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Richard Wrightの俳句(67)

■旧暦9月14日、日曜日、

(写真)桜の落ち葉

情報化社会について雑感。以前、五感と言語の弁証法が情報化の本質だと書いたが、情報化はマスメディアの登場で伝達される情報量が増大し、コンピュータが媒介するコミュニケーションの登場で、さらに飛躍的にそれが増大し、ミクロメディアがマスメディアの間隙を埋め尽くしている。ここに至って、情報化は質的な変化を遂げたように思える。一方向的な情報量が急激に増えると、一方的に話しかけられ、一方的に説明されているのと同じで、情報の受け手は、思考することができなくなる。思考運動の練習時間がなくなるからだ。情報量は多いので一見、わかったような気になるが、理解したり考えたりする能力は確実に奪われる。とくに、倫理的な問題や価値の問題について考える能力が著しく低下する。この結果、精神の幼稚化が起きる。マスメディア・コンピュータ登場以降の情報化と人間の幼稚化には相関関係があると思う。面白いことに、情報量が爆発的に増えると、創造力も衰えてくる。情報がありすぎると、何かを作り出すことがやりにくくなるのだ。インターネットは、マスメディアと違って、双方向的なメディアなので(そもそも、インターネットには、マスメディアに対するカウンターメディアの意味もある)、一方的な情報の流れにはならないが、これが、うまく機能するのは、思考の運動性が加わったときだと思う。もうひとつ、インターネットには面白い特徴がある。それは、ある意味で、アイデンティティを形成するという特徴である。このアイデンティティがどれほど強固なものなのかは、それぞれだが、ネット上に集合した諸個人は、そこにアイデンティティを投影しようとする。たとえば、携帯の掲示板がそうだし、たとえば、ネット上の社会運動がそうである。




A long autumn day:
A wind blowing from the west,
But none from the east.


長き秋の日
西から一陣の風
東からはなにも



(放哉)
秋日さす石の上に脊の児を下ろす


■ライトの句、日本では、秋の日は短いが、パリでは、「A long autumn day」、となっていて面白い。A wind blowing from the west, But none from the east.のリズムにも惹かれた。放哉の句、「秋日さす石の上」に子どもを下ろしたという。もう肌寒い時期だったのだろう。子どもに対する放哉の愛情を感じた。



Sound and Vision

Aimard - Schumann Symphonic Etudes (3/5)
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