崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

ある在日教会の民族主義

2006年06月14日 06時22分05秒 | エッセイ
 ある在日教会に出席した。十字架の横に韓国の国旗がかけてあり、ほぼ韓国の留学生やニューカマーが集っていた。礼拝ではもっぱら韓国語であり、日本語はたった一つの単語もない。牧師は「祖国賛歌」を先導して礼拝が始まり賛美歌や祈りなどは大量の音声、大声、そして説教は冗談を交えながら笑わせる。また賛美歌に「祖国賛歌」が繰り返される。祈りも民族主義的であり、日本は祈りの対象ではない。「在日教会」から「韓国教会」へ変わった印象が強い。目下イスラム教について講義している者としてはその在日教会がユダヤ教会であるように錯覚するほどであった。

スポーツの面白さ

2006年06月13日 05時46分06秒 | エッセイ
 昨夜日本とオストラリアとのサッカーの試合を見た。最近野球やサッカーなどを見るようになった。いろいろ観戦の面白さが解ってきた。勝敗は実力と運の混合のようなものであろう。実力者が必ずしも勝つとは限らず、運という要素がある。スポーツの中では実力そのもので勝負が決まるようなものが多いが、そこに運とかゲーム性というものが加味されてもっと面白くなる。
 人生も同様である。実力で決まった道を歩くわけではない。実力や努力に加えて運というものが、時には幸せに、時には失望に関与する。それが人生の面白さかもしれない。

映像民俗学の会

2006年06月12日 06時06分04秒 | エッセイ
 東京で映像民俗学の会がジョンマーシャルの記録映像3篇を約4時間上映した。彼が50年間かけてカラハリの狩猟民がライオンに追われて被害を受けながらも自然保護政策のためにライオンを殺すことができない葛藤に注目し、結局隔離し観光化する一方、砂漠に井戸を掘って農民化していく過程を描いた。彼が続けて撮った執念深さと問題点に注目したことに感動した。しかし動物を殺す場面毎に私は目を閉じた。学生時代に学んだ孟子の「不忍之心(残酷なことを見るに耐えられない心)」を思い出した。ある人はから人類学者なのになぜそのように弱いのかと非難されたこともある。自分では命は大事にするものだという心の表れだと思っている。

定年した先輩夫婦

2006年06月11日 22時12分13秒 | エッセイ
 定年した先輩夫婦に久しぶりに会った。定年を迎えたことが嬉しいという。多くの人が労働という束縛から開放感を味わうと言う。アイランドから来た人も社会福祉で老後を暮らすことは楽しいといったのを思い出す。私はそのような話を聞くたびに戸惑う。私は職場から離れることを寂しく思っているからである。
 私は社会福祉のよいと思った日本に来てみて期待はずれを感じている。少なくとも大学教員に対する待遇は韓国の方が良い。ただ研究に対する雰囲気が日本がよいと思っており、このような活動の場を長く持ち続けたいと思っている。

私の信条

2006年06月10日 06時03分21秒 | エッセイ
 私が韓国や日本について書いているものに批判がある。時には「あなたはどの国に味方をするのか」と問われることもある。しかし、私ははじめからどちらかに味方をするとは決めていない。ただ「味方」という言葉で考えるならば特定な国ではなく、「善」側に味方をする。国に関係なく、良いものは良いし、悪く思われることには批判する。これが私の信条である。



愛妻弁当とは

2006年06月09日 06時49分51秒 | エッセイ
 妻の車で8時前に大学に到着して7時過ぎに帰宅する生活をしている。40年以上の大学勤務の中で一番まじめに勤務している。家内が作ってくれる「愛妻弁当」を食べる。弁当に入っているものはすべて食べるようにしている。私が好まない梅干なども入っていて食べないといけないと思っている。家内は栄養のバランスを考えて入れているからである。それが名実共にに「愛妻弁当」であろう。そのお陰で健康を守っているのかもしれない。

豊かな心とは

2006年06月08日 05時10分36秒 | エッセイ
 日本は物質的に豊かである。しかし仕事に追われて、考える余裕もないままに時間を過ごし、ふっとこのままでいいのだろうかと不安になる。日々の暮らしの中に守るべき規則やルールが多い。そして一定のものを守っても自分の世界が確保されず、常に侵害されるのではないかという危機感がある。つまり日本の社会では個人主義が育っていないから不安になるのである。
 

試験問題を映像で

2006年06月07日 06時00分01秒 | エッセイ
 常に新鮮な講義スタイルの改革を考えている。レジュメや資料を配り、プロジェクターでみせるなどして講義をしてみた。しかしそれでは学生たちはノートすることもなく、筆記道具も持たず受身的になってしまう傾向がある。そこで私は考える、ノートをとる講義に変えようとして、パワーポイントを使い、自分で撮った映像(ムービーと写真)を主に使いながら思考する時間を与え、ノートを取らせた。そして比較文化論の試験問題を講義した映像から出してみた。沖縄の洗骨の画面と籾を乾燥させる画面をカラープリントで出した。映像は見て流すものではない。メッセージを伝えるものである。しかし学生たちは少し戸惑ったような表情をした。今後とも、学生の反応や意見を取り入れながら、楽しく、そして、学生の身につくような講義をしていきたい。

