早春の伯備線を撮る【その3・方谷】

2024年03月03日 11時49分52秒 | 鉄道関係
【その2】の続きです。

美袋駅を出た列車は、隣の備中広瀬駅までの間に総社市と高梁市の境を跨ぎます。
当初、美袋の撮影地から備中広瀬まで何とか線路の対岸を歩けないものかと調べていたのですが、撮影地からは山道を延々と迂回するか、線路沿いの国道(歩道なし、交通量多)を歩くしか方法はなさそうで、断念しました。
列車は備中高梁で「やくも13号」に追い越され、次の木野山で「やくも16号」と行き違い。その次の方谷で下車。


こちらは以前友人と訪れたことがあるのですが、それも高校時代ですから、実に10数年ぶり。
岡山で待ち合わせて急行「つやま」を撮り、伯備線で北上。ここ方谷と布原に寄り道をし、最終の芸備線を備後落合で乗り継いで三次に宿泊。翌朝は三江線で江津に出て山陰方面へ……という行程でした。今はもう芸備線の最終は備後落合での接続がなく、三江線も廃止されていますから、辿ることが不可能になってしまいました。
当時の伯備線は、381系の「ゆったり」改造前で、「スーパーやくも」が「やくも」に統一されたことで「緑やくも」が増殖中。普通列車は115系ばかりで、213系も未更新車。貨物列車にもコキ71が繋がれていた頃です。

ホーム端の地下通路を通って、駅舎へ向かいます。


前回訪問時とほとんど変わらない佇まいで迎えてくれました。


目立つ変化は、ICカード処理機が設けられたくらい。
駅名標もそのままですが、かつてはホームに置かれていたものでしょうか。


窓口も塞がれず、現役当時の雰囲気のまま。
前回訪問時は簡易委託駅で、窓口の方とお話した覚えがあります。今ならきっと何かしらの切符を購入していたことでしょう。


駅舎を出たところに、駅名の由来となった山田方谷生誕地の案内板がありました。
近年は山田方谷を大河ドラマの主人公に推す動きもあるようで、もし実現すれば、幕末期を最初から最後まで、ときに中枢にも関わりながら見届けた人物ですから、題材としてはおもしろそうです。


振り返って、駅舎全景。
伯備線内では美袋駅と並ぶ素晴らしい木造駅舎です。ちょうど西日が柔らかく当たる絶好のタイミング。


特徴的な車寄せのコンクリート柱。
これも郷土の偉人の名を由来とする駅の「威厳」でしょうか。開業が昭和3(1928)年ですから、それこそ山田方谷(1877年没)をリアルタイムで知る人もこの駅舎の開業に立ち会ったのでしょう。その感慨やいかに。


ちなみに、駅舎内は入れるようになっていました(時間・日時限定)。
出札をしていた当時の設備はありませんが、天井の高さや出札・荷物窓口高さなど、往時の雰囲気は十分味わえます。


駅舎を出てすぐ横にある、山田方谷の「長瀬塾」跡を示す石碑。
ちょうど現在の駅が塾跡となるようで、かの河合継之助もここを訪れたことがあるのだとか。


駅前の風景。
商店があり、前回訪問時はここでパンを買った覚えがあります。現在では閉業されているようで、せっかくなので自販機で飲み物を買いました。

さて、駅舎を一通り見たところで、撮影地に向かいます。

例によって対岸の国道には歩道がないので、駅横から旧道というか廃道を歩きます。
普段はほとんど通行がないのか、足元は石がゴロゴロ、枯れ草も茂ったままで、夏場だと虫が鬱陶しいかもしれません。


道中で見つけた「岡山県」の境界杭。
「県」が「縣」ではないですが、字体がなんとなく古そうです。

前回訪問時はこの辺りから河原に降りて撮影していましたが、今回はそのまま10分ほど歩いて南下。
しばらくすると、川沿いの小さな集落に辿り着きました。


国道からは橋を介して繋がっています。
橋の上から方谷駅方面を見ると、もうすぐ影が線路に掛かりそう。ここからは時間との勝負です。


撮り方を色々と考えているうちに「やくも15号」が通過。
偶然にも? 車両と欄干の色が揃っています。


後追い。
美袋の撮影地もそうでしたが、山と川に挟まれたわずかな平場を列車が走る、これぞ思い描いていた伯備線的情景です。
機会があれば「サンライズ」も撮ってみたいですが、Wet上でほとんど作例を見ないあたり、早朝は日が当たらないのでしょう。

