『人生万歳!』 ウディ・アレン監督 ☆☆☆☆☆
英語版ブルーレイで再見。前にiTunesで観てすっかり気に入り、セリフが多いし難しいしで日本語字幕付きのブルーレイを買おうと思ったら、日本ではブルーレイが発売されていない。いい映画なので日本でもブルーレイを発売すればいいのに。
主演のラリー・デイヴィッドはもともと人気コメディドラマ『Seinfeld』の脚本家だが、最近じゃHBOの『Curb Your Enthusiasm』の作家兼出演者という方が通りがいいだろう。日本でどれくらいの人が知っているか分からないが私はこの番組が大好きで、過去全シーズン分のDVDを揃えている。ウディ・アレンはこの映画でラリー・デイヴィッドを主役に据えたわけだが、ユダヤ人で、饒舌で、理屈っぽくて、普通の人が割り切って受け流すことにもこだわって周囲の人間に煙たがられるというキャラは、ウディ・アレン自身とよく似ている。もと天才的な物理学者だがパニック障害になって自殺未遂を起こし、離婚し、今では世捨て人となってニューヨークのヴィレッジに住んでいるというボリスのヒネクレぶりは、確かにラリー向きのキャラクターと言えるだろう。
さて、物語はウディ・アレンにありがちなおとなの恋愛模様で、ボリスのところへまず家出娘のメロディが転がり込む。やむなく数日だけ泊めてやるつもりだったが一か月を越え、ある日メロディから好きだと告白される。年齢も違うしダメだと断ったボリスだが、メロディが若い男からナンパされデートした夜に自分も彼女が好きだと気づき、結婚する。次にメロディの母親が娘を探しにやってきて、ニューヨークで暮らし始める(夫は女と逃げた)。ラリーの友人から写真の才能を見出され、ファッションから何から芸術家風になり、男の恋人を二人作ってボヘミアン風に三人で同棲を始める。ボリスが嫌いな彼女は若いイケメンのランディをメロディに引き合わせる。するとメロディもランディが好きになってしまう。更にメロディの父親が娘を探しにやってきて、母親に謝ってもとサヤを狙うがすっかり芸術家に変身した元妻を見てショックを受け、バーで飲んでいる時にゲイの男と出会い、これまでの人生ずっと自分を偽って生きてきたことに気づく。
この後はまあ見てのお楽しみだが、ラストは大晦日の夜のパーティーに全員が揃い、ラリーは観客に「人生に意味はない。最後には死がやってくる。だから人生を幸福にするものなら何でもあり、どんなものでもオーケーなんだ」と語りかけて終わる。
原題は「Whatever works」、つまり役立つことならなんでも。ボリスが最後に観客に語りかけることであり、これ以上ないほど明確なメッセージを持った映画と言っていいだろう。人生は空虚であり、無意味であり、ゼロだ、とボリスはこの映画の中で口癖のように繰り返す。ペシミスティックで人間嫌いのボリスらしいセリフだが、だからこそ多少なりともあなたの人生に幸福をもたらすものを大切にしなさい、それがどんなものであっても、というハッピーで感動的なメッセージに、この軽やかでかつひねくれた物語は帰着する。要するに、人のいうことなんか気にせず好きなことをしろ、ということだ。人生は短いぞ。
もう一つこの映画の特徴は、ボリスが画面の中から直接観客に語りかける仕掛けである。冒頭でいきなり長々と話しかけ、その後もポイントポイントで観客に向かって喋る。メロディにコクられた後、観客に「おい、ちょっと話そう」と言って部屋の隅っこに移動するシーンはおかしかった。ちなみにこれができるのはボリスだけで、他のキャラはボリスが喋っているのを見て「誰がいるんだ?」「誰もいないぞ」「頭おかしいんじゃないか」と不審がる。ボリスは天才なので、自分たちが映画の中の存在であり観客に見られていることを知っているのである。このメタフィクショナルな仕掛けは当然映画のマジメさを打ち消し、リアリズムを弱めて浮遊感をもたらす。
ストーリーも同じその不真面目なトーンで貫かれているため、都合がいい展開や緩いギャグも意図的なものとして愉しめる。白けるのではなく、自由自在なフィクションの風通しの良さを爽快感をもって味わえるのである。アイロニーたっぷりのボードヴィル調の恋愛喜劇は昔ながらのアレン節だが、もう一つの特徴だったニューヨーク的な抒情性、湿り気、センチメンタリズムはきれいに払拭され、徹底的に享楽的、悦楽的なムードが溢れている。これがウディ・アレン晩年の境地ということだろう。好みもあるだろうが、これはこれでとてもチャーミングだ。自殺未遂やパニック障害や離婚を語っても終始微笑みまじりのようなこの映画が、私は大好きである。
ところでボリスは皮肉屋なので他人との会話でことごとくひねくれぶりを発揮するが、その会話の面白さもこの映画の大きな魅力だ。セックスのくだらなさから古代人の日常の悩み、あるいは『風とともに去りぬ』から『素晴らしき哉、人生』まで、博学なボリスのおちょくりの対象はどこまでも広がっていく。
またその不思議な行動も秀逸なギャグになっていて、手を洗う時に必ず「ハッピーバースデイ」を歌う習慣と、友人が誰かに会おうとすると必ず「おれの情報を渡さないでくれ」と頼む癖がおかしい。メロディがボーイフレンドを連れてきた時の「ID見せてくれ」も笑った。
それにしてもメロディは超かわいい。性格もメッチャいいし、あの子と一緒に住んでいたら好きにならずにはいられないと思います。
