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嵯峨日記

旧暦3月20日。日曜日、。立夏、緑雨。朝、一度止んだので、中央公園まで散歩。公園の樹木は今新緑が美しいので、上を見上げて歩いていたら、ヒマラヤスギの異常な大きさに驚く。普段は、何気なく、遠くからしか見ていないが、根元から見上げると、枝が四方を覆って、空が見えない。こんな樹木が古代の北海道などの大地を覆っていたのだろうか。



今日は、非常に蒸し暑くて、一日、ぼーっとしていた。芭蕉の「嵯峨日記」を読む。そこに頻繁に登場する、凡兆と去来が気になって、柴田宵曲の「蕉門の人々」をパラパラ読む。「嵯峨日記」を読むと、さまざまな弟子が毎日のように落柿舎を訪れる。芭蕉には、人間的な魅力があったのだろう。

中でも、興味深いのは、4月28日付けの記事で、前年に30数歳で亡くなった愛弟子杜国の夢を見て泣いたことが書かれている。ここの記述は、以下のとおりである。

二十八日

夢に杜國が事をいひ出して、悌泣して覚ム。

心神相交時は夢をなす。陰盡テ火を夢見、陽衰テ水を夢ミル。飛鳥髪をふくむ時は飛るを夢見、帯を敷寝にする時は蛇を夢見るといへり。睡枕記、槐安國、荘周夢蝶、皆其理有テ妙をつくさず。わが夢は聖人君子の夢にあらず。終日忘(妄)想散乱の氣、夜陰夢又しかり。誠に此ものを夢見ること、所謂念夢也。我に志深く伊陽旧里迄したひ来りて、夜は床を同じう起臥、行脚の労をともにたすけて、百日が程かげのごとくにともなふ。ある時はたはぶれ、ある時は悲しび、其志我心裏に染て、忘るゝ事なければなるべし。覚て又袂をしぼる。

ぼくの勘ぐりなのかもしれないが、赤字の部分は、興味を覚える。この日の芭蕉の記述からは、相当、二人の精神的な結びつきが強かったことが伺われる。

4月18日から5月4日までの17日間の落柿舎滞在中に訪れた門人・知人は、夢に現れた杜国も含めると、総勢10人。来信があった門人は、連句で名前の出た其角も入れると、8人に上る。ネットワークの中心に芭蕉がいたことを示すものだろう。
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