goo

飴山實を読む(166)

■旧暦3月3日、金曜日、、旧暦雛祭

(写真)無題

朝から、異常に寒い。叔母に往診の手配。掃除。最近、紅茶ばかり飲んでいるので、たまに、珈琲を飲むと新鮮。珈琲は淹れた直後に飲まないと味が極端に劣化することに今さら気づく。Coal Sackの原稿をなんとか、送信。今回は、詩ではなく欧文俳句を送る。




鴨鍋にとどきて軸の達磨の目
  俳句朝日平成九年一月

■これは好きだなあ。まさに上質な笑ひの発見がある。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

飴山實を読む(165)

■旧暦3月1日、水曜日、、新月

(写真)無題

ここ一、二週間ほど、耳が反乱を起こしていて、鎮圧に手間取っている。ひどいときには、部屋にいられなくなるので、外を歩きまわるのだが、そうしたときは、たいてい雨である。なにもやる気になれないときは、寝てしまえ、と思って寝るのだが、そうすると、余計に耳鳴りはひどくなる。いやはやである。人間の心身の状態、すなわち内的自然と外的自然の関係は、若いころは、さほど意識しなかったが、歳を取ると、そのリンクがいやでも意識されてくる。人間の心身にも四季の移ろいがある。四月は、なるほど、残酷な季節である。歳を取ることは、なんらかの苦痛とともに、自然に近づくことなのかもしれない。折り返しているなあ。




子雀はまこと子の顔大きな目
   朝日新聞平成九年一月

■これが子雀だと見分けて見ていたことがないので、新鮮に思えた。今度、子雀を注意深く見てみたい。そんな気にさせる。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

飴山實を読む(164)

■旧暦2月24日、木曜日、、仏生会、虚子忌

(写真)江戸川の空

今日は天気が良く、久しぶりにウォーキング。そろそろ、エンジンをかけないといけんね。城山三郎の『部長の大晩年』を読んでから小説づいてしまい、以前買って未読のものを引っ張り出して読んでいる。今、水上勉の『櫻守』。城山の作品に比べると実在感が弱く、人物造形や場面展開も、小説家が考えるステレオタイプを出ていない。涙を誘う仕掛けも安っぽく感じる。




水仙を剪つてこと足る誕生日
   「朝日新聞」平成九年一月

■誕生日俳句というのもずいぶん詠まれるけれど、これだけ、簡潔な美しさを備えた句は見たことがない。たいてい、デコレーション過剰になるか、自画自賛的な句になる。この句は、前書きに「古希」とある。いよいよ、清冽な精神と言うべきではなかろうか。



Sound and Vision

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

飴山實を読む(163)

■旧暦2月20日、日曜日、

(写真)in bloom

Youtubeで「ヨコハマメリー」のドキュメンタリーを観た。話には聞いていたが、なかなか過酷な人生なのに、品を失わないところが凄い。晩年は、あの白粉をすっかり落として、老人ホームに入るのだが、素顔が、上品で美しいのに驚いた。生き方の筋が一本、彼女の中にはあったのだろうと思う。表情にはそれまで生き方が出るのだろう。




身じろいで雲をゆるがす水馬
   「俳壇」平成八年十一月

■完全な写生でありながら、可笑しみを湛えていることろに惹かれた。これは外部世界での「笑ひ」の発見だろう。「身じろいで」という措辞に感嘆。



Sound and Vision


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

飴山實を読む(162)

■旧暦2月18日、金曜日、、春嵐

(写真)蓬摘み?

やっと金曜日との思いあり。この間、いろいろあったが、とくに書く気もせず。人生は続いていく。一瞬の光芒も闇また多し。振り返れば、あっという間の晩年なるか。




町なかを雀吹き飛ぶ芋嵐
   「俳壇」平成八年十一月

■「芋嵐」は秋の季語。この句では、「町中を」という措辞、「吹き飛ぶ」という措辞が効果を上げていると思う。そう言えば、近頃、雀をあまり見なくなった。



Sound and Vision

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
   次ページ »