40.0%で、ニコンが2006年3月に発表した「DSLRシェア40%獲得」を、ものの見事に達成したことになる。2006年3月当時、常勝キヤノンの前に、ニコンのシェア40%獲得は難しいように思えたが、D80、D40、D40Xを矢継ぎ早に送り出し、昨年11月にはD300とD3を送り出して、年間シェア1位の座を確実なものとしている。
かつてのニコンからは思いもよらないマーケット重視の戦略が功を奏したと言うことだろ。大ブーイングとなったフィルム方式DSLRからの事実上の撤退も、今回のDSLRシェア1位獲得で免責となることだろう。
ニコンは既に2008年度のDSLRシェア1位獲得に向けて、既に次の手を打っている。まずはD40Xの後継機種がまもなく登場することだろ。昨年末、一時的に表示された「D40Xのメーカー在庫払拭」表示が意図的なものであるかどうかは別にして、キヤノンのEOS Kiss デジタルX後継に対して先手を打とうとしていることは確実である。
D80もモデルチェンジの時期を迎えている。北京オリンピック前にはD3の高画素モデルも登場しよう。D40Xの後継機登場の後には、更にコストパフォーマンスを高めたD40の後継機も登場することだろ。企業としては一回りどころか二回りも三回りも大きなキヤノンを相手にするのは並み大抵のことではないが、それも不可能ではないように思える、左近のニコンの勢いである。
それにしても情けないのが3位のペンタックス(5.8%)以下の各社。ペンタックス以下は、オリンパス、ソニー、パナソニック、フジ、シグマ、マミヤと続くのであろうけれど、如何せん、2位のキヤノンと3位のペンタックスの間には埋めがたい大きな溝があり、2強と「その他の弱小メーカー」の図式は、残念ではあるが当分続くと見て間違い。
2007年には、D40XとD300とでニコンのシェア1位獲得に大いに貢献した郷秋<Gauche>であるが、2008年には貢献したくなるような機種が登場するや否や。D300は向こう2年はメイン機種として活躍してくれることとは思うが、D40X後継機については、その仕様によってはまたまたニコンのシェア獲得に貢献することになるかのしれないな。
例によって記事本体とは何の関係もない今日の1枚は、分厚い雲に覆われた恩田の森で撮影した「冬のオブジェ(その1)」。4点により構成される「組写真」として考えておりますので、4日連続で掲載の予定です。どうぞお付き合いください。いずれも一見モノクロームに見えますが、カラー作品です。
☆☆☆
今日、恩田の森で撮影した(普通の)写真をこちらに掲載しておりますので、ぜひご覧ください。
恩田Now
「BNCランキング」の調査・発表によると、2007年におけるDSLRのシェアは、ニコン43.8%、キヤノン40.0%で、ニコンが2006年3月に発表した「DSLRシェア40%獲得」を、ものの見事に達成したことになる。2006年3月当時、常勝キヤノンの前に、ニコンのシェア40%獲得は難しいように思えたが、D80、D40、D40Xを矢継ぎ早に送り出し、昨年11月にはD300とD3を送り出して、年間シェア1位の座を確実なものとしている。
かつてのニコンからは思いもよらないマーケット重視の戦略が功を奏したと言うことだろ。大ブーイングとなったフィルム方式DSLRからの事実上の撤退も、今回のDSLRシェア1位獲得で免責となることだろう。
ニコンは既に2008年度のDSLRシェア1位獲得に向けて、既に次の手を打っている。まずはD40Xの後継機種がまもなく登場することだろ。昨年末、一時的に表示された「D40Xのメーカー在庫払拭」表示が意図的なものであるかどうかは別にして、キヤノンのEOS Kiss デジタルX後継に対して先手を打とうとしていることは確実である。
D80もモデルチェンジの時期を迎えている。北京オリンピック前にはD3の高画素モデルも登場しよう。D40Xの後継機登場の後には、更にコストパフォーマンスを高めたD40の後継機も登場することだろ。企業としては一回りどころか二回りも三回りも大きなキヤノンを相手にするのは並み大抵のことではないが、それも不可能ではないように思える、左近のニコンの勢いである。
