村上春樹氏、落選

 今年のノーベル賞各賞が発表されつつある。鈴木章、根岸英一両氏の化学賞受賞が決まった。ここ数年来文学賞の候補に挙がっていると云われている村上春樹氏の事が気になっていたファンも多かったことと思うが、今年の文学賞はペルーの作家、マリオ・バルガス・リョサ氏が受賞することとなった。つまり、村上春樹氏は落選である。

 かつて井上靖氏が、毎年この時期になると受賞を知らせる電話を待っていたと聞いたことがある。そして仲間と一緒に、残念、残念と、きっと「選考委員の連中は文学の何たるかを知らんのだよ」などと云いながら悔し紛れの酒をあおっていたのだろうと郷秋<Gauche>は思う。

 さて、村上氏。郷秋<Gauche>に云わせれば氏の作品は、実に大変非常に手の込んだ(創り込んだ)飛び切り上等な娯楽小説だと思っている。つまり、郷秋<Gauche>的には彼の作品は純文学じゃないんだな。それじゃ、娯楽小説と純文学作品の定義は何かと聞かれると困るのだが、郷秋<Gauche>的には村上氏の作品は純文学作品には分類されていないということだ。

 過去に日本人でノーベル文学賞の候補になったと云われている作家には谷崎潤一郎、井上靖、三島由紀夫、安部公房、遠藤周作などがいるが、実際に受賞したのは川端康成と大江健三郎の二人のみである。先に挙げた5氏がいずれも受賞できないまま没したことを考えた時、果たして村上氏に受賞のチャンスが巡って来るかどうか、郷秋<Gauche>は大いに疑問である。

 つまりだ、村上作品が全世界的に売れているからと云って、だからノーベル文学賞はないだろうと云うことである。彼の作品に人が人たり得る根本的な問題に対する問いかけ、回答もしくは一定以上のヒントを提示した作品があるのか、云ってしまえば、谷崎、三島、遠藤と云った作家が到達し得た、人間性の根幹を問う、純文学作品としての高みに至った作品があるのかと云うことである。

村上氏の諸作品が、あるカテゴリの中でその高みに達したことを郷秋<Gauche>は大いに認めるが、果たしてそれがノーベル文学賞選考の時に語られるべきカテゴリなのかどうか。村上氏の才能はノーベル文学賞とは違った次元で語られ、かつ賞されるべきであろうと郷秋<Gauche>は思うぞ。

注:ノーベル賞は最終的な受賞者だけが発表され、候補となった方の氏名などは50年間公開されないこととなっているようである。従って村上氏はもちろんの事、先に挙げた谷崎潤一郎以下5人の作家も、あくまでも候補であったことが推定される、と云う話である。


 例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、恩田の森、白山谷戸の稲刈り。一昨日ご覧いただいた写真とほとんど同じ立ち位置での撮影ですが、レンズの画角と絞りを変えることで全く違った絵を創ることができます。これが写真の醍醐味ですね。
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