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Pascal 『Pensées』を読む(24)


■旧暦1月1日、月曜日、、旧正月、新月

(写真)無題

今日は旧暦の正月だと思うと、江戸の俳諧師たちの春を待つ心に触れた気分になる。

いわゆるニューハーフ、ladyboysのAVがウェブ上に結構あるので、好奇心から、いくつか観てみた。胸の整形はほぼ完璧で、女性となんら変わらない。二の腕に筋肉がついていると、すぐに、ばれてしまうが、たいてのladyboysは女性よりも華奢な手足をしている。ペニスはあるが、睾丸はあまり目立たない。ペニスは、通常の成人男性の二分の一くらいではなかろうか。ladyboysは、アメリカ、日本、タイなど世界各地にいるが、容貌の美しさでは、ちょっと驚くような人もいる。ただ、その歴史は、ニューハーフと言われるほど、ニューではないだろう。古典古代にまでさかのぼると思う。ローマの子ども奴隷は、今で言う、性的搾取だったし、日本の寺院の稚児は、僧侶の性欲と無関係ではないだろう。ladyboysは、その起源から、男性の性欲と関わっているが、タイのように、ニューハーフが社会的に認知されている国では、教職など、社会進出も盛んである。AVや芸能界、お水系の人が目立つが、必ずしも、仕事をしているのは、そういう業界だけではないだろう。ladyboysのジェンダーは、女であるから、男性の伴侶と結婚生活を送っているケースも、ゲイの結婚とは違った意味で、相当あるに違いない。ただ、表に出ないだけだろう。こういう「境界」にいる人々は、芸術のモチーフとして、もっと、取り上げられていい気がする。たとえば、ルドンやモローがladyboysのヌードを描いたとしても、なんら違和感はない。仏像を始め、両性具有のモチーフは、古くからある。ladyboysは、不思議に、異形という感じがしない。むしろ、どこかハレの気配を漂わせている。



Donc, toutes choses étant causées et causantes, aidées et aidantes, médiates et immédiates, et toutes s'entretenant par un lien naturel et insensible qui lie les plus éloignées et les plus différentes, je tiens impossible de connaître les parties sans connaître le tout, non plus que de connaître le tout sans connaître particulièrement les parties. Pascal Pensées 185

それゆえ、あらゆる事物は、原因になったり結果になったり、促進したりされたり、間接的、直接的に関連したりしている。すべては、遠く離れていても、まったく違ったものであっても、知覚できない自然の絆で結びつけられ、相互に支え合っているから、全体を知らずして、部分を知ることはできないし、逆に、部分を詳しく知ることなく全体を知ることはできないと思う。

■断章185は、示唆に富んだ文章が多い。ここも、単線的な因果連関は否定し、諸部分が全体を構成するという発想が観られ、現代のシステム論や複雑系の考え方と近い。イギリスに亡命したヴォルテールは、「パンセ」は推敲されていない草稿であることに注意を喚起したが、185のような断章を読むと、その先見性に驚く。ニュートン(1642-1727)が因果律原理を前提に、古典力学を完成させるのは、パスカル(1623-1662)の死後である。




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