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Cioranを読む(80)


■12月4日、水曜日、

(写真)無題

今日、明日をクリアすると、年内の外での仕事は、一応、終了。正月は、翻訳作業と批評を進めたいのだが、どこまで、進むか。

先日、長谷川真理子著『科学の目 科学のこころ』をパラパラ見ていたら、「コンコルドの誤り」という考え方が目にとまった。あの航空機のコンコルドの開発から生まれた言葉らしい。商業的に採算が合わないとわかっていながら、英仏両政府は、それまでの投資を考えて、コンコルドの開発を中止できず、結局、開発しても、運行ができなくなったことから、それまでの投資額を考えると、途中で、判断を変えて、別の選択肢を取れなくなることを指すようだ。投資は、一つの比喩で、お金だけでなく、行動や精神的なエネルギーまでも指す。ある意味、人間的な現象だが、対象が戦争や大規模開発になると、問題は深刻だろう。

この話を読んだとき、まっさきに浮かんだのは、「八ッ場ダム問題」だった。コンコルドの開発は、英仏両政府が当事者で、損害を被るものがはっきりしているが、「八ッ場ダム問題」の場合は、地域住民の生活や感情が関わる。中止から一転して継続に決まったが、その判断基準をもっとオープンにして、広く議論の対象にすべきだったのではないだろうか。政治が主導すべきところと、広く議論すべきところの区分がいつもトンチンカンなのは、裏に利権が絡むからなのだろうか。そう思えて仕方がないのだが。



La musique une illusion qui rachète toutes les autres.
(Si illusion était un vocable appelé à disparaître, je me demande ce que je deviendrais.)
Cioran Aveux et Anathèmes p.80 Gallimard 1987

音楽は、あらゆる幻想の罪をつぐなう幻想である。
(幻想も、やがて消えてしまう言葉なのだとしたら、自分は、どうしたらいいのか、さっぱりわからない)


■今の世界、音楽がないとやってられないが、そして、Youtubeをはじめ、コンサートやウェブからのダウンロード、CDなど、音楽産業が隆盛なのは、たしかに、人間の何かの罪を償っているような気がする。「幻想の罪」は、イデオロギーと考えると、この断章は、意外に幅広い対象をカバーするのかもしれない。




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