英語版ブルーレイで再見。前にiTunesで観てすっかり気に入り、セリフが多いし難しいしで日本語字幕付きのブルーレイを買おうと思ったら、日本ではブルーレイが発売されていない。いい映画なので日本でもブルーレイを発売すればいいのに。
主演のラリー・デイヴィッドはもともと人気コメディドラマ『Seinfeld』の脚本家だが、最近じゃHBOの『Curb Your Enthusiasm』の作家兼出演者という方が通りがいいだろう。日本でどれくらいの人が知っているか分からないが私はこの番組が大好きで、過去全シーズン分のDVDを揃えている。ウディ・アレンはこの映画でラリー・デイヴィッドを主役に据えたわけだが、ユダヤ人で、饒舌で、理屈っぽくて、普通の人が割り切って受け流すことにもこだわって周囲の人間に煙たがられるというキャラは、ウディ・アレン自身とよく似ている。もと天才的な物理学者だがパニック障害になって自殺未遂を起こし、離婚し、今では世捨て人となってニューヨークのヴィレッジに住んでいるというボリスのヒネクレぶりは、確かにラリー向きのキャラクターと言えるだろう。
さて、物語はウディ・アレンにありがちなおとなの恋愛模様で、ボリスのところへまず家出娘のメロディが転がり込む。やむなく数日だけ泊めてやるつもりだったが一か月を越え、ある日メロディから好きだと告白される。年齢も違うしダメだと断ったボリスだが、メロディが若い男からナンパされデートした夜に自分も彼女が好きだと気づき、結婚する。次にメロディの母親が娘を探しにやってきて、ニューヨークで暮らし始める(夫は女と逃げた)。ラリーの友人から写真の才能を見出され、ファッションから何から芸術家風になり、男の恋人を二人作ってボヘミアン風に三人で同棲を始める。ボリスが嫌いな彼女は若いイケメンのランディをメロディに引き合わせる。するとメロディもランディが好きになってしまう。更にメロディの父親が娘を探しにやってきて、母親に謝ってもとサヤを狙うがすっかり芸術家に変身した元妻を見てショックを受け、バーで飲んでいる時にゲイの男と出会い、これまでの人生ずっと自分を偽って生きてきたことに気づく。
この後はまあ見てのお楽しみだが、ラストは大晦日の夜のパーティーに全員が揃い、ラリーは観客に「人生に意味はない。最後には死がやってくる。だから人生を幸福にするものなら何でもあり、どんなものでもオーケーなんだ」と語りかけて終わる。
原題は「Whatever works」、つまり役立つことならなんでも。ボリスが最後に観客に語りかけることであり、これ以上ないほど明確なメッセージを持った映画と言っていいだろう。人生は空虚であり、無意味であり、ゼロだ、とボリスはこの映画の中で口癖のように繰り返す。ペシミスティックで人間嫌いのボリスらしいセリフだが、だからこそ多少なりともあなたの人生に幸福をもたらすものを大切にしなさい、それがどんなものであっても、というハッピーで感動的なメッセージに、この軽やかでかつひねくれた物語は帰着する。要するに、人のいうことなんか気にせず好きなことをしろ、ということだ。人生は短いぞ。
もう一つこの映画の特徴は、ボリスが画面の中から直接観客に語りかける仕掛けである。冒頭でいきなり長々と話しかけ、その後もポイントポイントで観客に向かって喋る。メロディにコクられた後、観客に「おい、ちょっと話そう」と言って部屋の隅っこに移動するシーンはおかしかった。ちなみにこれができるのはボリスだけで、他のキャラはボリスが喋っているのを見て「誰がいるんだ?」「誰もいないぞ」「頭おかしいんじゃないか」と不審がる。ボリスは天才なので、自分たちが映画の中の存在であり観客に見られていることを知っているのである。このメタフィクショナルな仕掛けは当然映画のマジメさを打ち消し、リアリズムを弱めて浮遊感をもたらす。
ストーリーも同じその不真面目なトーンで貫かれているため、都合がいい展開や緩いギャグも意図的なものとして愉しめる。白けるのではなく、自由自在なフィクションの風通しの良さを爽快感をもって味わえるのである。アイロニーたっぷりのボードヴィル調の恋愛喜劇は昔ながらのアレン節だが、もう一つの特徴だったニューヨーク的な抒情性、湿り気、センチメンタリズムはきれいに払拭され、徹底的に享楽的、悦楽的なムードが溢れている。これがウディ・アレン晩年の境地ということだろう。好みもあるだろうが、これはこれでとてもチャーミングだ。自殺未遂やパニック障害や離婚を語っても終始微笑みまじりのようなこの映画が、私は大好きである。
ところでボリスは皮肉屋なので他人との会話でことごとくひねくれぶりを発揮するが、その会話の面白さもこの映画の大きな魅力だ。セックスのくだらなさから古代人の日常の悩み、あるいは『風とともに去りぬ』から『素晴らしき哉、人生』まで、博学なボリスのおちょくりの対象はどこまでも広がっていく。
またその不思議な行動も秀逸なギャグになっていて、手を洗う時に必ず「ハッピーバースデイ」を歌う習慣と、友人が誰かに会おうとすると必ず「おれの情報を渡さないでくれ」と頼む癖がおかしい。メロディがボーイフレンドを連れてきた時の「ID見せてくれ」も笑った。
それにしてもメロディは超かわいい。性格もメッチャいいし、あの子と一緒に住んでいたら好きにならずにはいられないと思います。
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