電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散宜しく『日本を崩壊へ導く「選択制夫婦別姓」問題』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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世の中でいちばん大切なものは家族と愛
( ジョン・ウッドン )
The most important thing in the world is family and love.
( John Wooden )
◆「海中の道」宇野愛子(75) 香川県琴平町
(「朝晴れエッセー」産経新聞 R02(2020).04.30 )
夫の父は歴史が好きで郷土の歴史に精通していた。嫁いできたとき、学校で学んだことしか知らなかった私に郷土の偉人について熱く語ってくれた。今でも忘れられないのは大久保諶之丞(じんのじょう)という郷土史に残る人物の言葉であった。
「いつの日か瀬戸内海に道が通じて四国と本州を行き来する日が来る」
父はその言葉を心から信じていた。
私は人間が初めて月へ上陸したときには、子供のころ読んで育った鉄腕アトムの影響で不思議な気持ちはしなかった。
けれども短大時代に本州へ渡るとき、連絡船に乗り換えて、1時間海を見つめてきた私は、そんな大きな深い海に道ができることなど考えにも及ばなく奇跡を聞いている思いであった。
月日がめぐって私が3人の子の母になったとき、私は再びその言葉をニュースで耳にした。それは瀬戸内海の小さな島々を拠点にしてつり橋を架けていき、本州と四国をひとつなぎにする巨大な橋の計画だった。
長い長い工事の果てに海中に1本の道が現れた。銀色に輝くつり橋は優しい姿で、本州に近づくにつれて息子が遊んでいた超合金のグレートマジンガーを思わせる優雅で力強い橋であった。
私は父に一目見てもらいたかったと心の底から思った。父は私に海中の道を語ってくれた3年後に病で天に旅立ってしまった。瀬戸大橋を見るたびに私は「お父さんに見せてあげたかった…」と思わず口にしてしまう。
父の心はひとすじに偉人の言葉を信じていた。未来に夢を見つめていた。
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散宜しく『日本を崩壊へ導く「選択制夫婦別姓」問題』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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世の中でいちばん大切なものは家族と愛
( ジョン・ウッドン )
The most important thing in the world is family and love.
( John Wooden )
◆「海中の道」宇野愛子(75) 香川県琴平町
(「朝晴れエッセー」産経新聞 R02(2020).04.30 )
夫の父は歴史が好きで郷土の歴史に精通していた。嫁いできたとき、学校で学んだことしか知らなかった私に郷土の偉人について熱く語ってくれた。今でも忘れられないのは大久保諶之丞(じんのじょう)という郷土史に残る人物の言葉であった。
「いつの日か瀬戸内海に道が通じて四国と本州を行き来する日が来る」
父はその言葉を心から信じていた。
私は人間が初めて月へ上陸したときには、子供のころ読んで育った鉄腕アトムの影響で不思議な気持ちはしなかった。
けれども短大時代に本州へ渡るとき、連絡船に乗り換えて、1時間海を見つめてきた私は、そんな大きな深い海に道ができることなど考えにも及ばなく奇跡を聞いている思いであった。
月日がめぐって私が3人の子の母になったとき、私は再びその言葉をニュースで耳にした。それは瀬戸内海の小さな島々を拠点にしてつり橋を架けていき、本州と四国をひとつなぎにする巨大な橋の計画だった。
長い長い工事の果てに海中に1本の道が現れた。銀色に輝くつり橋は優しい姿で、本州に近づくにつれて息子が遊んでいた超合金のグレートマジンガーを思わせる優雅で力強い橋であった。
私は父に一目見てもらいたかったと心の底から思った。父は私に海中の道を語ってくれた3年後に病で天に旅立ってしまった。瀬戸大橋を見るたびに私は「お父さんに見せてあげたかった…」と思わず口にしてしまう。
父の心はひとすじに偉人の言葉を信じていた。未来に夢を見つめていた。