京都発京都行、ぐるっと一筆書き・1日目~2日目前半

2011年05月03日 23時59分58秒 | 旅行記
2011年のゴールデンウィーク。
新年度が始まって1ヶ月を無事に終え、例年通り旅に出ることに。
今回はいつもとちょっと違うスタイルの旅。さてさて、どうなるのでしょうか…。

・5月2日

5限の授業を終え、食堂で晩ごはんを済ませてからゆっくりと帰宅。
荷物をまとめて、西大路駅からJRで桂川駅、徒歩で洛西口駅へ移動し、阪急経由で大阪へ向かいました。
洛西口23:05発の普通梅田行きは何と9300系。ロングシートの普通車両で移動するものとばかり思っていたのでこれは意外でした。お陰で本を読みながら快適に梅田まで行けました。

・5月3日

梅田駅から大阪駅へ移動する間に日付が変わり、大阪駅の券売機で京都駅までの切符を購入。
今回の切符はいわゆる「一筆書き切符」で、京都市内→京都市内をぐるっと周るタイプの切符です。大阪市内→京都市内にしても良かったのですが、同地点発の切符を手にしたかったので敢えてこうしました。一筆書きということで、この先のルートも読めたかと思います。


0時30分過ぎに寝台特急「サンライズ瀬戸・出雲」が入線。
そう、今回は東海道を寝台特急で移動します。ブルートレインは既に思い出の彼方ですが、かつての憧れをようやく叶えることが出来ました。
乗車したのは「瀬戸」の12号車ノビノビ座席。先月末に最後の1席を押さえたのですが、案の定大阪発車時点で満席となりました。


さて、「サンライズ瀬戸・出雲」は大阪を出ると静岡まで客扱いをしません。
今のところ、上下のサンライズが営業列車で京都駅を通過する唯一の列車なので、それを見てから寝ることにしました。
1時2分、すっかり寝静まった京都駅を通過します。1番線(中線)を通過する様子はとても新鮮でした。

目が覚めると4時40分の静岡。
もう一度寝て、横浜到着前の車内放送で目が覚めました。夜行列車では必ず寝る派の自分ですが、今回は特によく寝られたような気がします。
終点東京まではあと20分ほど。支度をして下車の準備をしました。やはり洗面所やトイレが清潔なのはありがたいですね。


7時8分、定刻通りに東京に着きました。一筆書き切符はここで一旦途中下車となります。
とりあえず八重洲北口のコインロッカーに荷物を預けて、身軽になってから東京メトロ丸の内線の東京駅で一日乗車券(710円)を買いました。この切符に一日お世話になります。

目的の場所はまだ開いていないので、しばらくは地下鉄でいろいろと周ります。
まずは東京から丸の内線で大手町、東西線で日本橋、銀座線で浅草へと移動。


浅草の雷門を見に行きました。まだ8時頃なので閑散としています。
ただ見たかっただけなのですが、奥まで歩いて浅草寺にお参りをしました。この先の旅が上手くいきますように…。


浅草と言えばスカイツリーです。
少し歩くと東武鉄道と一緒に撮れるアングルを見つけました。天気が曇っていたのが残念ですが、新たな東京の象徴は、それはそれは高いものでした。

時間があったので、スカイツリーの根元にある業平橋駅まで歩いてみることに。
知らない街は歩くに限ります。東武鉄道でも1駅分なのでそれほど長くないかな…と思っていましたが、実際には川を渡ってからが少し長く感じました。さながら「ブラタモリ」でしょうか。


スカイツリーの根元、そして東武鉄道の本社がある業平橋駅です。
開業に合わせて「とうきょうスカイツリー駅」と名前が変わるので、浅草まで東武鉄道に乗って記念に切符を残すことにしました。因みに初乗車です。


駅からはもちろんスカイツリーが見えます。この日も工事が続いていました。


100系の特急「きぬ」が通過。
前面には「上を向いてがんばろう日本」のマークが貼られていました。
この後の普通列車で浅草へと戻りましたが、浅草駅はホームがカーブしているために列車との間隔がかなり空いているところがありました。こういったことはJRではなかなか無いだけに、さすが私鉄だなと思いました。不安な人は前方(浅草寄り)からの降車をオススメします。

切符をもらってからまたメトロに乗車。
銀座線で来た道を戻り、今度は赤坂見附まで。


朝ごはんが食べたいな…と思っていると、駅前にファーストキッチンを見つけたので迷わず入店。
「モーニングプレート」とアイスカフェラテで440円。しばし東京の風景を眺めながらの朝食を満喫しました。いいもんですね。




赤坂見附というと上智大学です。せっかくならば見ておこうと思い、門の前まで行ってみました。まぁ、それだけなのですが…。
ところで、上智大学近くの坂は紀尾井坂と言い、これは紀伊・尾張・井伊の三家の藩邸があったことに由来しています。本当はこっちが目的です。
今回はそこを実際に歩いてみたわけですが…かなりキツいですね。そう、ここで今から遡ること133年前、明治政府の内務卿・大久保利通が6人の士族に襲撃され命を落としたのでした。


近くの清水谷公園には哀悼碑が建てられています。その大きさが彼の功績を表しているかのようです。
不足した予算に私財を投じていたと大久保利通。彼の暗殺後、大日本帝国憲法、第一回帝国議会、不平等条約改正と、日本は次々と世界の一等国へと近代化を成し遂げていきます。


紀尾井坂から赤坂見附駅に戻る途中の風景。
江戸城外堀のすぐ近くを高速道路が通っています。この景観はどこか京都にも通じるものを感じました。

赤坂見附からはまた銀座線で進み、表参道で下車。
ここから、今回の旅の「核」となる場所を一気に3つ訪れます。

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