アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

女の中にいる他人

2011-04-20 21:43:34 | 映画
『女の中にいる他人』 成瀬巳喜男監督   ☆☆☆☆★

 成瀬監督晩年の作品をDVDで再見。遺作である『乱れ雲』のひとつ前の作品だ。

 いつもの成瀬映画を予想してこれを観ると激しく戸惑うことになる。日常の営みの中のさざ波を細やかに描く、といういつものスタイルとはかけ離れている。何を血迷ったかこれはサスペンスもの、ノワールなのである。が、そこはやはり成瀬監督ならではノワールになっており、日本のミステリー映画にありがちな「火曜サスペンス劇場」的なノリは微塵もない。さすがである。成瀬ファンの好みは分かれるかも知れないが、見ごたえのある映画であることは間違いない。

 サスペンスといってもアクション場面などは全然なく、全篇静かに、ゆっくりと進む心理ものである。警察に追いつめられたり、意外な手掛かりが出てきたり、あっと驚くどんでん返しがあったり、という映画ではない。そういう意味での緩急はあまりつかず、従ってエンタメ色は強くない。全体に暗い画面が多く、ひんやりした静謐感が常に漂っている。クールだ。さっき静かにゆっくり進むと書いたが、表面的にはゆっくりでもその裏にぴんと張りつめたものがある。不安感と緊張感が常に漂っている。暗い画面が多いため人物の顔は陰影が強調され、時折目を見開いたままこわばっている表情がアップになったりしてますます息苦しくなる。そもそも主演の小林桂樹がずっと鬱々としているので、雰囲気はかなり陰気である。

 が、この緻密な心理描写、ぴんと張りつめたモノクロ画面の厳しさはまぎれもなく『流れる』『浮雲』の監督のもの。一級品だ。ストーリー展開も説得力があり、安直さは微塵もない。べとべとした感傷もない。

 田代(小林桂樹)は美しい妻・雅子(新珠三千代)と二人の子供を持つ管理職のサラリーマンだが、親友である杉本(三橋達也)の妻が殺されるという事件が起きた後、いつも塞ぎこんで何かを思い悩むようになる。そしてある嵐の夜、ついに雅子に告白する。あの女を殺したのは実はおれなんだ、と。雅子は衝撃を受けながらも、それを二人だけの秘密にしようと言うが、田代は気がすまず、次に杉本に告白する。杉本は田代を殴るが最終的には彼を許し、警察には黙ってろと言う。しかし田代はまだ気がおさまらず、自分の罪悪感を何とかしたいと考えるのだった…。

 前半は、ふとした過ちで人を殺してしまった男が罪悪感に苦しむ、『罪と罰』系の話に思える。田代を苦しめる罪悪感が観客にも重くのしかかってくるし、田代の犯罪がいつばれるかとハラハラする。が、一度妻に告白してからは、田代はほとんど異常な告白魔と化す。妻へは二度の告白、つまり最初は浮気の告白、二回目は「実はあれだけじゃないんだ」と殺人の告白をするし、あろうことか被害者の夫である杉本にまで告白してしまう。そして告白直後には「ああ、気分がすっとした」なんて言っているが、すぐにまた別の誰かに告白したくなるのである。その様子はまるで告白することにマゾヒスティックな快感を味わっているかのようで、微妙にヘンだ。観客はどうも彼に感情移入しづらくなってくる。

 その代わり誰に感情移入するかというと、田代の妻の雅子である。雅子は田代の告白に最初は衝撃を受けて彼を責めるが、やがて、自分と子供のためにそれを秘密にしておくように頼む。遵法の観点からはけしからんことだろうが、人情としては理解できる。おまけに田代は「気分が軽くなった」なんてのんきなことを言っているが、雅子は何の罪もないのに暗い秘密を共有して苦しむことになる。自分だけの正義感で告白したがる田代が自分勝手な男に思えてくる。

 こうして心理ドラマの主役が徐々に田代から雅子にシフトしていく。このシフトが非常に巧妙なので、あの結末が見事に決まることになる。最後は良妻賢母だった雅子の恐ろしい変貌と、彼女が背負った十字架の重み、という二つの意味でとても重たい。果たして彼女は、どこまでそれを背負っていけるのだろうか。
 
 こう考えると、この物語が田代の十字架がそっくりそのまま妻の雅子に移行する話のようである。しかしもっと勘ぐれば、田代はもともと自分を罰したいという倒錯した欲求の持ち主で、女を殺したのも実は「殺人犯となって誰かに告白したい」という無意識のなせるわざだったのかも知れない。殺人の動機は結局はっきりしないのだ。そう考えると物語の性格はがらりと変わり、真の主人公は最初から雅子だったことになる。なかなか奥が深い。高尚かつ文学的なサスペンス・ドラマだ。

 殺される女の役は若林映子で、出番は少ないが妖しい印象を残す。特撮系の映画によく出ていた女優さんだが、確かに日本人離れした美貌だ。脇を固める役者も渋い。田代の母親役の長岡輝子もいいし、ちらっとしか出てこない刑事の稲葉義男も印象に残る。この手の作品ももういくつか撮って欲しかった、と思わされる佳作である。
 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