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L・Wノート:Bemerkungen über die Grundlagen der Mathematik(23)


■旧暦11月30日、土曜日、

(写真)無題、あるいはサンタ

あ、また酒飲んでしもたやん。なんや、こいつ。酒、飲んでるだけやんけ。あかんあかん。もっと文化的芸術的にいかな。酒ばっかり飲んどったらあかん。そや、映画見たろ、映画。これやったら文化的やろ。そいで安かったので、洋画のポルノ三本だてがかかっている小屋に入ったった。ああ、ちょっといいにくいような映像美だ。全然おもろない。金を倹約したのが失敗だったな。

『へらへらぼっちゃん』(町田康著)P.102

思い当たるフシありw

イブか。やけに冷え込んで来た今宵であった。



原発問題の中心には「因果律原理」と「確率論」があるように思う。少し、この二つを根本的に考えてみようと思っている。手がかりは、タキオンなど。




Bedenken wir, wir werden in der Mathematik von grammatischen Sätzen überzeugt; der Ausdruck, das Ergebnis, dieser Überzeugtheit ist also, dass wir eine Regel annehmen.

Nichts ist wahrscheinlicher, als dass der Wortausdruck des Resultats eines mathematischen Beweises dazu angetan ist, uns einen Mythus vorzuspiegeln.
     Ludwig Wittgenstein Bemerkungen über die Grundlagen der Mathematik p. 162 Werkausgabe Band 6 Suhrkamp 1984

よく考えてみよう、数学で納得させられたのは、文法的な命題なのだということを。つまり、納得を表す言葉やその帰結は、ある規則を受け入れたということなのである。

数学的証明の帰結を言葉で表すのは、神話を本当だと信じ込ませることによく似ている。


■証明も、言語が媒介する以上、文法(規則)と無縁ではないということだろう。そして、その規則は、神話に似た性格を持っている。



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