それにしても情けないのが3位のペンタックス(5.8%)以下の各社。ペンタックス以下は、オリンパス、ソニー、パナソニック、フジ、シグマ、マミヤと続くのであろうけれど、如何せん、2位のキヤノンと3位のペンタックスの間には埋めがたい大きな溝があり、2強と「その他の弱小メーカー」の図式は、残念ではあるが当分続くと見て間違い。
2007年には、D40XとD300とでニコンのシェア1位獲得に大いに貢献した郷秋<Gauche>であるが、2008年には貢献したくなるような機種が登場するや否や。D300は向こう2年はメイン機種として活躍してくれることとは思うが、D40X後継機については、その仕様によってはまたまたニコンのシェア獲得に貢献することになるかのしれないな。
例によって記事本体とは何の関係もない今日の1枚は、分厚い雲に覆われた恩田の森で撮影した「冬のオブジェ(その1)」。4点により構成される「組写真」として考えておりますので、4日連続で掲載の予定です。どうぞお付き合いください。いずれも一見モノクロームに見えますが、カラー作品です。
今日、恩田の森で撮影した(普通の)写真をこちらに掲載しておりますので、ぜひご覧ください。
恩田Now
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F2008 vs MP4-23、そしてHONDA
2強の2008年用マシンがそれぞれ発表され、シェイウダウンも始まったようですが、両チーム共に、今年のマシンは良いとコメントしていますね。
ホントに素性の良いマシンはシーズン当初から速くて、シーズン中にますます速くなる。素性の悪いマシンはシーズンを通りして開発が進まない。昨シーズンで言えば前者の例がF2007とMP4-22、後者の例がRA107。
もっともF2008とMP4-23がホントに素性が良いかどうかは、今はわからない。それがわかるのは開幕戦。今はといえば、2008年シーズン開始前の「舌戦」です。たと「こりゃダメだ」と思ったとしても、絶対にそうは言わない。
だから「F2008は速い!」とか「MP4-23の第一印象はポジティブ」などというコメントを鵜呑みにすることは出来ないわけです。まっ、どちらもRA108より速いことは間違いないと思うけれど。
そのRA108だけれど、2007年は大失速したホンダが2008年も同じ過ちを繰り返すとは思えない(し、思いたくもない)、何よりのロス・ブラウンの獲得のみならず、アレクサンダー・ブルツをテスト・ドライバー兼第3ドライバーとして迎えたことでも、ホンダの「ホンキ」を知る事が出来ます。背水の陣ですね。
アレクサンダー・ブルツは現在のF1ドライバーの中ではトップクラスに次ぐドライバー。そのブルツが開発専従ではなく、第3ドライバーとしてすべてのレースーに同行するというのだから、二人のレースドライバーにとっては良い刺激と大きなプレッシャーになることでしょう。それが良い結果となって現れることを大いに期待したいしたいものです。
例によって記事本体とは何の関係もない今日の1枚は、紫陽花の冬芽。
ホントに素性の良いマシンはシーズン当初から速くて、シーズン中にますます速くなる。素性の悪いマシンはシーズンを通りして開発が進まない。昨シーズンで言えば前者の例がF2007とMP4-22、後者の例がRA107。
もっともF2008とMP4-23がホントに素性が良いかどうかは、今はわからない。それがわかるのは開幕戦。今はといえば、2008年シーズン開始前の「舌戦」です。たと「こりゃダメだ」と思ったとしても、絶対にそうは言わない。
だから「F2008は速い!」とか「MP4-23の第一印象はポジティブ」などというコメントを鵜呑みにすることは出来ないわけです。まっ、どちらもRA108より速いことは間違いないと思うけれど。
そのRA108だけれど、2007年は大失速したホンダが2008年も同じ過ちを繰り返すとは思えない(し、思いたくもない)、何よりのロス・ブラウンの獲得のみならず、アレクサンダー・ブルツをテスト・ドライバー兼第3ドライバーとして迎えたことでも、ホンダの「ホンキ」を知る事が出来ます。背水の陣ですね。
