電脳筆写『 心超臨界 』

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( マルセル・プルースト )

読む年表 戦国~江戸 《 吉宗「享保の改革」―—渡部昇一 》

2024-07-29 | 04-歴史・文化・社会
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吉宗は綱吉に恩を感じ、間部詮房(まなべあきふさ)や新井白石ら家宣の重臣を幕府から一掃して、紀州から連れてきた家老三人を幕府の中心にした。つまりは吉宗の“親政”である。「享保の改革」の本質は、要するに白石の改革に対する反改革と言ってもよいものであり、六代・七代将軍の時代に行われた政策はすべてひっくり返された。


◆吉宗「享保の改革」

『読む年表 日本の歴史』
( 渡部昇一、ワック (2015/1/22)、p152 )

1716(享保元年)
吉宗「享保の改革」
白石の改革を否定した“将軍親政(しんせい)”の功罪

八代将軍・徳川吉宗ほど「運」に恵まれた人も珍しい。元来は紀州家の四男で、家督を継ぐ立場にはなかったが、五大将軍綱吉の引き立てにより越前丹生(にゆう)郡で3万石の小大名となり、その後、本家の紀州家を継いだ兄の死によって紀州侯となる。さらに、幼少の七大将軍家継が8歳で没すると、前将軍家宣の遺命(いめい)によって将軍の地位についた。

吉宗は綱吉に恩を感じ、間部詮房(まなべあきふさ)や新井白石ら家宣の重臣を幕府から一掃して、紀州から連れてきた家老三人を幕府の中心にした。つまりは吉宗の“親政”である。「享保の改革」の本質は、要するに白石の改革に対する反改革と言ってもよいものであり、六代・七代将軍の時代に行われた政策はすべてひっくり返された。

吉宗は武道を奨励し、風紀の乱れを厳しく取り締まった。およそ四十年前栄えた元禄風文化は、これで終わりを告げた。おかげで吉宗によって江戸城の風紀はよくなったようだ。たとえば吉宗は美人と言われた大奥の女性を五十人以上も城から下がらせたが、これはスキャンダルを防ぐためであった。七代将軍の生母月光院の侍女で大奥に力のあった絵島(えじま)が城外で役者と通じたり、吉原に遊びに行ったりしたことが問題となり、約七十人が死刑・流刑・追放に処された「絵島事件」と呼ばれるような不祥事が、吉宗の時代にはなくなったことは確かである。

経済政策としては、大名から1万石につき百石を献上させたり、新田開発をすすめたりしたので、約14年で幕府の財政を整理した。これは大成功であったが、しかし、米が増産されると米価が下がる。米を経済の基礎としている武士はそれでは困る。それで吉宗は「米の値段が上がるまでは借金を返す必要なし」ということにする。これは「徳政(とくせい)」と受け取られて、借金を返す者がなくなった。すると金を貸す人もなくなり、金融停止状態となって経済に大混乱が生ずることになった。

また、旗本・御家人と札差との間に金銭貸借に関する裁判が急増していたため、訴訟を取り上げず、当事者間の話し合いで解決させる相対済令(あいたいすましれい)が出された。これは旗本や御家人を救済する意味があった。だから、吉宗は武士たちのあいだで名君と呼ばれることにもなった。

もちろん、目安箱を設けたり、貧しい病人のために小石川養生所を作ったり、名将軍と呼ばれるに足ることも吉宗はたくさん行っている。南町奉行・大岡越前守忠助(ただすけ)の名裁判が伝説的に残るのもそのせいである。だが、江戸の町人からは享保の改革は必ずしも歓迎されなかった。

家宣の正室熙子(ひろこ)の父であった近衛基熙(もとひろ)は江戸の話を書き残している。そこには享保の改革について「江戸町中困窮。諸大名、小名、町中一つの新造の家もなく、すべて萱(かや)と茨(いばら)だけである」「政道不審(せいどうふしん)、諸氏恨みを含むの時なり」というような記述がある。
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