唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋<Gauche>の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
郷秋<Gauche>、神奈川新聞を叱る
今日の神奈川新聞17面に「子供のお弁当考(下)」と云うかなり大きな記事が掲載されていた。(下)と云うことは少なくとも(上)あるいは(中)もあったのかも知れないが郷秋<Gauche>にはその記事の記憶がまったくない。
さて、件の記事にこんな記述があった。「同幼稚園の保育士は(後略)」。あえて名前は伏せるが記名の記事である。
幼稚園は、学校である。学校教育法第一条には「この法律で、学校とは、幼稚園、小学校、中学校、高等学校、中等教育学校、特別支援学校、大学および高等専門学校とする。」と書かれている。学校教育法の第一条に規定されていることから、上記の学校を「一条学校」と云う。学校で園児、児童、生徒らを教え「先生」と呼ばれる人は各校種(教科)に応じた教諭の免許状をもった「教諭」である。幼稚園は第一条学校であるから、そこで「先生」としての仕事を担当するのは「幼稚園教諭」の免許状を持った「教諭」である。
一方、「保育士」とは児童福祉法施行令第13条に規定された「児童福祉施設において児童の保育に従事する者」のこと、判り易くそして代表的な例で云えば、児童福祉法第24条に規定された保育所(何らかの理由によって十分な保育が受けられない0歳から小学校入学前までの乳幼児を対象として保育を行う施設)の「先生」のことである。教諭も保育士も、一般的にはどちらも「先生」と呼ばれることから紛らわしいいことは確かである。
なお、近年の幼保一元化(どちらも同じ年齢の幼児を対象としながら、文部科学省管轄の幼稚園と厚生労働省管轄の保育所と云う縦割り行政による弊害が目立つことから保育及び教育を一体的に提供しようとする動き)が活発になり「認定こども園」が増えつつある。ここで働く「先生」には幼稚園教諭免許を持った教諭と、保育士資格を持つ「保育士」の両方(あるいは両方の免許と資格を持つ)がいることになる。ただし、件の記事に登場するのは「幼稚園」と明記されている。
件の記事を書いた記者は、学校である幼稚園とそこで働く教諭、児童福祉施設である保育所とそこで働く保育士を完全に混同している。先にも書いたようにどちらも「先生」と呼ばれることから一般的には区別しにくいかも知れないが、子供の教育あるいは保育の問題を書く立場にある者ならば、当然知っておからければならない「基本の『き』」である。
せっかく15日に褒めたばかりの神奈川新聞なのに、早速まったくお粗末な記事の登場である。これはやっぱり、よりより神奈川新聞とするために、揚げ足取り、否、「叱咤激励」を続けなければならないようである。
P.S. 今日の記事本論とは離れるが、記事で紹介されている横須賀市の津久井幼稚園の園長、白米の大事さを提唱するのは良いとしても、「朝の家庭のにおいが、(ご飯に合う)みそ汁から(パンに合う)油でいためた卵焼き(郷秋<Gauche>注:スクランブルエッグのことか)にならないように、ご飯の大切さを提唱したい」と主張している。随分と偏った考え方の園長だ。
朝ご飯がパンではいけないんですか?ご飯にスクランブルエッグじゃ駄目なんですか?パンにみそ汁ではだめなんですか?と、郷秋<Gauche>は聞きたいぞ。
例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、恩田の森唯一の水系、奈良川で羽を休める白鷺。体長からはコサギではないかと思われますが詳細は不明。この写真から判別できる方がいましたら是非ともお教えください。
さて、件の記事にこんな記述があった。「同幼稚園の保育士は(後略)」。あえて名前は伏せるが記名の記事である。
幼稚園は、学校である。学校教育法第一条には「この法律で、学校とは、幼稚園、小学校、中学校、高等学校、中等教育学校、特別支援学校、大学および高等専門学校とする。」と書かれている。学校教育法の第一条に規定されていることから、上記の学校を「一条学校」と云う。学校で園児、児童、生徒らを教え「先生」と呼ばれる人は各校種(教科)に応じた教諭の免許状をもった「教諭」である。幼稚園は第一条学校であるから、そこで「先生」としての仕事を担当するのは「幼稚園教諭」の免許状を持った「教諭」である。
一方、「保育士」とは児童福祉法施行令第13条に規定された「児童福祉施設において児童の保育に従事する者」のこと、判り易くそして代表的な例で云えば、児童福祉法第24条に規定された保育所(何らかの理由によって十分な保育が受けられない0歳から小学校入学前までの乳幼児を対象として保育を行う施設)の「先生」のことである。教諭も保育士も、一般的にはどちらも「先生」と呼ばれることから紛らわしいいことは確かである。
なお、近年の幼保一元化(どちらも同じ年齢の幼児を対象としながら、文部科学省管轄の幼稚園と厚生労働省管轄の保育所と云う縦割り行政による弊害が目立つことから保育及び教育を一体的に提供しようとする動き)が活発になり「認定こども園」が増えつつある。ここで働く「先生」には幼稚園教諭免許を持った教諭と、保育士資格を持つ「保育士」の両方(あるいは両方の免許と資格を持つ)がいることになる。ただし、件の記事に登場するのは「幼稚園」と明記されている。
件の記事を書いた記者は、学校である幼稚園とそこで働く教諭、児童福祉施設である保育所とそこで働く保育士を完全に混同している。先にも書いたようにどちらも「先生」と呼ばれることから一般的には区別しにくいかも知れないが、子供の教育あるいは保育の問題を書く立場にある者ならば、当然知っておからければならない「基本の『き』」である。
せっかく15日に褒めたばかりの神奈川新聞なのに、早速まったくお粗末な記事の登場である。これはやっぱり、よりより神奈川新聞とするために、揚げ足取り、否、「叱咤激励」を続けなければならないようである。
P.S. 今日の記事本論とは離れるが、記事で紹介されている横須賀市の津久井幼稚園の園長、白米の大事さを提唱するのは良いとしても、「朝の家庭のにおいが、(ご飯に合う)みそ汁から(パンに合う)油でいためた卵焼き(郷秋<Gauche>注:スクランブルエッグのことか)にならないように、ご飯の大切さを提唱したい」と主張している。随分と偏った考え方の園長だ。
朝ご飯がパンではいけないんですか?ご飯にスクランブルエッグじゃ駄目なんですか?パンにみそ汁ではだめなんですか?と、郷秋<Gauche>は聞きたいぞ。
![]() |
![]() |
例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、恩田の森唯一の水系、奈良川で羽を休める白鷺。体長からはコサギではないかと思われますが詳細は不明。この写真から判別できる方がいましたら是非ともお教えください。
コメント ( 0 ) | Trackback ( )