アレクサンダー・ブルツは現在のF1ドライバーの中ではトップクラスに次ぐドライバー。そのブルツが開発専従ではなく、第3ドライバーとしてすべてのレースーに同行するというのだから、二人のレースドライバーにとっては良い刺激と大きなプレッシャーになることでしょう。それが良い結果となって現れることを大いに期待したいしたいものです。
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郷秋<Gauche>、腱鞘炎になる
3、4日前から右手を握って開く時に、人差し指の付け根あたりがコリコリッというようになっていました。痛みはありませんでしたが、昨日あたりからコリコリッがゴリゴリッに変わり、油が切れたジョイントのような音を立て始めていました。
今朝も、曲げて延ばすときに音はするものの痛みはありませんでしたので、気にせずマウスやペンを握っていたのですが、昼頃から肘から手首の間の筋に痛みが出てきたのでした。たいした痛みではなかったのですが、どんどん悪化してきているようでしたし、明日からは三連休。病院が休みの時に痛みが激しくなったり指が動かなくなったのでは大変ですので、夕方、近所の整形外科に行ってきました。
レントゲンを撮ってもらいましたが、関節や骨そのものには異常はなく、所謂腱鞘炎だとのこと。特に指を使うようなことをしましたかと聞かれたのですが、思い当たらず、強いて言えば、このところかなり集中的にキーボードを叩き、マウスに付いているスクロール用のホイールを回したことくらい。
原因ははっきりしませんが、できるだけ人差し指を使わない方が良いとの事でしたので、指に大きな力がかかったり曲がったりしないようにサポーターをつけることにしました。明らかな効果があり、指を動かす動作は少なくなり、肘から手首にかけての痛みも随分和らいできました。
手の下にあるのは処方箋です。痛み止めの塗り薬、痛みと炎症を抑える飲み薬、同時に飲む胃薬と、三種類の薬をもらってきました。これらの薬の効果もあるのかもしれませんが、痛みが少なくなったことは事実です。
サポーターを着けていると、箸が持ちにくくなりますので、食事の時には左手に箸をもって食べました。郷秋<Gauche>は左手で箸を持つことに不自由しませんし、PCのマウス操作も、ボタンの左右の機能を入れ替えておけば左手操作でも特に問題はないのですが(短時間なら良いのですが、私が使っているマウスは右手専用にデザインされたもののために、長時間の作業には不向きな事が判明。やっぱり不自由です。左右対象な形のマウスを探した方が良さそうです。1/12追記)、キーボードを打つのがなんとしても不自由ですね。それにミスタイプもいつもにも増して多くなります。
と言うわけで、不自由な右手の指をわずかに使いながら、時間をかけて打った今日の記事なのでありました。
自分の右手の写真を撮るのは、ちょっと大変でした(^^;。
今朝も、曲げて延ばすときに音はするものの痛みはありませんでしたので、気にせずマウスやペンを握っていたのですが、昼頃から肘から手首の間の筋に痛みが出てきたのでした。たいした痛みではなかったのですが、どんどん悪化してきているようでしたし、明日からは三連休。病院が休みの時に痛みが激しくなったり指が動かなくなったのでは大変ですので、夕方、近所の整形外科に行ってきました。
レントゲンを撮ってもらいましたが、関節や骨そのものには異常はなく、所謂腱鞘炎だとのこと。特に指を使うようなことをしましたかと聞かれたのですが、思い当たらず、強いて言えば、このところかなり集中的にキーボードを叩き、マウスに付いているスクロール用のホイールを回したことくらい。
原因ははっきりしませんが、できるだけ人差し指を使わない方が良いとの事でしたので、指に大きな力がかかったり曲がったりしないようにサポーターをつけることにしました。明らかな効果があり、指を動かす動作は少なくなり、肘から手首にかけての痛みも随分和らいできました。
