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飴山實を読む(46)

■旧暦12月16日、

朝起きたら、新しい世界になっていた。雪である。今年2度目の雪である。雪の句はいつくも有名なものがあるが、ぼくは、はじめに、漱石の

寐る門を初雪ぢやとて叩きけり   漱石(明治29年)

を思い出す。なんだか、神が一軒一軒の寝静まった門を叩いて回るような気配がある。

(写真)落葉

昨日もドイツの俳人からコメントをいただいた。俳句の意見交換になった。ドイツ人は、「枯れ草」を秋と感じるようで、面白かった。まあ、ぼくがドイツ語の俳句をケチョンケチョンに言っているので、その反論の意味もあろうかと思う。ドイツの俳人が、どのように、俳句を感じているのか、ご興味のある方は、ドイツ語版をどうぞ。

このところ、時間があると、飴山實の俳論を読んでいるのだが、ほとんどが共感できる文章で嬉しくなる。偉いなあ、と思うのは、どの命もいつくしむ穏やかさが、文章から滲んでいることで、ぼくのように、いつも社会や歴史に対して、胸のあたりに批判が渦巻いている者は、何か書くと、たいてい、棘が入り込んでしまうものだが、飴山實の文章には、それがまったくない。家人に言わせると、ぼくは人間ができていない、ということになる。




武家屋敷から電線へ烏瓜


■武家屋敷という前近代的なものと電線という近代の取り合わせが面白いと思った。烏瓜は、蔓性植物だから、電線に巻きついていたのだろう。烏瓜と言えば、人の手の入っていない廃庭を想起させる。この武家屋敷は、半ば朽ち果てたものだったのだろうか。前近代も近代も関係ない烏瓜の生命力に惹かれる。
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