高齢者とコンピューター
崔吉城
高齢者の中にはコンピューターは若者専用の文化のように感じておられ、自分達には向かないと思う人が多い。しかし高齢者こそ使うべきだと思う。時間があり、力仕事でもないので高齢者の文化にしても良いと思う。
私はコンピューターが好き。朝は例外なくコンピューターの前に座ることから一日が始まる。まずメールやフェースブック、ヤーフ、ネバー、ツイッター、グーグルなどで内外のニュースや情報をチェックする。
電子レンジは利用している人は多い。しかし電子ブックを利用する高齢者はまだ少ない。私は高齢者ではあっても電子ブックで読書をする。「戦争と平和」「聖書」「風と共に去りぬ」などを主にベッドに入ってから楽しむ。単語ごとに簡単な説明や同義語が表示される。外国語の本では簡易翻訳機能もある。読書が楽しい。また拙著も電子ブックで販売している。今も電子ブックで出版のためにコンピューターで執筆中である。
私は歌うことはできないが、ピアノは出来そうに思っている。音痴の私でもピアノへの挑戦がしたい。ピアノの鍵盤を打つのはコンピューターと同様、キーを指で打つ動作が同じだから、簡単にできると思っていた。しかし、楽譜と音の一致の教育を受けてない私、中学校と大学で理論的には作曲の基礎まで試みたことがあるが音楽の基礎は弱い。ピアノは全く触れる機会がなかった。笛を吹くには息や音声の延長で微妙な調整が必要であるが、ピアノはタッチだけで十分だと思っていたが、実は技術的にもむずかしく、音程、ハーモニーになど複雑なものであると知った。
講義中、学生たちがスマートフォンを使っている。それを講義に使用することを考えた。10年ほど前にも試みた方式で早速始めてみた。学生たちは大賛成あった。まず私のフェースブックに登録させた。そしてメッセンジャー欄にコメントや質問などを投稿するようにした。使い方は既に登録しているネパールからの留学生スワラフ君がクラスメートに伝達。
受講生たちは私のホームページにスマートフォンで入り、コメントを書く。日本語、英語、中国語、韓国語でも書くようにした。コメントが暴走する。質問も多い。講義時間以外にも私はフィードバック、レスポンスする。学生たちとの文通になった。仕事が多くなったが、嬉しい。コミュニケーションが楽しい。学生たちも大満足。
私がコンピューターを愛用するようになったのは辛い体験からである。1964年師範大学卒で地方の高校に「国語」(韓国語)の教師として赴任した。学校の事情で私が英語とタイプライターも教えなければならなかった。英字タイプライターの文字版を指で覚えるようにした。その後英字からハングルタイプライターへ、ワードプロセッサー、コンピューターへ変わってきた。時代が代わる度に私の器械も変わった。1980年アメリカ帰りに電子ブック機のKindleを購入した。当時は先端のようだったが今では一般的である。