手の下にあるのは処方箋です。痛み止めの塗り薬、痛みと炎症を抑える飲み薬、同時に飲む胃薬と、三種類の薬をもらってきました。これらの薬の効果もあるのかもしれませんが、痛みが少なくなったことは事実です。
サポーターを着けていると、箸が持ちにくくなりますので、食事の時には左手に箸をもって食べました。郷秋<Gauche>は左手で箸を持つことに不自由しませんし、PCのマウス操作も、ボタンの左右の機能を入れ替えておけば左手操作でも特に問題はないのですが(短時間なら良いのですが、私が使っているマウスは右手専用にデザインされたもののために、長時間の作業には不向きな事が判明。やっぱり不自由です。左右対象な形のマウスを探した方が良さそうです。1/12追記)、キーボードを打つのがなんとしても不自由ですね。それにミスタイプもいつもにも増して多くなります。
と言うわけで、不自由な右手の指をわずかに使いながら、時間をかけて打った今日の記事なのでありました。
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パナソニックの便器って・・・
松下電器産業株式会社が、今年10月1日付で社名をパナソニック株式会社(英文標記:Panasonic Corporation)に変更し、同時にブランド名をパナソニック(Panasonic)に統一するとの事。
これまで同社は、会社名は松下、白物家電(冷蔵庫や洗濯機、炊飯器など、かつては白かった電気製品の総称)はナショナル、電子機器類はパナソニックと、三つの名前を持っていたわけだが、10月からはパナソニック一本となるわけだ。
会社名とブランドを統一するのは良くある話し。古くはソニー。1955年にブランド名として「ソニー」を使い始めたが、その3年後には、それまでの会社名である東京通信工業(通称:東通工)をソニーにあらためている。1984年に、それまでブランド名として使っていたマツダに社名を変更した東洋工業、1987年に社名をヤマハに変更した日本楽器製造あたりが有名。松下が創業者の名前を捨てようとしているのに対して、マツダとヤマハが創業者の名前に回帰しているのが対照的で面白い。おっと、大事な会社を忘れていた。日本光学も1988年にブランド名のニコンに社名を変更しているぞ。
それにしても、パナソニックのPCとかデジカメ(ちなみに「デジカメ」は1989年に三洋電機が出願した登録商標)というのはわかるけれど、パナソニックの洗濯機とか冷蔵庫、便器までがパナソニックって、慣れの問題だとは思うけど、なんかピント来ないな。
例によって記事本体とは何の関係もない今日の1枚は、ふわりふわりと飛んできて、目の前の石垣の上に着地した綿毛。はてさて、何の綿毛なのでしょうか。
これまで同社は、会社名は松下、白物家電(冷蔵庫や洗濯機、炊飯器など、かつては白かった電気製品の総称)はナショナル、電子機器類はパナソニックと、三つの名前を持っていたわけだが、10月からはパナソニック一本となるわけだ。
会社名とブランドを統一するのは良くある話し。古くはソニー。1955年にブランド名として「ソニー」を使い始めたが、その3年後には、それまでの会社名である東京通信工業(通称:東通工)をソニーにあらためている。1984年に、それまでブランド名として使っていたマツダに社名を変更した東洋工業、1987年に社名をヤマハに変更した日本楽器製造あたりが有名。松下が創業者の名前を捨てようとしているのに対して、マツダとヤマハが創業者の名前に回帰しているのが対照的で面白い。おっと、大事な会社を忘れていた。日本光学も1988年にブランド名のニコンに社名を変更しているぞ。
それにしても、パナソニックのPCとかデジカメ(ちなみに「デジカメ」は1989年に三洋電機が出願した登録商標)というのはわかるけれど、パナソニックの洗濯機とか冷蔵庫、便器までがパナソニックって、慣れの問題だとは思うけど、なんかピント来ないな。
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今年は合唱ブーム到来?
