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L・Wノート:Bemerkungen über die Grundlagen der Mathematik(20)


■旧暦11月13日、水曜日、、大雪

(写真)落葉

もう12月も初旬を過ぎようとしているが、一向に、今年を振り返る気になれない。3.11以降、振り返るスパンがもっと長くなったような気がするのである。たとえば、戦後の高度経済成長や明治維新まで振り返るような気分に。

魯迅の「非攻」(『酒楼にて/非攻』所収)を読む。魯迅にも、墨子にも興味があるので、魯迅が墨子を描いた短編なので、とても面白かった。墨子については、数年前に初めて知って、仰天した(以前の記事 ここから>>>)。翻訳は、「よくわかる税の仕組み」や「健康志向」といった表現が出て来て、そこだけ、唐突に消費社会の影響を感じるが、魯迅学者だけあって、解説が充実している。



22. (...)Der Bewies muß natürlich vorbildlich sein.(...)

23. (...)Wenn ich 200 Äpfel und 200 Äpfel zusammenschütte und zähle, und es kommt 400 heraus, so ist das kein Beweis für 200 + 200 = 400. Das heißt, wir würden dieses Faktum nicht als Paradigma zur Berteilung aller ähnlicher Situationen verwenden wollen.(...)

24. Das ist das Vorbild der Addition von 200 und 200 - nicht: Das ist das Vorbild davon, daß 200 und 200 addiert 400 ergeben. Der Vorgang des Addierens ergab allerdings 400, aber dies Resultat nehmen wir nun zum Kriterium der richtigen Addition - oder einfach: der Addition - dieser Zahlen.

Der Bewies muß unser Vorbild, unser Bild, davon sein, wie diese Operationen ein Ergebnis haben.(...)

Ludwig Wittgenstein Bemerkungen über die Grundlagen der Mathematik pp. 159-161 Werkausgabe Band 6 Suhrkamp 1984


22. 証明は、当然、範例でなければならない。

23. わたしが、200個のリンゴと200個のリンゴを混ぜて、数えたら、400個になった。しかし、これは、200+200=400の証明にはならない。つまり、われわれは、この事実を、類似の状況すべてを判断するときの模範にする気にはならない。

24. これは、200+200の加法の範例であり、200に200を加えると400になる、ということの範例ではない。確かに、この加法手続きは、400という結果になったが、この結果は、この二つの数の正しい加法―あるいは単に加法―の基準だと考えるのである。

証明とは、こうした操作が、ある結果をどのように導き出すかに関する範例であり、図でなければならない。


■証明の条件として、それが、類似状況を判断するときの範例になることを挙げている点が注目される。具体的な一回限りの事象を判断する命題は証明ではない、ということになる。ここに、証明の普遍性、一般性が、述べられている。面白いのは、証明はBild(図であり画像である)だと言っている点で、一目で見渡せる、という条件が挙げられている。証明は、われわれに鳥の目を与える。では、虫の目はどうだろうか。あっちこっちの路地の壁にぶつかりながら歩く。唐突だが、これがエッセイの思考だと思える。

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