電脳筆写の記事の中からこれはと思うものを メルマガ『心超臨界』
にて配信しています。是非一度お立ち寄りください。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
★「トランプ外交」は危機の叫びだ――西尾幹二・評論家
【「正論」産経新聞 H30.06.08 】https://tinyurl.com/ybg67og3
★全国民監視システムの恐怖――石平さんhttps://tinyurl.com/y7oa9rz4
【「石平のChina Watch」産経新聞 H30.05.31 】
★政治嫌悪の高まり恐れよ――阿比留瑠比・論説委員兼政治部編集委員
【「阿比留瑠比の極言御免」産経新聞 H30.05.25 】https://tinyurl.com/y79pjo96
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
●幕末~維新の奇跡
国難を救った日本人の進取の気性
正論SP vol.3『産経教育委員会100の提言』https://tinyurl.com/yag2fb4p
【 産業経済新聞社、2018年05月、p80 】
1853年にペリーの黒船が来航したとき、仰天した日本人は開国を強要され、ついには不平等条約を結ばされたと言われます。しかし、果たしてそうした見方は正しく史実を反映しているのか、検討してみましょう。
じつは鎖国下にあってもオランダ商館長からの情報が日本にもたらされていたこともあって、黒船来航は知られていました。ですから、それほどまでには恐れはしなかった。
江戸の庶民にしても好奇心のほうが強かったのです。にもかかわらず、ペリー艦隊の浦賀沖停泊後しばらくして驚天動地に陥りました。それは艦隊が測量のために二度にわたって江戸湾に侵入したからです。
とりわげ、二度目は江戸の食糧集積地である品川まで接近したため、恐怖はピークに達します。
これには理由がありました。じつは蒸気船に備えられている大砲が新式の「ペグザン砲」だったからです。それまで軍船には、誤爆しやすい火薬入り砲弾を発射する大砲は使用されることはありませんでした。ところが、安全に飛ばせる大砲が開発された。これを開発者の名前をとってペグザン砲というのです。
その新式大砲がかりに品川近くから発射されると江戸城も周辺地域も火の海になることが必定です。だから一気に恐怖が高まったのです。つまり、最新の情報を知っていたが故に恐怖が襲ったということになります。
その証拠はペリー側の公式記録『ペルリ提督日本遠征記』(岩波文庫)に記録されています。交渉に当たった浦賀奉行所の役人が黒船の甲板上で新式大砲を認めるや、近づいて「これはペグザン砲ですね」と口にしたといいます。
◆幕末日本人の「進取の気性」
では、幕末の日本人はどのようにして、こうした最新情報を手に入れたのでしょうか。実はペリー来航のしばらく前のこと、長州の萩から無名の若者が平戸・長崎に遊学に出ていました。
若者はのちに有名になる吉田松陰でした。松陰は平戸で地元の学者から本を借りて猛烈な勢いで読破していきます。そのなかにアヘン戦争に敗れた清国によって編まれた、欧米の情報を集めた『海国図志』がありました。
この貴重な書物をじつは清国よりも日本人が熱心に読んだのです。その一人が若き日の吉田松陰でした。読んでペグザン砲や蒸気船の特徴を知るのです。
ですから、浦賀の役人が知っていても不思議ではありません。日本が苛烈な国際政治のパワーゲームの中で独立を守り得た稀有の要因は、ここに見られるような幕末日本人の進取の気性にあったのです。
( 占部賢志 )
にて配信しています。是非一度お立ち寄りください。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
★「トランプ外交」は危機の叫びだ――西尾幹二・評論家
【「正論」産経新聞 H30.06.08 】https://tinyurl.com/ybg67og3
★全国民監視システムの恐怖――石平さんhttps://tinyurl.com/y7oa9rz4
【「石平のChina Watch」産経新聞 H30.05.31 】
★政治嫌悪の高まり恐れよ――阿比留瑠比・論説委員兼政治部編集委員
【「阿比留瑠比の極言御免」産経新聞 H30.05.25 】https://tinyurl.com/y79pjo96
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
●幕末~維新の奇跡
国難を救った日本人の進取の気性
正論SP vol.3『産経教育委員会100の提言』https://tinyurl.com/yag2fb4p
【 産業経済新聞社、2018年05月、p80 】
1853年にペリーの黒船が来航したとき、仰天した日本人は開国を強要され、ついには不平等条約を結ばされたと言われます。しかし、果たしてそうした見方は正しく史実を反映しているのか、検討してみましょう。
じつは鎖国下にあってもオランダ商館長からの情報が日本にもたらされていたこともあって、黒船来航は知られていました。ですから、それほどまでには恐れはしなかった。
江戸の庶民にしても好奇心のほうが強かったのです。にもかかわらず、ペリー艦隊の浦賀沖停泊後しばらくして驚天動地に陥りました。それは艦隊が測量のために二度にわたって江戸湾に侵入したからです。
とりわげ、二度目は江戸の食糧集積地である品川まで接近したため、恐怖はピークに達します。
これには理由がありました。じつは蒸気船に備えられている大砲が新式の「ペグザン砲」だったからです。それまで軍船には、誤爆しやすい火薬入り砲弾を発射する大砲は使用されることはありませんでした。ところが、安全に飛ばせる大砲が開発された。これを開発者の名前をとってペグザン砲というのです。
その新式大砲がかりに品川近くから発射されると江戸城も周辺地域も火の海になることが必定です。だから一気に恐怖が高まったのです。つまり、最新の情報を知っていたが故に恐怖が襲ったということになります。
その証拠はペリー側の公式記録『ペルリ提督日本遠征記』(岩波文庫)に記録されています。交渉に当たった浦賀奉行所の役人が黒船の甲板上で新式大砲を認めるや、近づいて「これはペグザン砲ですね」と口にしたといいます。
◆幕末日本人の「進取の気性」
では、幕末の日本人はどのようにして、こうした最新情報を手に入れたのでしょうか。実はペリー来航のしばらく前のこと、長州の萩から無名の若者が平戸・長崎に遊学に出ていました。
若者はのちに有名になる吉田松陰でした。松陰は平戸で地元の学者から本を借りて猛烈な勢いで読破していきます。そのなかにアヘン戦争に敗れた清国によって編まれた、欧米の情報を集めた『海国図志』がありました。
この貴重な書物をじつは清国よりも日本人が熱心に読んだのです。その一人が若き日の吉田松陰でした。読んでペグザン砲や蒸気船の特徴を知るのです。
ですから、浦賀の役人が知っていても不思議ではありません。日本が苛烈な国際政治のパワーゲームの中で独立を守り得た稀有の要因は、ここに見られるような幕末日本人の進取の気性にあったのです。
( 占部賢志 )