verse, prose, and translation
Delfini Workshop
飴山實を読む(165)
2010-04-14 / 俳句
(写真)無題
ここ一、二週間ほど、耳が反乱を起こしていて、鎮圧に手間取っている。ひどいときには、部屋にいられなくなるので、外を歩きまわるのだが、そうしたときは、たいてい雨である。なにもやる気になれないときは、寝てしまえ、と思って寝るのだが、そうすると、余計に耳鳴りはひどくなる。いやはやである。人間の心身の状態、すなわち内的自然と外的自然の関係は、若いころは、さほど意識しなかったが、歳を取ると、そのリンクがいやでも意識されてくる。人間の心身にも四季の移ろいがある。四月は、なるほど、残酷な季節である。歳を取ることは、なんらかの苦痛とともに、自然に近づくことなのかもしれない。折り返しているなあ。
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子雀はまこと子の顔大きな目 朝日新聞平成九年一月
■これが子雀だと見分けて見ていたことがないので、新鮮に思えた。今度、子雀を注意深く見てみたい。そんな気にさせる。
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飴山實を読む(164)
2010-04-08 / 俳句
(写真)江戸川の空
今日は天気が良く、久しぶりにウォーキング。そろそろ、エンジンをかけないといけんね。城山三郎の『部長の大晩年』を読んでから小説づいてしまい、以前買って未読のものを引っ張り出して読んでいる。今、水上勉の『櫻守』。城山の作品に比べると実在感が弱く、人物造形や場面展開も、小説家が考えるステレオタイプを出ていない。涙を誘う仕掛けも安っぽく感じる。
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水仙を剪つてこと足る誕生日 「朝日新聞」平成九年一月
■誕生日俳句というのもずいぶん詠まれるけれど、これだけ、簡潔な美しさを備えた句は見たことがない。たいてい、デコレーション過剰になるか、自画自賛的な句になる。この句は、前書きに「古希」とある。いよいよ、清冽な精神と言うべきではなかろうか。
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Sound and Vision
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飴山實を読む(163)
2010-04-04 / 俳句
(写真)in bloom
Youtubeで「ヨコハマメリー」のドキュメンタリーを観た。話には聞いていたが、なかなか過酷な人生なのに、品を失わないところが凄い。晩年は、あの白粉をすっかり落として、老人ホームに入るのだが、素顔が、上品で美しいのに驚いた。生き方の筋が一本、彼女の中にはあったのだろうと思う。表情にはそれまで生き方が出るのだろう。
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身じろいで雲をゆるがす水馬 「俳壇」平成八年十一月
■完全な写生でありながら、可笑しみを湛えていることろに惹かれた。これは外部世界での「笑ひ」の発見だろう。「身じろいで」という措辞に感嘆。
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Sound and Vision
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飴山實を読む(162)
2010-04-02 / 俳句
(写真)蓬摘み?
やっと金曜日との思いあり。この間、いろいろあったが、とくに書く気もせず。人生は続いていく。一瞬の光芒も闇また多し。振り返れば、あっという間の晩年なるか。
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町なかを雀吹き飛ぶ芋嵐 「俳壇」平成八年十一月
■「芋嵐」は秋の季語。この句では、「町中を」という措辞、「吹き飛ぶ」という措辞が効果を上げていると思う。そう言えば、近頃、雀をあまり見なくなった。
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Sound and Vision
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