崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

望みとは

2006年06月06日 05時51分00秒 | エッセイ
 キリスト教には大きいメッセージがある。「信」「望」「愛」である。その中で望みは他の二者に比べて強調することが少ないようである。しかし次第にそれが大切であると強く感ずるようになった。ある友人は貯蓄した金で旅行して、またある人は豪華な生活を楽しんでいるという。天国や極楽を信じることなく、ただ現世主義にまじめに生きてきたということから死は絶望の極まりである。
 私は自分で信仰をもって早くから死を考えてきたがこの望みの問題になると「望」を十分信じていないことを悟った。自分が死んだらこの社会とはまったく関係がなくなるのだろうか。天国や極楽をホンキで信じている人が幸せであると羨ましく思う。今、柳田國男が自分が死んだら、村の小山から自分が住んだ村を見下し、見守れるような民間信仰に関心を見せたことが心から理解できる。