こんなに多いのか・・・

 先週の土曜日に小石川植物園に、そして一昨日は湯河原梅林に行ってきたことはいずれもblogに書いた。寒桜や梅が見頃で、いずれも遠方まで出かけた甲斐があったのだが、小石川と湯河原に共通した驚きがあったことを、今日は書きたい。

 どちらにも、熟年写真愛好家が大勢いたのである。果たして広辞苑的には何人以上を「大勢」と言うのか知らないが、5人や10人、20人や30人ではない「大勢」である。

 湯河原の方はある程度はいるだろうと予想していたけれど、小石川植物園の方はちょっとビックリの数だった。歳の頃はと言えば、60は若造、80手前も珍しくない平均69.6歳(郷秋<Gauche>の直感的平均につき、それを裏付ける客観的なデータはない。為念)。ひょとしたら女性の方が多いのではないかと思えるほど大勢だったのも驚きだったな。

 カメラは圧倒的にフィルム方式一眼レフ(以下FSLRとする)。最近のDSLR(デジタル方式一眼レフ)の売れ行きから考えると、どうしたのかと思うほどDSLRが少ない。昨秋行われた幼稚園・小学校の運動会ではDSLRのオンパレードだったと聞いているが、やはり年齢の差から来ているのだろうな。

 コンパクトタイプのデジタルカメラならいざ知らず、同じデジタルでもSLR(一眼レフ)になると、その性能をフルに生かすためにはどうしてもPCが必要になってくる。ところが、先にあげた年代の方、特に女性の中にPCを使えない方が多いことが想像される。デジタル・デバイド(情報格差)というヤツだ。流行のDLSRを使ってみたいと思ってもPCにまでは手が出せずにFSLRを使い続けている方を、郷秋<Gauche>は4、5人知っている。
 
 もう一つ驚いたのは、殆どの方が三脚持参であること。おそらくは写真教室で「風景写真を撮る時には三脚を使いましょう」と教えられたことを忠実に守っているのだろうが、その三脚たるや、華奢な4段式が圧倒的であり、失礼ながら余りや役に立ちそうにない感じを、郷秋<Gauche>は受けた。オマケに三脚を使いながらシャッターボタンを指で直接押しているのだ。三脚を使うならば、レリーズ・ケーブルを使わないと意味がないんじゃないかな。

 更に驚いたことは、半数以上と思われる方がホットシューに水準器を付けていたことである。使う必要がないと思っているから郷秋<Gauche>は水準器を持っていない。

 建築写真、たとえば建物を下から見上げるような写真の場合、「アオリ」を使って上方がすぼまないように撮影する。しかし、実際に人間が見上げれば、建物の下方より上方が小さく見えるわけだから、「アオリ」を使って取った写真は実際に見た感じとは随分ちがった印象を与えることになる。

 まっすぐ天に向かって伸び上がった杉の木はどこから見てもまっすぐに立っているが、水平線は見る角度によってまっすぐに見えたり、左右のどちらかに傾いて見えたりする。自分が立っている場所がわずかに傾斜していたならば、真正面に実は水平に見えるはずの水平線が少し傾いて見えるかもしれない。その時に、もし水準器を使って水準を合わせたカメラで撮影したならば、実際に少し傾いて見えた水平線ではなく、写真には傾いていない水平線が写りこむことになるのだろ。それは一見正しい写真のように思えるかも知れないけれど、少なくとも写真を撮ろうとた「私」が見ていた景色とは少し違ったものになっているはずである。事実と現実の相違だ。

 風景写真は、遺跡の発掘現場の記録写真ではない。肉眼で見たときの印象を、その美しさ、優しさ、逞しさを伝えるのが風景写真であるなら、正しい水平よりも「見た目の水平」が優先されるべきある。

 もう10年近く前のこと、建築中の自宅の進み具合を見に行った時に、棟梁からこんなことを聞いた。それは八畳の和室の天井を作っていたときのことである。棟梁は「八畳以上の部屋の時には、天井の真ん中を少し、10~15mm高く作るんだよ。そうしないと天井が垂れ下がってみえるからね」と言って、垂木で作った物差しで天井の高さを確認していた。なるほど「錯視」の補正である。

 自然の美しさは、見た目の美しさである。本当は水平であったとしても、少し斜めに見えたのであれば、そのように撮ればいいと、郷秋<Gauche>は思っている。だから郷秋<Gauche>は水準器を使わない(持っていない)。もっとも、天に向かってまっすぐに伸びているヒノキが傾いて見えては不都合な時もある。そんな時のためには方眼マットのファインダースクリーンを入れておけばいい。水平・垂直の基準線の表示・非表示を選べるカメラの場合には「表示」させて、その線に木立なり建物の垂直線を合わせればよいのである。

 話がちょっと横道にそれたが、とにかく郷秋<Gauche>は、熟年写真愛好家、それも女性の愛好家が多いのに驚いた。皆さん熱心に作品作りに専念したのに感銘を受けた。撮影は程ほどに、小田原駅の買い込んだ小鯵の押し寿司(今回は東華軒)をつまみにしてビールを飲んだくれていた郷秋<Gauche>とは大違いである。脱帽。


 今日の1枚は、郷秋<Gauche>にしては珍しい縦位置の写真。湯河原梅林、冬枯れの樹と梅の絨毯の図。
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