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フランス語になった俳人たち(1)

■旧暦4月9日、日曜日、、憲法記念日

(写真)集会でおじさんの話を聞いていたら、南アフリカに、日本の憲法九条を讃える碑が立っているという。戦争は、遠くて近い、近くて遠い話である。戦争と今の生活とのリンクをいかに提示できるか。運動の広がりは、この点にかかっていると思う。

午後から、買い物。外で、仕事。昨日、掃除をがんばったら、また、腰が痛くなってしまった。こりゃ、だめだ! 根本的に、生活に運動を取り入れないと!




青嵐吸ひ物は白牡丹
     良寛


Vent bleu―
dans mon bouillon clair
des pivoines blanches!


青い風
澄んだスープの中へ
白牡丹が


※Traduction de Corinne Atlan et Zéno Bianu
HAIKU Anthologie du poème court japonais Gallimard 2002

■いくつか、感じた点を述べると、フランス語訳のシラブルは5・7・5にこだわっていない。2・5・3か。もともとの良寛の俳句が5・5・5である。ただ、白牡丹を「はくぼうたん」と読めば、5・7・4になる。 

良寛の俳句は、白牡丹の一片が、青嵐に運ばれて吸い物に入ったという意味であろうから、「des pivoines blanches」と複数形になっているのは、どうも違和感が残る。何片も入ったのでは、ぶち壊しである。「une pivoine blanche」の方がベターではないか。ドイツ語の訳者のときもそうだったが、数の感覚に西欧と日本との根本的な違いを感じる。数の美意識というべきか。英語に、複数形で、存在一般を意味する用法もあるので、その文脈で考えることもできるかもしれないが、この俳句は、あくまで、具体的な牡丹の花びらである。

青嵐は「Vent bleu」(青い風)となっていて、嵐の語感は消えている。吸い物は「mon bouillon clair」(わたしの澄んだスープ)となっている。説明的に訳さないと仕方がなかったのだろう。ただ、古語辞典を引くと「吸い物は」は必ずしもすまし汁ではなく味噌汁のこともあるようだ。この場合、味噌汁じゃ台無しになってしまうが。

良寛の俳句は、一読すると、青嵐と吸い物の白牡丹の関係がわからないようになっている。その意味で、初めて読むとちょっと驚く。フランス語の訳者は、この俳句の構造を因果関係として明示化し、それを「dans」(中へ)という前置詞で表現している。



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