親愛なる神奈川新聞によれば、今年は合唱ブーム到来(になるかも知れない)なのだと言う。その予想の根拠は、2008年上半期に、合唱をテーマにした(ウケそうな)映画2本が封切られるからなのだと(「歓喜の歌」と「うた魂♪」(文字化けしていたとすると、それは八分音符です))。クラシック音楽をモチーフにしたマンガ(勿論「のだめカンタービレ」のことだ)がヒットするとクラシックのCDが売れ、プチ・クラシックブームがやってくる。コーラスをモチーフにした映画がヒットするとコーラスブームがやってくる。実に判り易い。でも、マンガや映画のブームが去ると、クラシックブーム、コーラスブームは間違いなく終焉を迎える。実に判り易い。
戦後(太平洋戦争後ということだ)、大ブームとなった合唱。しかし合唱人口は1980年頃から減少の一途をたどって現在に至っている。中学、高校時代には合唱に夢中であった少女(少年)も、今どき大学生になってまで合唱生活を続けることは稀である。それがだ、映画の影響だとしてもだ、合唱をしてみようと言う人が少しでも増えるのであれば、それはそれでめでたい。と、郷秋<Gauche>は思う。
合唱は、最も大きく開かれたクラシック音楽への入り口である。ピアノにしてもチェロにしてもフルートにしても、それなりの演奏が出来るようになるためには数十万円以上(フルートは十万円程度からか)もする楽器を購入し、何年も練習しなければならない。でも、合唱には何も要らない。身体が楽器だからだ。練習だって必要がない。
長い年月の練習を経なくても、ベートーヴェンの荘厳ミサ曲でも第九でも、バッハのロ短調ミサ曲でも、モーツァルトのレクイエムでも歌えるようになる。楽譜が読めなくても歌えるようになる。隣なりの「歌える人」の真似をしてさえいれば歌えるようになる。とりあえずは。どうしても音が取れないところは「きんぎょ」(口パクとも言う。歌っているフリをして歌詞に合わせて口だけ動かし、音は出さない)でやり過ごし、歌えるところだけ歌えばいい。
勿論、合唱とて極めようとすれば奥が深い。頂上への道のりは長くて険しい。でも、極めなくてもそれなりに楽しめてしまうのが合唱の良いところである。楽しみながら、少しずつ、ゆっくり、一歩ずつ(自分が目標とする)頂上を目指せばよい。だから頂上に立つまでには時間がかかる。長く続けなければならない。極めようとすれば、ピアノやチェロやフルートと同じということだ。合唱映画のヒットと共に合唱を始め、合唱映画のブーム終焉と共に合唱を止めたのでは、高みに立つことは出来ない。音楽に限らず何事でも同じだな(と、自戒の念をタップリ込めて)。
きっかけは合唱映画のヒットであっても良いけれど、ブームが去ると共に止めてしまうのではなくぜひぜひ続けて、長く合唱生活を楽しんで欲しいものである。
注:知っている方は勿論良く知っているけれど、blogには書いたことがないはずだから知らない方が知らないのは当然なのでありますが、実は郷秋<Gauche>、合唱大好き人間なのですよ。
今日の1枚は、落ち葉に降りた霜。緑の葉は「仏の座」のようです。
戦後(太平洋戦争後ということだ)、大ブームとなった合唱。しかし合唱人口は1980年頃から減少の一途をたどって現在に至っている。中学、高校時代には合唱に夢中であった少女(少年)も、今どき大学生になってまで合唱生活を続けることは稀である。それがだ、映画の影響だとしてもだ、合唱をしてみようと言う人が少しでも増えるのであれば、それはそれでめでたい。と、郷秋<Gauche>は思う。
合唱は、最も大きく開かれたクラシック音楽への入り口である。ピアノにしてもチェロにしてもフルートにしても、それなりの演奏が出来るようになるためには数十万円以上(フルートは十万円程度からか)もする楽器を購入し、何年も練習しなければならない。でも、合唱には何も要らない。身体が楽器だからだ。練習だって必要がない。
長い年月の練習を経なくても、ベートーヴェンの荘厳ミサ曲でも第九でも、バッハのロ短調ミサ曲でも、モーツァルトのレクイエムでも歌えるようになる。楽譜が読めなくても歌えるようになる。隣なりの「歌える人」の真似をしてさえいれば歌えるようになる。とりあえずは。どうしても音が取れないところは「きんぎょ」(口パクとも言う。歌っているフリをして歌詞に合わせて口だけ動かし、音は出さない)でやり過ごし、歌えるところだけ歌えばいい。