この時間帯の「やくも」は方谷で交換しますから、急いで橋を渡ります。


「緑やくも」で運用される「やくも18号」です。
先ほどの川沿いと迷っていたのですが、天気が良かったので線路際で。4連がカーブにちょうど収まりました。


ロゴマークもバッチリ再現されています。
「スーパー」なき後、「ゆったり」で統一されるまで、ノーマルの「やくも」といえばこの色。
出雲市→米子で走っていた「通勤ライナー」ではロザが開放されていて、わざわざ乗りに行ったこともありました。

駅に戻って、列車を待ちます。


やって来たのは、またもや213系。
先ほど乗車した列車の折り返しです。

岡山行きなのでこのまま乗っていてもよかったのですが、今度は備中高梁で途中下車。


市の中心駅かつ特急停車駅らしく以前は窓口も営業していましたが、いまは券売機に置き換えられ、改札窓口も閉鎖。
周辺の無人駅の巡回サポートをするようになったので、実質的な無人駅となってしまいました。
この日は備中川面駅に駅員さんの姿が見えたので、巡回していることは確かなのでしょう。それにしても、と思うところはありますが、


駅を出るとすぐに高梁市図書館・蔦屋書店・観光案内所が併設されていて、こちらには人気があります。
蔦屋書店にはスタバがあるので、ここで小休憩。実は昼食を逃していたので、助かりました。

帰りの列車を調べたり、写真を整理したりして、「やくも20号」で高梁を後にします。


朝に撮影した「スーパーやくも」塗装がやって来ました。


ここまで沿線撮影ばかりでしたから、たまには駅でじっくり撮りたかったのです。
車体に大きく書かれた「SUPER YAKUMO」の愛称は、憧れのスーパー特急の証。工夫を凝らしたロゴマークばかりの現在にあって、シンプルな文字列が却って新鮮に映ります。

今回選んだのは、先頭車の11番列。


配管の関係で窓際のA・D席はなく、1人掛けの座席となっています。
高梁からはチケットレスで500円、短距離の乗車なので今回はここを選んでみました。
通路側なので外の景色はあまり楽しめませんが、一日歩き回ったので寝てしまい、気付くと岡山到着を告げる鉄道唱歌チャイムが。


降りてから、じっくりと撮影します。
愛称幕の「スーパー」がスピード感あふれる字体でカッコいいですね。
カラーリングも国鉄色から大きく変化しましたが、「ヒゲ」がアレンジされて取り込まれているのが好みです。


側面のLED行先表示は、現役当時にはなかった組み合わせ。


パノラマグリーン車側。
サロ譲りの大窓が特徴的です。もうこうした改造車もなかなか出てこないのでしょうね。


「スーパー雷鳥」「スーパーくろしお」など、西日本のスーパー特急でおなじみだったパノラマグリーン車も、この「やくも」が最後となってしまいました。
増解結における汎用性の観点からか、このところの新型車両は貫通型ばかりで、前面展望はむしろ普通列車のほうがよく見渡せます。代わりに(?)273系ではフルフラットにできるグループ席が設けられるようで、そちらも楽しみですね。


4月からの273系投入に伴い、このパノラマグリーン車はいち早く引退するようで、直接目にするのはこれがおそらく最後の機会。
最後に「スーパーやくも」として撮影することができて、ひとまず悔いはありません。381系じたいはもうしばらく残るようで、いつかの再会に期待です。

