崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

長生き

2019年07月17日 05時32分46秒 | エッセイ

 昨日「私の人脈」として本欄で出した写真のキャプションを修正したい。当時の手帳から確認ができた。この写真は私が日本から韓国へ帰国したその年、1977年6月21日のものである。馬山から17日ソウルへ、19日午前9時20分発、江陵行き、李光奎教授がターミナルまで迎えに来てくだった。端午祭のソナンクッを見た。李杜鉉、任晳宰先生も来られた。
 崔仁鶴教授の主催で「東北アジア民俗学」時の記念写真である。20日午後私の司会で発表会、21日金宅圭教授の司会で私が「部落祭の社会的機能」を発表した。江陵市長主催の昼食会、その後の記念写真である。国分、任晳宰、池春相、金宅圭、李康五、張籌根,宮田登、林など29名中9人の方が死亡されたことを確認、4割ほどが亡くなられた。この学会を後に、比較民俗学会として崔仁鶴氏と私が創立し、私は副会長など務めた。この写真から私は長生きしていると知る。