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一日一句(293)






山川にうたはありけり夜の雪





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Cioranを読む(91)


■12月28日、土曜日、、大寒

(写真)無題

今日は、朝、あまりにも寒くて、朝一杯と決めている珈琲を2杯飲む。

一仕事して、午後から、Odilon Redon展へ行く。ルドンなどの象徴派は、19世紀に進んだ科学的合理主義に対する反発として現れてくるが、夢や無意識、境界などをテーマにするため、現代のポストモダン状況ととてもよく響きあうように感じた。その意味で、現代的だと思う。面白いのは、科学や技術に対して、単純に反発するのではなく、たとえば、ダーウィンの進化論にヒントを得て、版画集「起源」を制作したり、エジソンの発明した電球の形を、絵のデザインにいち早く取り込んだりと、とても両義的な対処の仕方をするのである。また、1870年にフランスに誕生した、新しい学問、人類学にも敏感に反応している。社会の動きから距離を置いて、隠者のように、神話的なモチーフを描いていた画家、というイメージが、ルドンには強かったので、いい意味で裏切られて楽しかった。まさに、象徴主義は、反近代という社会の一つの大きな動向だったことがわかる。そうなると、当然、こうした画家に影響を与えたポーやボードレール、マラルメ、ユイスマンなどの詩人、作家、ドビュッシーやショーソンなどの音楽家も、近代批判の文脈で捉える必要があるだろう。ルドンと同時代人で、マラルメの「火曜会」の常連だったゴーギャンなどは、非常に分かりやすい反近代の軌跡を描いている。

今日の展覧会の目玉は、パステルの壁画「grand bouquet」(大いなる花束)(162.6cm×248.3cm)だった。しばらく絵の前の椅子でぼーっとしていた。至福の一時だった。ルドンは、初期、「ルドンの黒」と呼ばれ、版画を中心にモノクロの世界を追求するのだが、このとき愛読書だったパスカルの「パンセ」をテーマにした版画集の計画があったという。残念ながら、実現はしなかった。出品された版画「永遠を前にした男」と同じ素描には、パンセから次の言葉が書き込まれている。「この無限の空間の永遠の沈黙がわたしを脅かす」パスカルにはとても関心があるので、ルドンのこの計画が実現しなかったことが、かえすがえすも残念である。



「grand bouquet」(クリックで拡大)



Que surgisse le paradoxe, le système meurt et la vie triomphe. C'est à travers lui que la rasion sauve son honneur face à l'irrationnel. Seul le blasphème ou l'hymme peuvent exprimer ce que la vie a de trouble. Qui ne saurait en user garde encore cette échappatoire: paradoxe, forme souriante de l'irrationnel. Cioran Le Crépuscule des pensées p. 13

パラドックスが現れると、体系は死に生が勝利する。理性が非理性的なものに直面して、己の名誉を守るのは、パラドックスによってである。生のいかがわしさを表現できるのは、冒涜の言葉か賛歌だけである。それができない者にも、抜け道は用意されている。非理性的なものに対する微笑を含んだ形式、パラドックスである。

■とても興味を惹かれる。生のいかがわしさを表現する暴言や賛歌は、詩の起源とも言えるが、パラドックスは、エッセイの起源に位置しているように思えるからだ。




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