早春の伯備線を撮る【その2・美袋】

2024年02月17日 14時50分53秒 | 鉄道関係
【その1】の続きです。

豪渓から227系に乗車し、ふた駅目。
今度は美袋(みなぎ)で下車しました。




最新鋭の電車(2023年製)から降り立ったのは、大正14(1925)年築の木造駅舎。
ちょっとしたタイムスリップ気分です。どうしても車両の面ばかりが注目される「国鐵岡山」ですが、駅舎群においても古いものが多く、因美線などは上手く観光資源に活用されている印象があります。
この美袋駅舎も登録有形文化財に指定されており、丸ポストが良い名脇役。ここで「やくも8号」で上ってくる国鉄色との組み合わせを狙っていたのですが……


通過……!?
上り列車はホーム向こうの1番線を通過することをすっかり失念していました。
朝の4号撮り逃しに続くミスですが、それでもこの国鉄色の存在感は流石です。115系の湘南色でも撮ってみたいですね。

さて、駅での撮影はここまで。
徒歩移動を始めます。


駅前の「美袋交通」車庫。
2021年までは路線バスも運行していたようです。
現在は備北バスが駅近くを走っており、撮影地までの道中で乗ってみたかったのですが、時間が合わず断念。

気温も高くなってきたので、ウォーキング気分で備中広瀬駅方面に向かいます。
道中、築堤に梅が咲いていたので「やくも7号」を一枚。


バックは冬枯れの山。
季節は冬から春へ、381系も引退の足音が近付いてきます(ゆったりカラーはしばらく残るんでしたね)。


115系の普通列車も撮っておきます。
この辺りには撮影地が点在しているのですが、光線がどうにもイマイチなので遠目から。
鉄道模型のレイアウト製作の参考になりそうな風景にたくさん出会いました。

やがて集落を外れ、国道に出ると、大きな橋が見えてきました。


水内橋(みのちばし)です。
この橋を渡って撮影地へと向かいます。


親柱によると、昭和13(1938)年の架橋とのこと。
昭和9(1934)年に発生した室戸台風からの復興事業で架けられたそうです。


「カンチレバートラス」と呼ばれる形状の、堂々たる佇まい。
以前は黄色で塗られていたようです。昨年訪れた川面の田井橋(昭和12年架橋)もそうでしたが、台風後の同じ時期に架けられた複数の橋がいまも現役であるところに、「災害に負けない立派な橋を架ける」という当時の人々の気概を感じます。

橋を渡り、線路と国道を対岸に見ながら北上します。
途中、河川敷にキャンプ場があり、遊具越しに「やくも10号」を。


上下線が別のようで、上り線はやや下を走っているようです。

さらに北上すると、神社の先に貨車(ワム?)を改造した倉庫を見かけました。


両側に窓を開け、中央の開き戸をシャッターに改造したタイプ。
中の荷物は真新しいので、いまも現役で使われているようです。番号の類は読み取れませんでした。

貨車倉庫は対岸にも。


こちらはほぼ無改造と思われます。
かつては伯備線の貨物列車に繋がれて陰陽を往来したのでしょうか。

しばらく進むと綺麗に撮影できそうな一帯に辿り着きました。
ちょうど国鉄色の9号が折り返してくる頃。


「やくも9号」が、高梁川に姿を映しながら北上していきます。
この「伯備線らしさ」を撮るのが今回の目的でした。


それにしても、美しいものです。
冬枯れの風景が一瞬でパッと明るくなります。

213系の普通列車もやって来ました。


伯備線を走るようになって早20年余り。
瀬戸大橋を渡っていた頃よりも長い時間が経ちましたが、カラーリングはそのまま。水辺の風景によく似合っています。

少し美袋駅寄りに戻ります。


今度の普通列車は115系。
黄色の存在感は抜群です。227系の投入によって今後数を減らすことは間違いなく、381系と合わせて撮りたい被写体。
この日はD-24編成が廃車回送されたようです。


同じポイントで「やくも12号」を。
この辺りは上下の特急が総社付近と方谷付近で離合し、さらにその間を縫うように普通列車がやって来るので、まったく退屈しませんでした。