勿論、合唱とて極めようとすれば奥が深い。頂上への道のりは長くて険しい。でも、極めなくてもそれなりに楽しめてしまうのが合唱の良いところである。楽しみながら、少しずつ、ゆっくり、一歩ずつ(自分が目標とする)頂上を目指せばよい。だから頂上に立つまでには時間がかかる。長く続けなければならない。極めようとすれば、ピアノやチェロやフルートと同じということだ。合唱映画のヒットと共に合唱を始め、合唱映画のブーム終焉と共に合唱を止めたのでは、高みに立つことは出来ない。音楽に限らず何事でも同じだな(と、自戒の念をタップリ込めて)。
きっかけは合唱映画のヒットであっても良いけれど、ブームが去ると共に止めてしまうのではなくぜひぜひ続けて、長く合唱生活を楽しんで欲しいものである。
注:知っている方は勿論良く知っているけれど、blogには書いたことがないはずだから知らない方が知らないのは当然なのでありますが、実は郷秋<Gauche>、合唱大好き人間なのですよ。
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NTTドコモ、PHS事業から撤退
昨日をもって、NTTドコモがPHS事業から撤退した。最盛期の1997年にはNTTドコモ(当時はNTTパーソナル)だけで212万件の契約があったが、PHS事業からの撤退を発表した2006年1月には85万件。昨年末には15万件契約を残していたが、2008年1月7日、1995年のサービス提供開始以来13年間のNTTドコモがPHS事業に幕が引かれた。
2006年にはアステルがPHS事業から撤退していることから、今回のNTTドコモの撤退により、国内のPHS事業者はWILLCOM(ウィルコム)一社となった。昨年11月末の統計によればWILLCOMは485万件の契約があり、携帯電話とPHSを合わせた携帯型電話の総契約数の5%を占めている。
1995年にサービスを開始したPHSは、当時の携帯電話の通話料金や端末機の価格が低廉なことから特に若年層で人気を集めたが、その後の携帯電話の通話料金、端末機の価格下落により顧客離れが進んだ結果、アステルそしてNTTがPHS事業から撤退するに至っている。
以前からの郷秋<Gauche>の独り言の読者諸兄はご存知のとおり、郷秋<Gauche>はPHSのユーザーである。だから、今回のNTTドコモのPHS事業撤退は大変残念である。携帯電話事業者との競争はあるにしても、直接競合するPHS事業者がいなくなってしまったからである。「競争のない事業に発展はない」のは周知の事実。軽自動車メーカーがスズキ一社になってしまったのと同じだと言えば、事の深刻さをご理解いただけるだろうか。
PHSは、はっきり言って、良い。景観を破壊するほど大仰な基地局を造らなくて良い。つまり、基地局の建設費用が低廉である。つまる所は環境負担が小さい。端末機(電話機のことだ)の送信出力が携帯電話の数十分の一(約20mmW)と小さいことから、病院内での利用が可能である(もとより、携帯電話程度の電波による人体への悪影響はないが、医療機器への干渉は有り得る)。音声通話の音質が良い。今でも携帯電話よりも通信料金が安い。などなど、PHSは携帯電話に対する多くのアドバンテージいまだに持っているのである。
ところで、昨年末(つい一週間前のことだ)に15万いたというNTTドコモのPHSユーザーは、今日からはどうしているんだろ・・・。
例によって記事本体とは何の関係もない今日の1枚は、花材としても使われる蔓梅擬(つるうめもどき)。これはなるせの森で見つけたものですが、こんな地味な実でも、色彩の乏しくなった冬枯れの野では目を引きます。
2006年にはアステルがPHS事業から撤退していることから、今回のNTTドコモの撤退により、国内のPHS事業者はWILLCOM(ウィルコム)一社となった。昨年11月末の統計によればWILLCOMは485万件の契約があり、携帯電話とPHSを合わせた携帯型電話の総契約数の5%を占めている。
