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飴山實を読む(164)

■旧暦2月24日、木曜日、、仏生会、虚子忌

(写真)江戸川の空

今日は天気が良く、久しぶりにウォーキング。そろそろ、エンジンをかけないといけんね。城山三郎の『部長の大晩年』を読んでから小説づいてしまい、以前買って未読のものを引っ張り出して読んでいる。今、水上勉の『櫻守』。城山の作品に比べると実在感が弱く、人物造形や場面展開も、小説家が考えるステレオタイプを出ていない。涙を誘う仕掛けも安っぽく感じる。




水仙を剪つてこと足る誕生日
   「朝日新聞」平成九年一月

■誕生日俳句というのもずいぶん詠まれるけれど、これだけ、簡潔な美しさを備えた句は見たことがない。たいてい、デコレーション過剰になるか、自画自賛的な句になる。この句は、前書きに「古希」とある。いよいよ、清冽な精神と言うべきではなかろうか。



Sound and Vision

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
重ねながらそぎ落とす。 (伏谷佳代)
2010-04-08 17:50:30
いさぎの良さ、が凛冽な句ですね。
歳を重ねることが、余剰をそぎ落として肝が据わることであることと同義なのが伝わってきます。

私は35歳になったばかりですが、人間としてはまだまだひよっこであるにも関わらず、あらゆる意味で「女の若さ」に逃げることができなくなる、という点で歳の重ね方は大きなテーマです。

上の句のような慄然とした大人になりたい、と切に思います。
 
 
 
Unknown (冬月)
2010-04-08 23:40:36
■時代の不幸か個人の不幸か、凛洌な大人がいなくなりましたね。「大人」のやっていることは幼稚なことばかり(昔から男は、幼稚ですが、もちろん、ぼくも含めて。しかし、それは個人的領域で完結していたのに、今では、堂々と社会的領域まで幼稚ですから)。子どもの方が、却って、大人の部分をもっているのではないかとさえ思えます。

凛冽な女性。ぜひなってください。
 
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