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飴山實を読む(106)

(写真)むらさきつゆくさ

今日は、早く起きたので、散歩。ミスドーに寄ってフランス語を考える。初めて、訳注の散文を検討してみたが、ドイツ語のように、凝った言い回しをするなという印象だった。書き手にもよるだろうけど。

新型インフルエンザの衆議院選挙への影響はどうなるのか、一つの重要な要因になるかもしれない。




たつき見え艀のなかも花野かな
  「花浴び」

■この場合、「たつき」とは斧の一種だと思う。繋がれた小舟の中も花野という情景は、非常に詩的で惹かれた。この艀は、相当長い間、放置されていたのだろう。
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フランス語になった俳人たち(6)

■旧暦4月23日、土曜日、

(写真)公園のソリスト

リコーダーの音色は昔から好きだが、たまたま、公園でぼーっとしていたら、バロックの曲らしいものを練習しているお兄ちゃんがいた。





稲妻に悟らぬ人の貴さよ
   芭蕉「己が光」

Devant l'éclair―
sublime est celui
qui ne sait rien!

※Traduction de Corinne Atlan et Zéno Bianu
HAIKU Anthologie du poème court japonais Gallimard 2002

稲妻が目の前に
尊いのは
悟らない人である


■「悟る」という日本語を「saisir」(捕まえる、把握する、理解する)で翻訳しているところが面白かった。この句には、訳者の注がついている。「松尾芭蕉は、自らも禅に帰依しており、「悟る」という動詞を二重の意味で使っている。一つは「理解する」(comprendre)であり、もう一つは、至高の存在となる(réaliser)ことである。悟らない者が、真の知を有するというのは、禅の重要なパラドックスである」日本語テキストのたいていの理解では、生悟りなら悟らない方がいい、といったもの。

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