1995年にサービスを開始したPHSは、当時の携帯電話の通話料金や端末機の価格が低廉なことから特に若年層で人気を集めたが、その後の携帯電話の通話料金、端末機の価格下落により顧客離れが進んだ結果、アステルそしてNTTがPHS事業から撤退するに至っている。
以前からの郷秋<Gauche>の独り言の読者諸兄はご存知のとおり、郷秋<Gauche>はPHSのユーザーである。だから、今回のNTTドコモのPHS事業撤退は大変残念である。携帯電話事業者との競争はあるにしても、直接競合するPHS事業者がいなくなってしまったからである。「競争のない事業に発展はない」のは周知の事実。軽自動車メーカーがスズキ一社になってしまったのと同じだと言えば、事の深刻さをご理解いただけるだろうか。
PHSは、はっきり言って、良い。景観を破壊するほど大仰な基地局を造らなくて良い。つまり、基地局の建設費用が低廉である。つまる所は環境負担が小さい。端末機(電話機のことだ)の送信出力が携帯電話の数十分の一(約20mmW)と小さいことから、病院内での利用が可能である(もとより、携帯電話程度の電波による人体への悪影響はないが、医療機器への干渉は有り得る)。音声通話の音質が良い。今でも携帯電話よりも通信料金が安い。などなど、PHSは携帯電話に対する多くのアドバンテージいまだに持っているのである。
ところで、昨年末(つい一週間前のことだ)に15万いたというNTTドコモのPHSユーザーは、今日からはどうしているんだろ・・・。
例によって記事本体とは何の関係もない今日の1枚は、花材としても使われる蔓梅擬(つるうめもどき)。これはなるせの森で見つけたものですが、こんな地味な実でも、色彩の乏しくなった冬枯れの野では目を引きます。
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郷秋<Gauche>のふるさと(その2)
昨日掲載の写真、見れば見るほど3日に掲載した写真にそっくりです。これを人は「偉大なるワンパターン」と言います。って、自分で言っていれば世話はないけど、まっ、これが郷秋<Gauche>スタイルってことでご容赦願いたいと思います。そうは言いながら、「寄り」の写真がまた似ていたのではさすがになんですので、ちょっと違った感じに撮ったつもりなのが今日掲載の1枚です。
今日までの5枚をご覧いただくと、「郡山ってどんな田舎?」と思われる方も多いことでしょうが、人口34万人の中核都市で、人口、工業出荷額共に県庁所在地である福島市を上回り、またテレビ2局、FM1局を有する名実共に福島県を代表する都市です。「県庁を郡山にもってこい」、という声が明治時代からあったようですが、最近では「県庁くらい福島においておかないと福島の町がだめになっちゃう」という感じが強くなっているような気がしますが、どうでしょうか。
同時に、1965年に旧安積郡の全町村他を合併したことにより、757Km2という広大な面積を有し、中通りの中心都市でありながら、かつては会津藩領地であった猪苗代湖岸まで市域が広がっています。ちなみに昨年8月末にご紹介した日本一の風力発電所、布引高原風力発電所も郡山市内(旧会津藩領内)にあります。
市街地を除く市域には広大な水田が広がり、このために「市」としては米の生産量日本一の座を長らく我がものとしていましたが、2005年にその座を合併後の「新」新潟市に奪われてしまいました。郡山市域にあって、もっとも広大な水田が広がる三穂田町で撮影したのが3日から掲載している写真の数々です。撮影地は、郡山市のほぼ中心に位置するJR郡山駅から西南西15Km程の、会津地方との間に横たわる奥羽山脈も間近に見えるところです。
以上、極々簡単に郷秋<Gauche>のふるさと、郡山を紹介いたしました。郡山での撮影した雪景色の掲載はこれにて終了です。
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郷秋<Gauche>、帰浜
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郷秋<Gauche>、帰省中(その3)
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