電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散宜しく『日本を崩壊へ導く「選択制夫婦別姓」問題』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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セレンディピティ(英語: serendipity)とは、素敵な偶然に出会ったり、
予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探して
いるものとは別の価値があるものを偶然見つけること。平たく言うと、
ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ることである。
[ ウィキペディア ]
戦時中、日本とドイツは同盟関係にあったから、ドイツは日本に対してユダヤ人迫害政策に協力することを再三申し入れてきた。首相、外務大臣、陸軍大臣、海軍大臣、大蔵(おおくら)大臣の五閣僚による、内閣のいちばん重要な会議であった五相(ごしょう)会議が開かれたが、その席上、時の陸軍大臣板垣征四郎(いたがきせいしろう)が、「神武天皇がこの国を開かれたとき、天皇は“八紘(はっこう)を掩(おお)いて宇(いえ)となさん”と仰せられた。ユダヤ人を迫害するのは神武天皇のお言葉に反する」と発言した。これによって、日本はドイツの協力要請を斥(しりぞ)けたのである。
◆ユダヤ人を救った神武天皇の詔
渡部昇一「日本の歴史」(1)古代篇『現代までつづく日本人の源流』
( 渡部昇一、ワック (2011/01)、p46 )
大和を平定した神武天皇は、都を橿原(かしわら)に開き、この地で即位式を行った。これが橿原神宮(奈良県)のもとであるが、そのときにこういうことを言っておられる。
「六合(ろくごう)を兼ねて都を開き、八紘(はっこう)を掩(おお)いて宇(いえ)となさん。また可(よ)からずや」
この八紘というのは「天(あめ)の下(した)」という意味で、六合は「国のうち」である。これは二千六百年前の話ということになっているが、ここから「八紘一宇(はっこういちう)」という言葉が生まれた。これは、「世界を一つの家とする」ということで、この前の戦争では非常に重大な意味を持ち、そしてある意味では今日もなお重要な言葉である。
戦後は、この「八紘一宇」は、「日本の侵略戦争を正当化した言葉」として批判されるが、もともとは決してそんな意味ではない。『日本書紀』の原文を読めばわかるように、これは即位式に集まったもろもろの氏族に対して、「これからは国じゅう一軒の家のように仲よくしていこう」という、長い戦争のあとの平和宣言なのである。
いまでは悪名高き「八紘一宇」であるが、しかし、これによって戦時中の日本が多くのユダヤ人を救ったことを忘れてはならない。
戦時中、日本とドイツは同盟関係にあったから、ドイツは日本に対してユダヤ人迫害政策に協力することを再三申し入れてきた。大切な同盟国からの要求だから、日本政府もこの問題を議論した。
首相、外務大臣、陸軍大臣、海軍大臣、大蔵(おおくら)大臣の五閣僚による、内閣のいちばん重要な会議であった五相(ごしょう)会議が開かれたが、その席上、時の陸軍大臣板垣征四郎(いたがきせいしろう)が、「神武天皇がこの国を開かれたとき、天皇は“八紘(はっこう)を掩(おお)いて宇(いえ)となさん”と仰せられた。ユダヤ人を迫害するのは神武天皇のお言葉に反する」と発言した。これによって、日本はドイツの協力要請を斥(しりぞ)けたのである。
これは日本の国是(こくぜ)になった。だから、のちにユダヤ人を助ける杉原千畝(すぎはらちうね)のような外交官も出てきたし、満蒙(まんもう)国境を越え、あるいはシベリア鉄道で逃げてきた大勢(おおぜい)のユダヤ人を助けた樋口季一郎(ひぐちきいちろう)少将のような軍人もいた。敦賀(つるが)港や舞鶴(まいづる)港では多くのユダヤ人難民を何度も受け入れ、「人道の港」と呼ばれた。これは、そもそも日本政府がユダヤ人を迫害しないと決めたからである。
神話だといってバカにしてはならない。二千六百年前に即位した初代天皇の言葉が生きていたのである。
私はこの事実を東京裁判所で訴えるべきだったと思う。戦争中に国の方針としてユダヤ人を迫害しないと決めた日本のような国はほかになかったのだし、A級戦犯とされた東條英機(とうじょうひでき)や板垣征四郎もユダヤ人を助けているのである。それを東京裁判のときに世界に宣伝するセンスが弁護団にあったら、世界中のユダヤ人から東京裁判反対の声があがったのではないか。何しろ、ユダヤ人を大量虐殺したナチスを裁くニュールンベルク裁判の正反対なのだから。そうすれば、東京裁判は中止された可能性もあったのではないかと私は想像する。
日本の神話はこうして二千六百年も日本の歴史に生きていたのだ。そして、「神武東征」のエピソードに登場する橿原神宮や竈山(かまやま)神社など、日本の神社が神話時代から続いていることからもわかるように、日本の現在の文化的遺産、つまり古代文化は、エジプトのピラミッドや古代ギリシャの神殿のような単なる遺跡ではなく、現在もなお生きている。つまり「生きもの」であることがその特徴なのである。