12号を見送ったところで、川沿いでの撮影はここまで。
再び水内橋を渡り、美袋駅近くに戻ります。


次に乗る列車まで少し時間があるので、上り線のトンネル前に来ました。


213系のトンネル飛び出し構図です。
東日本や東海では数を減らしつつある「この顔」ですが、ここ岡山ではしばらく見られそうです。四国と九州も当面安泰でしょうか。

列車の時間が近付いてきたので、より駅に近いポイントへ。


車体を傾けて「やくも14号」が通過します。
この踏切脇に喫茶店があって気になったのですが、残念ながら定休日でした。


振り子を戻しつつ(?)美袋駅を通過していきます。
確かにこの構造だと中線(2番線)は高速で通過できませんね。主に退避に使用されているようです。

駅に戻ると、程なくして普通列車がやって来ました。
今日は213系によく当たります。


さらに北上します。

【その3】へ続く

早春の伯備線を撮る【その1・豪渓】

2024年02月14日 20時02分27秒 | 鉄道関係
1月は行く、2月は逃げる……とあって、今年最初の更新です。

2月13日(火)、代休がとれたので10ヶ月ぶりに伯備線を訪れました。
行きは京都から始発の新幹線。ちょうど1時間で到着した岡山は通勤ラッシュのど真ん中で、やって来た山陽線の列車は大混雑。それでも岡山を境に乗客が入れ替わるせいか、岡山以西は比較的空いており、前回と同様に2駅目の庭瀬で下車しました。
ここで「スーパー」な「やくも4号」を撮影する予定でしたが、行程の都合上、ここでは撮れないことが判明したのは降りてから。
隣の中庄でなら撮れていたようです。


仕方なく、貨物列車を一枚。
かつては中線があったであろうスペースや、木造の跨線橋など、往時の「幹線の小駅」的雰囲気を色濃く残しています。


後続の列車で移動します。
伯備線に直通する列車は少ないので、ここで移動しておかないと伯備線内で折り返しの5号が撮れません。
「やくも4号」とは移動中にすれ違い。悔しい!

倉敷で一気に乗客が減り、総社でさらに減り、その次の豪渓(ごうけい)で下車。




伯備線ではよく見かけるタイプの、コンクリート造の無人の駅舎。
駅前にはタクシー会社があり、景勝地「豪渓」への二次交通を担っているようです。

駅から総社寄りに少し歩き、撮影地へと向かいます。


ここは上下線が離れており、カーブを曲がってくる下り列車を撮ることができます。
当然、381系であれば振り子を効かせて通過するわけですから、これは期待できそう。


30分ほどして「スーパー」の「やくも5号」が通過します。
ようやくパノラマ先頭をカーブ区間で撮ることができました。逆光は承知のうえですが、このカラーリングは光の中でこそ似合う気がします。

ここで予定していたのはこの1本のみ。
駅に戻ります。


柱の紫のカラーリングは「スーパーやくも」の登場に合わせたものでしょうか。
現在は路線ごとのアルファベット記号とラインカラーが設定されていますが(伯備線は緑色)、こういう構造物は塗り替えられず各地で意外としぶとく残っています。

穏やかな平日の朝。
誰もいないので京都で買った朝食のサンドイッチをここで食べましたが、そうこうしていると、列車の時間ではないのに接近放送。


そういえば、伯備線では貨物列車が現役でした。
381系の完全引退後は、この機関車もより注目されるようになるのでしょう。山陽筋に比べると短編成の貨物列車は、何とも模型的です。

さて、後続の普通列車で北上します。
何が来るかと待っていたら、昨年登場したばかりの227系。


昨年登場したばかりの227系「Urara」がやって来ました。
じわじわと勢力を拡大しつつあるこの顔。今回岡山に投入されたことで、新潟県(糸魚川)から山口県(下関)までがこの顔で結ばれたようで、まるで令和の湘南フェイス的存在と言えるのかもしれません。

【その2】に続きます。

2023年の大みそか

2023年12月31日 21時35分07秒 | 鉄道模型/レイアウト製作
今年も大みそかとなりました。
相変わらず更新頻度は低いままですが、それでも見に来てくださった方には感謝を申し上げます。
「書きたい」ことはたくさんあっても、わざわざノートPCを引っ張り出して写真を取り込んで(精密機器類は、お子様の手の届かないところに収納せざるを得なくなりました)というのが、なかなか面倒になってきたことも事実。
幾つかの旅行記を完結させられたのは、昨年とは異なる点でしょうか。
まだまだ書きかけの旅行記が残っているのですが、年明けにちまちまと書いていければ……。