望みとは

2006年06月06日 05時51分00秒 | エッセイ
 キリスト教には大きいメッセージがある。「信」「望」「愛」である。その中で望みは他の二者に比べて強調することが少ないようである。しかし次第にそれが大切であると強く感ずるようになった。ある友人は貯蓄した金で旅行して、またある人は豪華な生活を楽しんでいるという。天国や極楽を信じることなく、ただ現世主義にまじめに生きてきたということから死は絶望の極まりである。
 私は自分で信仰をもって早くから死を考えてきたがこの望みの問題になると「望」を十分信じていないことを悟った。自分が死んだらこの社会とはまったく関係がなくなるのだろうか。天国や極楽をホンキで信じている人が幸せであると羨ましく思う。今、柳田國男が自分が死んだら、村の小山から自分が住んだ村を見下し、見守れるような民間信仰に関心を見せたことが心から理解できる。

フィルムのスキャンしながら

2006年06月05日 05時55分03秒 | エッセイ
 古いフィルムをスキャンして整理している。人生を整理する気持ちであり、懐かしい時代を回想する時間である。大量の写真の映像を見ながら、なぜこのように多く写真を撮ったのかと反省する。少なくとも9割くらいを捨てる。捨てる写真を見ながら無駄なことも多かった人生だったと悲しくなる。これから10年後に整理する時は、ほぼ捨てるものかもしれない。人生の終わりに近づいていくのを感ずる。

映画鑑賞

2006年06月04日 06時38分07秒 | エッセイ
 小倉のチャチャタウンで「ダヴィンチコード」を鑑賞した。聖書に書かれているマグダラのマリアをイエスの近くにいた女性として、その存在をフィクション小説にし、それが映画化されたものである。アメリカ映画の推理、アクションで感動の画面が連続し、、深く考えさせるものではない。この映画を見るには聖書に関する若干の知識が必要である。フィクション小説の映画化されたものとして見たら普通の信者としては憤慨することはない。イエスを人間として扱っているところに引っかかるところはあるが、見ていても問題作としての宗教問題がそれほどクローズアップされてはこない。
 結果的には、問題にして反抗運動をした人たちによって大きく宣伝され、売り物になったように感ずる。昨日は観客がほんとうに少なかった。日本人にはクリスチャンが少なく、問題にする人も少ないからであろう。日本には単なる知識として聖書を読む人は多いが信仰者は少ない。

韓国の民主主義

2006年06月03日 06時07分45秒 | エッセイ
 韓国の統一地方選挙で野党のハンナラ党が圧勝した。民衆が政治政党を動かすような民主主義の勢いを見ると日韓間の政治文化の違いを感ずる。日本では不戦勝とか同じ人が3選とか4選とかする現状を見ると韓国とはかなり違う。しかしまだ中国や北朝鮮では民主主義は始まっていないのは残念である。
 法政大学から出たある雑誌に寄稿した「私が経験した韓国ナショナリズム」が届いた。それを読む読者は朴大統領時代などの韓国の軍国主義が分かるでしょう。今の韓国とは非常に異なる。政府と戦って勝ち抜いてきた韓国民主主義の力は尊いものである。しかしその独裁政権の朴大統領が評価され、その娘に政治的な脚光が浴びせられているのは矛盾しているようではあるが、「人心が天心」という民衆によるものであればそれはそれでいいのだろうと思う。

哭きの文化人類学で説教

2006年06月02日 06時48分40秒 | エッセイ
 アメリカの連合メソジスト教会の白西影牧師から拙著の『哭きの文化人類学』を以って説教をするという手紙をいただいた。白牧師が拙宅を訪問した時、その本に非常なる関心を見せられたので保存用を差し上げたのだ。イエスが我らの罪を代贖するために十字架に掛けられたとき慟哭したということがポイントである旨、ヘブル人への手紙5章7節「キリストはこの地上におられたとき、神様に願い、死から救いうるただ一人の方に、たましいのうめきと涙とを持って祈られました」という聖句で説教されるとのことである。説教を聴きにその教会を訪ねてみたい。

招待客として

2006年06月01日 06時26分07秒 | エッセイ
 日本生まれの在日の御宅に招待されて夜遅く帰ってきた。4階ビルに親子が住んでいる。親が最高階に住み、長男が3階、次男が2階に住み、すでにお孫さんもいる。全家族の大きい写真が壁に展示されていて家族構造がすぐ分かるようにしている。父親は家族企業の会社の社長であり、権威ある家長であり、ビルの統率者でもある。彼は企業と家庭的に成功した人である。
 高級なコップに高級なワイン、お酒もいろいろメニューがあり、奥様の心づくしの料理にレストランのシェフまで登場。そして彼の成功物語りが語られ、カラオケで歌手のように上手な歌があり、家内も楽しかったようである。私はお酒に弱く、歌などは聴くのはいいが歌うということはもっと苦手で、その場の雰囲気に十分合わせることができなかった。もしかしたら彼らにとって難しい客だったかもしれない。同行した教育院長御夫婦がいて楽しく、なごやかな雰囲気が生きた。私は社交界に失敗した者であることが再確認できた夜であった。