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散宜しく『日本を崩壊へ導く「選択制夫婦別姓」問題』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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セレンディピティ(英語: serendipity)とは、素敵な偶然に出会ったり、
予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探して
いるものとは別の価値があるものを偶然見つけること。平たく言うと、
ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ることである。
[ ウィキペディア ]
戦時中、日本とドイツは同盟関係にあったから、ドイツは日本に対してユダヤ人迫害政策に協力することを再三申し入れてきた。首相、外務大臣、陸軍大臣、海軍大臣、大蔵(おおくら)大臣の五閣僚による、内閣のいちばん重要な会議であった五相(ごしょう)会議が開かれたが、その席上、時の陸軍大臣板垣征四郎(いたがきせいしろう)が、「神武天皇がこの国を開かれたとき、天皇は“八紘(はっこう)を掩(おお)いて宇(いえ)となさん”と仰せられた。ユダヤ人を迫害するのは神武天皇のお言葉に反する」と発言した。これによって、日本はドイツの協力要請を斥(しりぞ)けたのである。
◆ユダヤ人を救った神武天皇の詔
渡部昇一「日本の歴史」(1)古代篇『現代までつづく日本人の源流』
( 渡部昇一、ワック (2011/01)、p46 )
大和を平定した神武天皇は、都を橿原(かしわら)に開き、この地で即位式を行った。これが橿原神宮(奈良県)のもとであるが、そのときにこういうことを言っておられる。
「六合(ろくごう)を兼ねて都を開き、八紘(はっこう)を掩(おお)いて宇(いえ)となさん。また可(よ)からずや」
この八紘というのは「天(あめ)の下(した)」という意味で、六合は「国のうち」である。これは二千六百年前の話ということになっているが、ここから「八紘一宇(はっこういちう)」という言葉が生まれた。これは、「世界を一つの家とする」ということで、この前の戦争では非常に重大な意味を持ち、そしてある意味では今日もなお重要な言葉である。
戦後は、この「八紘一宇」は、「日本の侵略戦争を正当化した言葉」として批判されるが、もともとは決してそんな意味ではない。『日本書紀』の原文を読めばわかるように、これは即位式に集まったもろもろの氏族に対して、「これからは国じゅう一軒の家のように仲よくしていこう」という、長い戦争のあとの平和宣言なのである。
いまでは悪名高き「八紘一宇」であるが、しかし、これによって戦時中の日本が多くのユダヤ人を救ったことを忘れてはならない。
戦時中、日本とドイツは同盟関係にあったから、ドイツは日本に対してユダヤ人迫害政策に協力することを再三申し入れてきた。大切な同盟国からの要求だから、日本政府もこの問題を議論した。
首相、外務大臣、陸軍大臣、海軍大臣、大蔵(おおくら)大臣の五閣僚による、内閣のいちばん重要な会議であった五相(ごしょう)会議が開かれたが、その席上、時の陸軍大臣板垣征四郎(いたがきせいしろう)が、「神武天皇がこの国を開かれたとき、天皇は“八紘(はっこう)を掩(おお)いて宇(いえ)となさん”と仰せられた。ユダヤ人を迫害するのは神武天皇のお言葉に反する」と発言した。これによって、日本はドイツの協力要請を斥(しりぞ)けたのである。
これは日本の国是(こくぜ)になった。だから、のちにユダヤ人を助ける杉原千畝(すぎはらちうね)のような外交官も出てきたし、満蒙(まんもう)国境を越え、あるいはシベリア鉄道で逃げてきた大勢(おおぜい)のユダヤ人を助けた樋口季一郎(ひぐちきいちろう)少将のような軍人もいた。敦賀(つるが)港や舞鶴(まいづる)港では多くのユダヤ人難民を何度も受け入れ、「人道の港」と呼ばれた。これは、そもそも日本政府がユダヤ人を迫害しないと決めたからである。
神話だといってバカにしてはならない。二千六百年前に即位した初代天皇の言葉が生きていたのである。
私はこの事実を東京裁判所で訴えるべきだったと思う。戦争中に国の方針としてユダヤ人を迫害しないと決めた日本のような国はほかになかったのだし、A級戦犯とされた東條英機(とうじょうひでき)や板垣征四郎もユダヤ人を助けているのである。それを東京裁判のときに世界に宣伝するセンスが弁護団にあったら、世界中のユダヤ人から東京裁判反対の声があがったのではないか。何しろ、ユダヤ人を大量虐殺したナチスを裁くニュールンベルク裁判の正反対なのだから。そうすれば、東京裁判は中止された可能性もあったのではないかと私は想像する。
日本の神話はこうして二千六百年も日本の歴史に生きていたのだ。そして、「神武東征」のエピソードに登場する橿原神宮や竈山(かまやま)神社など、日本の神社が神話時代から続いていることからもわかるように、日本の現在の文化的遺産、つまり古代文化は、エジプトのピラミッドや古代ギリシャの神殿のような単なる遺跡ではなく、現在もなお生きている。つまり「生きもの」であることがその特徴なのである。