さて、この年末に仕事を納めてからは、前の職場の同僚が遊びに来たり、旧友と再会したり、久々に近場を散策していました。
再びオーバーツーリズムが騒がれるようになりましたが、すっかり紅葉も散った哲学の道や鴨川界隈は思いのほか人が少なく、よく知っている普段着の姿。
お互いの近況や、最近のアレコレに話が盛り上がったのはもちろんですが、家庭を持ってからのこうした繋がりは、なんとも良いものですね。


立ち寄るところにも変化がありまして、今までは喫茶店ばかり追いかけていたのが、ここにきて「食堂」や「町中華」が気になりはじめました。
とある書籍に触発されたのですが、おそらく関西でしか成立しえないであろう「うどん定食」の存在や、みそ汁の他に玉吸(ぎょくすい)があるなど、もしかするとそのメニューをとりまく文化は、喫茶店以上に奥が深そうな気がします。
しかし、年々閉業するお店が増えているのもまた事実。子どもと一緒に訪れるその日まで、あり続けてほしいなと思うわけです。
画像のお店は、皿うどんとちゃんぽんのみの潔いメニュー構成でした。

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そして、模型の方もようやく動きはじめました。
昨年の引っ越し以来、旧レイアウトは解体、趣味関係はことごとくロフトに押し込んでいたのですが、このたびそのロフトを片付け、車両ケースを収納している棚の上に改めてスタイロフォームを並べました。
線路配置に随分と悩みましたが、自分の再現したい風景とスペースの折り合いをつけながら、ようやく線路配置が「ほぼ」決定。
この「ほぼ」というのが厄介で、実はまだ100%納得しているものではありません。
そのなかでも、これで確定だろうというのが駅部分です。


左端の線路(対向式ホームを設置予定です)には21m級車両が6両、ホームなしの中線に4両、島式ホームに5両が停まれる駅です。
スペースの関係で左端の線路は行き止まりですが、それ以外は周回ができるようにしました。
駅舎は背後の詰所(TOMIX製)を改造して使おうと思っています。今でも地方によくある、鉄筋コンクリート造の駅舎をイメージしています。

今回は中線を設けるのがこだわりでした。
現在はダウンサイジング化が進んで多くの駅で剥がされていますが、山陰本線だと地上時代の福知山や、現在でも和田山、豊岡などの拠点駅には(使用頻度はともかく)残されており、再現してみたいと思っていました。
これがあるおかげで構内に奥行きが出るだけでなく、機回しができるようになり、幅広い時代にも対応できます。


キハ58系を連ねて、ディーゼル急行華やかなりし頃。
中線に単行の気動車や半端な客車を停めておくと、たちまち「それっぽい」情景になるから不思議です。


単行気動車を停めると、現代の風景に様変わり。
かつての長大なホームも無用の長物といった感じで、こうなると中線の使用頻度は低くなってきます。

島式ホームの一方は、中小私鉄もしくは第3セクター専用と考えていて、


古い気動車を置くと、たとえば専用線由来のローカル私鉄。
貨物ホームはもう少し低くしたいですね。


時代が過ぎ、廃線の危機を乗り越えてレールバスに置き換えられた後、やはり収容力適正化でNDCが投入された例。
引退したレールバスは旧貨物ホームに留置されているという、どこかで見覚えのある風景。
「ノスタルジック鉄道コレクション」を試しに1箱買ってみたら、欲しかったレールバスを引き当てて、今年の運は使い果たしました。

来年はレイアウト製作再始動の年にできればと思っています。
引き続きどうぞよろしくお願いいたします。

はじめての家族旅行 その3

2023年11月19日 18時31分35秒 | 旅行記
【その2】の続きです。

丸亀のホテルで迎えた朝。
寝相の悪い息子のベッドからの転落に冷や冷やしていましたが、どうにか壁際に留まったまま朝を迎えてくれました。
現在(11ヶ月)の方が寝相の悪さに拍車がかかっているような気がしていますが。(笑)


