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蕪村の俳句(107)



(写真)無題(この店、安くて旨かった)

終日、風邪で調子悪し。歯医者へ行ったら、歯ブラシの持ち方を点検された。現状の持ち方では、強く磨きすぎて、歯が削れているという。そこから、虫歯になる可能性があるので、ペンを持つように持って磨くと力加減はちょうどいいと言う。なるほど、自分は、馬鹿力で磨くので、家族の中でも一番、歯ブラシの交換頻度が高い。ペンを持つように持って磨いてみたが、横よりも縦方向の磨き方に適しているようだ。確かに、力加減はソフトになる。



大鼾そしれば動く生海鼠かな   明和五年

■この句は、一読笑えるのだが、今まで、海鼠を擬人化した句だと思っていた。どうも、解説を読むと、その反対で、海鼠のようにごろりと太った男の比喩だという。そう言えば、自分自身を海鼠に見立てることはよくある。この比喩は、当時、一般的だったのか、蕪村独自のものかはわからないが、とても面白い。「おい、海鼠野郎!」と、使ってみたい悪態の言葉が一つ増えたw。



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一日一句(290)






天井のしみと遊べる蒲団かな





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Cioranを読む(87)


■旧暦12月21日、土曜日、、四天王寺どやどや

(写真)ある風景

四天王寺どやどや、という祭はよくわからない。日本三大奇祭の一つらしい。よくわからないものほど、興味をひかれる。ここから>>>

今日は、午前・午後と病院。数年ぶりに風邪を引いてしまった。ブレーカーがよく落ちるので、エアコンを切っていたことが、原因だろうと思う。



La solitude na'apprend pas à être seul, mais le seul.
Le Crépuscule des pensées p.7 Livre de Poche (2001/03)

孤独は、一人になることではない、唯一者になることだ。

■孤独は、集団から離れて物理的に一人になるのではなく、唯一者になることだという、この断章は、非常にキリスト教的だと思う。le seul(唯一者)という表現は、唯一神へとつながっている。集団を離れるのではなく、集団を超越することを意味している。実際には、こういうことはあり得ない。唯一者、唯一神、絶対者という観念は、人間の相互関係、社会関係を不可視化することで成り立つからだ。社会と無関係な孤独などありえない。隠者にも生活はあるのだから。ただ、超越者という存在が生成されていくプロセスには、人間の実存的な孤独が作用していたらしいことは、読み取れるのではなかろうか。実存主義は、形を変えた神学とも言えるかもしれない。

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