崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

パワーポイントで講義

2006年05月13日 06時36分39秒 | エッセイ
 最近はほぼパワーポイントで講義するようになった。画像や映像に慣れて育った学生たちには効果があるからである。それよりは講義しやすく効果的であるという理由もある。黒板などの使用も少なく、講義にはもちろん画像を上手く利用できる。資料を画像で出してノートさせたり、暗記させることも効果的に出来る。
 数日前ノートパソコンの機種を変えて、映像を出せず大変困ったことがあった。コンピューターを使うことによって簡単ことも出来ず、数時間浪費することもある。しかしコンピューターで得る情報を他の手段を利用するということになると大変な時間と苦労しなければならないので我慢強くコンピューターをいじってみる。楽しい講義時間になるように頑張っている。

女性化

2006年05月12日 05時47分06秒 | エッセイ
 本屋の雑誌コナーには「女性」というコーナーがある。そのコーナーに行くといけばなや料理などの本に視線が行く。「いけのぼう」という雑誌を買ってきた。私は花や植物が好きで花があったら生けるのである。もともと男性的趣味がない私にとって年を重ねるごとにもっと女性的になっていく自分を感ずる。否、人間は老化するということは性別よりは中性化、あるいは人間化していくのではないだろうか。

功山寺を訪ねて

2006年05月11日 05時46分21秒 | エッセイ
 功山寺を訪ねて住職である有福先生に会った。彼は京都大学でカント哲学を専攻しドイツ留学をして東京大学で博士になった人であり、現在東亜大学の教授をしている。つまり彼は寺の僧であり教授である。彼の案内で1320年代の建物の国宝を見せてもらった。彼は信仰と学問を両立させている。それは客観性を重視する科学と信仰を両立させることであり、大変葛藤がありそうである。私も信仰と学問の葛藤を体験している。同年であり、同僚である彼とはこれからも人生を含むいろいろな話をしてみたいし聞いてみたいと思った。

麗水会の大会

2006年05月10日 06時07分23秒 | エッセイ
 植民地時代に朝鮮半島の麗水に住んで、そこを生まれ故郷にしている人たちの集まりがここ下関のマリンホテルで行われた。高齢化して平均年齢80近くなった。それでも63人が集まった。私は今回5度目の参加になる。彼らから多くの情報をいただいている。今回、以前一緒に植民地研究をした啓明大学の副総長の呂博東教授が韓国から来た。
 会員たちは今の韓国とか親善とかには感心がなく、ただ昔知っている人と会うことが全てのように思っている。私は彼らが日韓親善友好活動をして、世代交代しながら発展することを助言しているが、むずかしいようである。はじめは数百人が集まっていたが今は数十人単位になっている。さびしく残念に感じた。ただ今度新しい会長になるので期待しながら見守っていきたい。

在日の帰化

2006年05月08日 10時55分42秒 | エッセイ
 在日の方で帰化して本当に差別されるなら戦うつもりで帰化したという話を聞いた。従来多くの在日は帰化して朝鮮民族であることを隠して暮らしたが今は堂々と民族意識を持って生きるようになった。日本籍の在日が選挙権をもって日本籍ではない在日の地位向上のために一助出来るかもしれない。サハリンでは日本人と結婚した人が日本に来てサハリン残留の人を助けたことがある。日本でもそろそろ帰化した在日が力あわせて日本の政治権力に影響与えることを考えてもよいのではないだろうか。

新緑の芽生えが嬉しい

2006年05月07日 06時02分12秒 | エッセイ
 新緑の芽生えが嬉しい。特に冬の間に枯れて死んだと思ったものから小さい命が見えた時嬉しい。「古木に花が咲く」ことを詠んだ詩を思い出す。私は死に常に恐怖感を持っている。二十歳ころ結核の末期で闘病生活をし、奇跡的に生き残ったからかもしれない。私はいつも与えられた恵みの人生であると思いながらもつい欲張りになり、長生きを望んでいる。

大琴

2006年05月06日 07時06分53秒 | エッセイ
 私の趣味のもう一つは大琴演奏である。1960年代に韓国文化財専門委員室で短笛の「短簫」を練習をして以来、最近は「大琴」(横笛)を吹くように努力している。独学なので自信がないという意味の「部屋の中の短簫」ということわざがあるがまさにそれである。名人の曲を聴き、家内が撮ってくれたビデオを見ながら猛練習をしている。見せて聞かせるというより自分の心が和む。それでもいずれ民族衣装を着て舞台に出ることを老後の楽しみにするという気持ちが心のどこかにある。

ソリ酔い

2006年05月05日 06時26分35秒 | エッセイ
 昨日の来客は戦前父親が小学校の校長として韓国南部に住んで、彼はそこで生まれた方である。終戦前に日本本島の中学校などに進学して医者になったという。北大病院に勤めた時にはソリに乗って往診した経験を話してくれた。ソリ酔いとは初耳であった。雪が深い田舎に往診された話は私が最近雪の深いサハリン調査でも聞いたことはない。ここ下関では船を利用する機会が多くなり、船酔いの解決法はないかと質問したがそれは三日ぐらいで慣れるので問題がないそうである。しかし実際は船を利用する人々にとっては一時的な船酔いがとても重要な問題であるので今後はその研究が進んで欲しいと願う。

鯉恋の結婚というNHKニュース

2006年05月04日 08時58分32秒 | エッセイ
 朝トンガーでマグネチュード8という地震があったというインターネットニュースを見てNHKニュースはどのように伝えるのかとチャンネルを回すとそのニュースは出ず、鯉恋の結婚というニュースが出た。変わったものがニュースになるとは知ってはいてもニュースになることによって変なパフォーマンスが溢れるようになるではないかと心配になる。世間を見ると狂っていくように感ずる。

連休の意味

2006年05月03日 23時42分11秒 | エッセイ
 連休に当たるとトクした気がする。仕事から解放された気持ちになる。私はその連休日に講義が連休になったことがあったが、最近はそれを補講するように時間表が作られている。労働時間を合わせるということでは合理的である。しかしそれは公休日の理想概念に反するものであろう。なぜならば公休日の設定自体が労働時間の設定概念に反するものであるからである。労働時間を尊重すると公休日や連休は設定してはならない。たとえば生産工場の社長の立場から考えると連休の時間を補なわなければならない。そこに矛盾が発生する。公休日は社会のリズムを壊して公休日を設定しており、それが連休など嬉しいハレの雰囲気を起こすのである。その基本的な構造を考えず大学では補講するようにしていることは合理的ではない。

カーネギーの人生論

2006年05月01日 23時16分09秒 | エッセイ
 私と同年代の長老の説教を聞いた。牧師の説教とは違って社会生活からの教訓を持って話すので関心をもって聞いた。なにより私の関心を引いたのはカーネギーの話であった。私は高校時代にカーネギーを愛読して、よく記憶しており、実は私も教会でカーネギーをテーマに説教したことがある。我々は同時代の類似した関心をもって生きてきたようである。カーネギーの処世秘訣は「人の心を動かす方法」など数多くある。1930年代以来1、500万部も売れているという。長老のメッセージは冨を積んで社会に寄付したところがポイントであったが、私が覚えているのはそれより鉄でベアリングを作り、信仰を持って金持ちになるところである。私は出世主義的な点があるのかもしれないと反省させられた。