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芭蕉の俳句(202)

■旧暦9月28日、日曜日、

(写真)山肌

朝、モスにパソコンを持ち込んで仕事をしようとしたら、テキストを忘れる。しかたがないので、別の作業をする。パソコンの電池というのは、充電して放っておくと、放電してしまうらしい。1時間半しかもたず慌てた。



戴いた句集から。


寺の下駄借りて筍見てまはる
とんばうを目で追ふ猫とぬれ縁に
渋柿と勝手にきめて通りけり
いまのこともう忘れけり雪柳
蚊を打つてむかし話を続けけり
そこつ妻その命日が二日とは
起きて寝て寝て起きてまた年の暮


新倉一光句集『不老』から

新倉さんは、今年米寿。飄逸なユーモアの背後に深い喪失感と諦観が漂う。重い軽さ。


梅を見るみな慎ましき顔したる

再びは遥かとなりし初音かな

子育ての頃の秋刀魚を思ひけり


同句集から

■一句目。梅を見る人をこれだけ的確に詠んだ句をほかに知らない。二句目。作者の越えてきた困難な時の流れを感じさせる。戦争や病を越えて遥かに振り返る年月。三句目。秋刀魚という季語がいきいきと定まっている。季語の確かさに惹かれた。



秋近き心の寄りや四畳半  (蕉翁句集)

■元禄7年作。心を通わせながら連衆が四畳半に坐している様子に惹かれた。「秋近き心の寄り」がすんなり納得される。「秋深き隣は何をする人ぞ」を思い浮かべた。季語の使い方は同じだが、双方、交換できない必然性を感じる。楸邨によれば、この句は、寿貞の訃報に接した直後の歌仙の席の発句。



Sound and Vision

Bob Dylan Blowin' In the Wind


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