なぜか十分すぎるほど食べてしまう、ホテルの朝食です。
もちろん(?)、讃岐うどんもありました。

ホテルを8時半過ぎに出て(アンケートに答えたら「カレー」のもらえるホテルでした)、「南風4号」に乗車します。
昨日から使用を開始した「岡山香川フリーパス」がそのまま使えるので、改札は呈示でスルー。特急券もチケットレスです。


(宇多津で「しまんと」の切り離し中に撮影)
2000系から置き換えられてはや4年、ようやく2700系に初めての乗車が叶いました。
大型荷物置き場は近年の特急車両では必須の設備ですが、ベビーカー利用にも大いに助かります。今回に限りませんが、列車内の荷物置き場の有無や、駅のお手洗いの位置など、これまでの旅で積み重ねてきた経験が大いに生きている気がします。


先代譲りの俊足で瀬戸大橋を軽快に渡っていきます。
キハ85系→HC85系のように明るく清潔感のある車内は嬉しいもので、それでいてエンジン音は静か。息子は抱っこ紐の中でぐっすりしたまま、岡山に着きました。

岡山駅ではお土産を購入し、「こだま指定席きっぷ」を使用開始。
この旅最後のお楽しみとなる「こだま842号」に乗車します。


妻のリクエストで、人気の「ハローキティ新幹線」です。
以前乗車したのは結婚前、そのときは自由席でしたが、今回は元グリーン車の座席が使われている6号車を指定。
そのためシートピッチが広く、ベビーカーは足元に十分収まりました。

岡山では「のぞみ」等を退避するために14分の停車。
発車前に1号車カウンターに出向き、予約していたスイーツを引き取りました。


岡山のフレッシュタルト専門店「STYLE」の手掛けるタルトで、他にも「ラマルせとうち」や「Saku美Sakura」などの観光列車で提供しています。
当然岡山で積み込むので、「ハローキティこだま」では上りが岡山→新大阪間、下りが新大阪→小倉で提供されており、今回初めて注文してみました。


タルトは季節で果物が変わり、夏はシャインマスカットにピオーネ、レモンとさっぱり系が中心。
果物は新鮮でみずみずしく、そうかと思えばタルトはサクサク。私も妻も好みのタイプのタルトで大満足。
こうしたお楽しみがあると、新幹線でも観光列車然としてくるから不思議です。


「こだま」らしく、各駅で退避を繰り返しながら、新大阪には定刻通り11:25に到着。
12分の接続で「はるか16号」に乗り換えます。ホームから改札階までエレベーターで降りるのにやや時間がかかりましたが、「はるか」の発着ホームは新幹線からいちばん近いので、数分の余裕をもって辿り着くことができました。


というわけで、「こだま」から「はるか」に、「ハローキティ」列車同士の乗り継ぎです。
この春から9両編成での運転が再開されたので、271系側の指定席を選んで乗車しました。周りも空いていたので座席を回転させ、旅の最後のひとときをのびのび過ごします。
ところが今はそうもいかないのか、インバウンド観光客の増加に伴い、今回乗車した7号車は自由席化されたようです。さらに来春の北陸新幹線延伸に合わせて敦賀延長の話も出てきているようで、これからも変化に注目です。


20数分で京都に着き、ベビーカーを押して地下鉄に乗り換え。
「おもいやりスペース」のある新型20系だったので、ベビーカーでそのまま乗ることができました。慣れ親しんだ10系が引退していくのは寂しいですが、朝に乗車した2700系然り、新車の清潔感や設備の便利さはやはり良いもので、これは子どもを連れるようになって改めて実感するようになったところです(そういう点で、273系は楽しみにしています)。

さて、今回も京都に帰ってきたところで、旅行記は3ヶ月越しに完結です。
初めてベビーカーの息子を連れた旅行でしたが、思っていたほど移動は負担にならず、何よりも行く先々で息子が周囲の人々に愛想を振りまくようになってきたので、父母としてはとても幸せでした。
9月、10月の旅行記は、またそのうち。