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Marxを読む:「経済学哲学草稿」(4)

■旧暦9月30日、九月尽、火曜日、

(写真)秋の花

午後、少し、運動。自分で考えた筋トレメニューを軽くこなす。これに太極拳かヨガを組み合わせることが目下の目標。ぼくの運動の目的はストレス解消とよく死ぬためであるから、気楽なもんである。

先日、YouTubeでジャック・ケルアックJack Kerouac)が俳句を作っていたのを知った。少し検討してみようと、アマゾンで2冊オーダー。そう言えば、ビート作家たちは、俳句にみな関心を持っていたんだっけ。



マルクスの『経済学哲学草稿』の第三草稿を読んでいて、ちょっと、びっくりした個所があった。


女にたいして共同体的な肉欲の餌食や下女というかたちでしか関係しないということのうちには、人間がおのれ自身にたいしてかぎりなく堕落している事態が言い表わされている。というのも、この(人間のおのれ自身にたいする)関係の秘密があいまいの余地なく、決定的に、公然と、あらわに表現されるのは、男の女にたいしする関係においてであり、この直接的で自然的な類関係が理解されるしかたにおいてだからである。人間の人間にたいする直接的で自然的で必然的な関係とは、男の女にたいする関係である。この自然的な類関係においては、人間の自然にたいする関係がそのまま人間の人間にたいする関係でもあれば、人間の人間にたいする関係がそのまま人間の自然にたいする関係、つまり、人間の自然的な規定でもある。したがって、この関係においては、人間にとって人間的本質がどの程度まで自然になっているか、あるいは、自然がその程度まで人間の人間的本質になっているかが、感性的なかたちで、つまり、ひとつの直観可能な事実にまで還元されたかたちであらわれてくる。そうだとすれば、この関係にもとづいて、人間の文化段階全体を判断することができる。
 (『マルクス・コレクション』Ⅰpp.347-348 筑摩書房 2005年)

■なににびっくりしたかと言うと、1843年~1845年のマルクスのパリ時代に、すでに、フェミニズムの先駆的な思想が現れていることである。マルクス以前にも、フェミニズムの萌芽はあったのかもしれないが、これだけ、明晰に、人間の自然との関係と男女関係、文化段階を関連づけて展開したものはそうそうはないんじゃないだろうか。男女関係がどんな関係かで、文化レベルがわかるというのは、実に、男にとって痛い話じゃないだろうか。ぼくは、フェミニストではないが、男が威張っている社会や時代は、けっして健康じゃないという直観はある。典型的なのが先の戦時体制である。

一方で、この話と矛盾するようだが、男女関係は、その共同体の外部の者が観察者の立場で、女性が「肉欲の餌食」や「下女」だと簡単に決められるものだろうか、という疑問がある。文化に段階やレベルがあるというマルクスの前提は、なお、掘り下げてみる余地はあるように思う。



Sound and Vision

John Lennon stand by me
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