電脳筆写『 心超臨界 』

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( セネカ )

不都合な真実 歴史編 《 スターリンの呪縛——福井義高 》

2024-07-06 | 04-歴史・文化・社会
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保守言論人がしばしば用いる「ファシズム中国」という表現は、思想言論の世界におけるスターリンの呪縛の強さを示す例と言える。「ファシズム」という言葉が、一定の時代と場所で生じた現象である、イタリア・ファシズム、あるいはドイツ・ナチズムとは無関係の、単に「巨悪」を指す罵倒語になっている。「ファシズム=絶対悪」という、まさに人民戦線公式と同じ発想である。連合国史観に異を唱える我が国保守言論人も、反ファシズム史観と同じ世界観、すなわちスターリンの呪縛から完全に自由ではないのだ。


◆スターリンの呪縛

『日本人が知らない最先端の「世界史」』
( 福井義高、祥伝社 (2016/6/30)、p129 )

朝日新聞が、かつて大々的に展開した慰安婦強制連行報道を、自ら虚偽と認めたにもかかわらず、なぜ米国の大手出版社が発行する歴史教科書の慰安婦に関する記述が修正されず、逆に教科書執筆者たちのみならず、米国主流メディアが日本側の修正要求を非難するのか。

中韓両国による反日宣伝活動がある程度影響を与えているにしても、それが主因とはいえない。背後にあるのは、もっと大きな「物語」、今日にまで続く思想言論の世界におけるスターリンの呪縛である。

スターリンは1930年代、ヒトラー率いるナチス・ドイツ台頭を受け、それまでの「社会主義対資本主義」という対立軸を表向き引っ込めて、「民主主義対ファシズム」という公式に基づく人民戦線路線を掲げ、英米仏との共闘を基本方針とする。この方針は1935年のコミンテルン第7回大会で正式に打ち出され、各国の共産主義者は、それまで敵視してきた社会民主主義者や自由主義者と、同じ「民主主義者」として共闘することを命じられた。

この公式においては、ソ連共産主義体制は民主主義陣営に含まれ、反共産主義は反民主主義すなわちファシズムと等値とされる。独ソ不可侵条約で一旦放棄されたこの公式は、独ソ開戦後に再び復活し、最終的には、勝者敗者を問わず、世界的に認められた第二次大戦正統史観(連合国史観)である「反ファシズム史観」のバックボーンとなった。第一次大戦後、10年も経たないうちに敗戦国ドイツは国際連盟の常任理事国に迎え入れられた。しかるに、第二次大戦後、国際連合の安全保障常任理事国の顔ぶれは、旧連合国の5ヵ国のまま、70年経った今も変わっていない。

ただし、冷戦初期の東西対立が激しかった時代には、とくに米国では過去の歴史の「反省」を敗戦国に要求するよりも、現実の脅威であるソ連に対処すべく、反ソ反共が前面に押し出された。とはいえ、絶対悪はあくまでもナチス・ドイツであって、米国がソ連とともに戦ったこと自体が否定的に評価されたわけではない。さらに、米ソ間の緊張緩和とともに、日独が著しい復興を遂げたことで、反ファシズム史観に基づき、日独を歴史認識において圧迫する動きは、むしろ1970年代以降に顕著となり、ソ連崩壊後はさらに強まっている。

スターリンに端を発する「民主主義=反・反共産主義=反ファシズム」という現代リベラルの公式は、冷戦後、むしろ純化されたと言える。

朝日新聞が慰安婦強制連行報道を虚偽と認めたからといって、残念ながら、反ファシズム史観の重要な構成要素である「邪悪な日本」像にもってこいの慰安婦「性奴隷物語」が、少なくとも当分は歴史的事実であるかのように扱われることを覚悟しておいたほうがよい。

そもそも、左右を問わず、ファシズムと言った場合、もっぱら念頭にあるのは、本家イタリアのファシズムではなく、ドイツのナチズム(国家社会主義)であり、それは当時も今も変わらない。しかし、ヒトラー政権はナチズムとファシズムの違いを強調し、自らをファシストと呼んだことはない。

実際、その政治思想・体制の両面でナチス・ドイツに最も近いのは、ファシスト・イタリアではなく、スターリン独裁下のソ連であろう。ナチズム研究の第一人者エルンスト・ノルテとフランス革命研究の泰斗フランソワ・フュレとの往復書簡集のタイトルどおり、ナチズムとスターリニズムはまさに「敵対的近親関係」(feindliche Nahe)にあった。フランス新右派(Nouvelle Droite)の論客アラン・ド・ブノワが言うように、スターリンが作り出した人民戦線の枠組みの下、安易に「ファシズム」あるいは「反ファシズム」という言葉を使うのは、知らず知らずのうちに「スターリン語」(langue de Staline)を話しているのであって(『共産主義とファシズム』)、稀代(きたい)の共産主義革命家スターリンの術中に陥ることを意味する。

対立する相手を見境なくファシスト呼ばわりするのは、リベラルの専売特許ではない。たとえば、リベラルの天敵(?)産経新聞にも「禁煙ファシズム」という表現が登場する(2015年1月30日付「金曜討論」)。

このような例は、他愛無いものとして笑って済ませるべきかもしれない。しかし、保守言論人がしばしば用いる「ファシズム中国」という表現は、思想言論の世界におけるスターリンの呪縛の強さを示す例と言える。「ファシズム」という言葉が、一定の時代と場所で生じた現象である、イタリア・ファシズム、あるいはドイツ・ナチズムとは無関係の、単に「巨悪」を指す罵倒語になっている。「ファシズム=絶対悪」という、まさに人民戦線公式と同じ発想である。連合国史観に異を唱える我が国保守言論人も、反ファシズム史観と同じ世界観、すなわちスターリンの呪縛から完全に自由ではないのだ。
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