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北と南(3)

木曜日、。午前中、眠。午後、買い物。読書。

漱石24歳のときの子規宛書簡を読んでいたら、こんな文句があった。

We are such stuff
As dreams are made of(on); and our little life
Is rounded by a sleep.(ぼくらは夢/短い一生の仕上げは眠り「テンペスト」)といふ位な事は疾(とう)から存じてをります。生前も眠なり死後も眠なり生中の動作は夢なりと心得てはをれど、さやうに感じられない処が情けなし。知らず、生まれ死ぬる人何方より来りて何かたへか去る。またしらず、仮の宿誰がために心を悩まし何によりてか目を悦ばしむる、と長明の悟りの言は記憶すれど悟りの実は迹方なし。


漱石先生、浮世が嫌になっておりますな。自分の24歳のころを振り返ると、はじめて、社会の不合理に直撃されて、怒り心頭に発すの状態だった。こういう目に遭うと、「大人」に欺瞞を感じる人間は、超俗に向うか反逆に向う。その後も、さんざん、権力側に叩かれ、30歳のころには、再起不能になりかけた(おかげで、ずいぶん、人間や社会を見る目を養えた)。超俗と反逆は、心の中の二つの契機になって、詩や俳句のダイナミズムを構成してきた気がする。今でも「弁証法とは洗練された反抗心だ」(ヘーゲル)といった言葉が好きである。



若夏(わかなち)

沖縄の夏の季語。「夏口(なつぐち)」とも呼ぶ。4月下旬から5月中旬までの、梅雨に入る前の時期で、南風の日が多くなり、稲穂が出て、地上がみずみずしい木々の緑に覆われる。沖縄本島近海のかじき漁や石垣島・宮古島のかつお漁がたけなわとなり、海も賑わう(『語りかける季語 ゆるやかな日本』宮坂静雄著 岩波書店 2006年)。

起伏ひたに白し熱し 若夏  金子兜太

例句はこれしか載ってないので、仕方がないが、句は、季語が響かず、抽象的なだけで、つまらないと思う。
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