西尾治子 のブログ Blog Haruko Nishio:ジョルジュ・サンド George Sand

日本G・サンド研究会・仏文学/女性文学/ジェンダー研究
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『サラジーヌ 他三篇』

2017年05月20日 | 文学一般 海外


バルザック 『サラジーヌ 他三篇』 岩波文庫
若き彫刻家サラジーヌがローマで会った奇蹟の歌姫ラ・ザンビネッラ。完璧な美の裏の呪うべき秘密とは? 狂おしい恋慕の果てに知った真の姿とは? バルトの名講義『S/Z』を導いた表題作ほか、音楽家、画家、女性作家――芸術家にまつわる四つの物語。一途で奇怪な情熱が渦巻く。

この芸術家は飽きることなくうっとりと眺めるのでした。それはひとりの女性以上のもの、まさに傑作でした。この創造物のうちにあったのは、あらゆる男を魅了する愛くるしさと批評家を満足させる美しさです。サラジーヌは、彼のために台座から降りてきたこのピグマリオンの彫像を、穴のあくほど見つめました。ラ・ザンビネッラが歌うと、もう有頂天でした。芸術家には悪寒が走り、それから、適切な言葉がないので私たちが心と呼んでいる内部の意識の奥深くで、突然、火がぱちぱちと燃えあがるのを感じたのです。拍手もせず、何も言わず、狂気の発動を感じていました。それは、欲望がなにかしら恐ろしい悪魔的なものを持つ年齢になってはじめて私たちを揺り動かす一種の狂躁です。サラジーヌは舞台に飛びあがって、この女を独り占めしたいと思いました。彼の力は、説明困難な精神の鬱屈によって百倍にもなったのです。
名声も知識も将来も生活も栄冠も、すべてが崩れ去りました。「彼女に愛されるか、さもなくば死か」というのが、サラジーヌが自分自身に対し下した判決でした。彼はすっかり陶酔しきっていたので、もはや劇場や観客も役者も目に入らず、音楽も耳に入りません。それどころか、自分とラ・ザンビネッラとの間には距離がなくなり、彼女をわが物とし、じっと食らいついたままのその目は、彼女を独占していました。ほとんど悪魔的な力によって、その声の息吹を感じ、その髪に染み込んでいる髪粉の香りをかぎ、その顔の肉づき具合を見、サテンのような光沢のある肌に微妙な色合いを添えている青い静脈をそこに数えることができたのです。さらにその声は、軽やかで、みずみずしく、銀を震わすようで、わずかな風のそよぎにも形を変え、巻いたりほどけたり、、伸びたり乱れたりする糸のようにしなやかでした。そのような声が彼の魂をとても激しく打ったので、彼は一度ならず、痺れるような快感から思わずもたらされるあの叫び声をもらしたのですが、それは人間の情熱からは滅多に生じるものではありません。

ロラン・バルトの「サラジーヌ」論、『S/Z』より
「SarraSine。フランス語の固有名詞の習慣にしたがうなら、人はSarraZine の綴りを期待するだろう。そのZの文字は、主体から父の名へ移行する際に脱落して、ワナか何かにはまったのだ。ところで、Zとは切断の文字である。つまりZは、音声的には、懲罰のムチのような、凶暴な虫のような峻烈な音をたてる。Zは、字面的には、アルファベットの丸みのある文字のなかにまじり、あたかも斜めのぎざぎざした刃のように、切り込み、削除線を入れ、縞をつける。バルザック的視点から見ると、このZ(バルザック Balzacの名前のなかにもある)は、逸脱の文字である(短編Z・マルカス参照)。結局、本書でも、Zはザンビネッラ Zambinella の最初の文字、去勢の頭文字となっていて、その結果、サラジーヌ Sarrasine は、自分の名前の中心に、自分の身体の中央に布置されたこの綴りの間違いによって、その真の性質にかなったザンビネッラのZを受け入れるのだが、それは欠如の傷にほかならない。さらに、SとZは字面的に反転した関係にあって、それは鏡のむこう側を見れば同じ一つの文字なのだ。」


参考
・Roland Barthes, S/Z, Paris, Éditions du Seuil, 1970

・Michel Serres, L'hermaphrodite : Sarrasine sculpteur, Paris, Flammarion, 1987

・Diana Knight, Balzac and the Model of Painting, Londres, Legenda, 2007





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