電脳筆写『 心超臨界 』

勝つという意志はそれほど重要なことではない 
勝つために準備するという意志に比べたら
( ボビィ・ナイト )

かけがえのない家族 《 おやじの弁当――中條高徳 》

2024-07-19 | 06-愛・家族・幸福
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
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生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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  世の中でいちばん大切なものは家族と愛
  ( ジョン・ウッドン )
  The most important thing in the world is family and love.
  ( John Wooden )


◎おやじの弁当――アサヒビール名誉顧問・中條高徳
([巻頭の言葉]『致知』2009年1月号 )

◆冨と引き換えに失ったもの

その昔、我が国はいまの若者たちが考え及ばないほど貧乏な国であった。

しかし、その頃の家庭にはぬくもりがあり、総じて明るかった。親子の情は濃く、長幼の序は厳しく、そして礼儀正しかった。

母親は総じて寡黙(かもく)でつつしみ深く、人前、とりわけ子供の前では父親を立てた。

来日した著名な外国人たちが、口を揃(そろ)えて「礼節の国」「道義ニッポン」と讃(たた)えてくれた国でもあった。

63年前、世界の大国と戦い、そして敗れた。戦後は食べるに食なく、着るに衣のないどん底の生活を体験しながらも、我が民族は汗と涙で経済大国日本を築いてきた。民族の底力と誇っていい。

しかし、富(豊かさ)の構築とほぼ比例するように、表現を変えれば、築き上げた富と引き換えるように民族の美点、長所を失ってきた。悲しいまでの現実の日々である。

この原稿を書いているきょうも、札幌で21歳の娘が、実母により8年間監禁されたと報じられていた。

小学校6年頃から8年間も外出を許されない軟禁状態が続き、まともな会話もできないという。登校日数は小6で1日、中学では1年次の2日間だけという。実の母親の処し方とはとても考えられない異常さである。

母親にも障害があったと報じられているが、この異常な期間を親子3人で暮らしていたそうだから、父親はこの事態をどう考えていたのか。無残な家庭崩壊であり、戦後崩れ去った「家庭の絆(きずな)」を象徴する事件である。

人間の倫理の道を説いた倫理研究所創設者・丸山敏雄氏は、「子は親の心を実演する名優である」と説かれている。

この論理にもとづいて、この無残な夫婦を生んだ4人の親たちの生き様を追及したい衝動に駆られるが、プライバシーの問題でできないのが無念である。それ以上の追求はいかに人間学のためとはいえ相手に対する礼節の度を越えるので、逆に子供が親の心を見事に実演し、名優ぶりを発揮した実例をご紹介しよう。

◆勉学の決意を促した親の真情

著者にとって大事なお得意先であり、長い交友の経営する「三笠会館」という有名なレストランが銀座にある。創業者の谷さんは奈良のご出身であり、在家仏教で名を成した方でもあった。現社長の仏前結婚に筆者もお招きを受け感動した日が忘れられない。

その三笠会館より以前発行された『るんびにい』241号で故・樋口清之(ひぐちきよゆき)教授(国学院大学)の随筆が戦前の家庭の姿、親子の生き様を語って余すところがない。

樋口さんの友人で、よく貧乏に耐えて勉学にひたむきに努める人がいた。その友人が勉学に励んだ動機は、「おやじの弁当」だという。

彼はある日、母の作る父の弁当を間違えて持って行ってしまった。彼曰(いわ)く、

「おやじの弁当は軽く、俺の弁当は重かった。おやじの弁当箱はご飯が半分で、自分のにはいっぱい入っており、おやじの弁当のおかずは味噌(みそ)がご飯の上に載せてあっただけなのに、自分のにはメザシが入っていたことを、間違えて初めて知った。

父子の弁当の内容を一番よく知っている両親は一切黙して語らず。肉体労働をしている親が子供の分量の半分でおかずのない弁当を持ってゆく。これを知った瞬間、『子を思う親の真(愛)情』が分かり、胸つまり、涙あふれ、その弁当すら食べられなかった。

その感動の涙が勉学の決意になり、涙しながら両親の期待を裏切るまいと心に誓った」

という。

それに引き換え、戦後の私権の主張のみに急な世相の中では、「お父さんの弁当の中身はすくないが、お前のはちゃんとした弁当だから頑張れ」などと発言しがちであるが、それでは「恩、愛の押し売りはごめんだ」と生意気な子供の言葉がはね返ってくるのがオチであろう。

この「おやじの弁当」の心こそ、仏道で説く「陰徳(いんとく)」の妙法(みょうほう)であり、「慎独(しんどく)」の実践なのである。
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