メモです。。。
京都新聞記事「実作教室(短歌)」《河野裕子先生からの最後のメッセージ》
http://nochino.exblog.jp/14961374/
(以下、転載させて頂きます。)
実作教室(短歌)・河野裕子
(2010年8月16日付京都新聞掲載)
私の病状を考えると、この「実作教室」を書かせていただくのはこれが最後になると思います。
投稿をされている方にとっては、自分の歌が採用されて紙面に載るかどうかは一大事で、そのことによって励まされたり、落胆したりの繰り返しであることはよくわかります。
けれども選歌に採用されるかどうかは、あくまで相対的なものとお考えください。一週に選べる歌の数は決まっており、、たまたまその週に秀歌が多ければ選に漏れることもあります。落ちたからといって、その歌そのものに価値がないというわけでは決してありません。掲載された歌ばかりでなく、落ちた歌もぜひご自分のノートに保存し、作歌の記録として残してください。歌は歳月の濃淡をくっきりと際立たせてくれるものです。
作歌という行為は、何よりも持続が大切だと、この頃(ごろ)身に浸みて思わないではいられません。私はもう五十年近くも歌を作り続けてきましたが、歌を作ることによって自分という存在があったのだということを強く感じるようになってきました。どんな時にも、どうぞ作り続けてください。最後にこのメッセージを皆様にお伝えしたいと思います。(了)
京都新聞記事「実作教室(短歌)」《河野裕子先生からの最後のメッセージ》
http://nochino.exblog.jp/14961374/
(以下、転載させて頂きます。)
実作教室(短歌)・河野裕子
(2010年8月16日付京都新聞掲載)
私の病状を考えると、この「実作教室」を書かせていただくのはこれが最後になると思います。
投稿をされている方にとっては、自分の歌が採用されて紙面に載るかどうかは一大事で、そのことによって励まされたり、落胆したりの繰り返しであることはよくわかります。
けれども選歌に採用されるかどうかは、あくまで相対的なものとお考えください。一週に選べる歌の数は決まっており、、たまたまその週に秀歌が多ければ選に漏れることもあります。落ちたからといって、その歌そのものに価値がないというわけでは決してありません。掲載された歌ばかりでなく、落ちた歌もぜひご自分のノートに保存し、作歌の記録として残してください。歌は歳月の濃淡をくっきりと際立たせてくれるものです。
作歌という行為は、何よりも持続が大切だと、この頃(ごろ)身に浸みて思わないではいられません。私はもう五十年近くも歌を作り続けてきましたが、歌を作ることによって自分という存在があったのだということを強く感じるようになってきました。どんな時にも、どうぞ作り続けてください。最後にこのメッセージを皆様にお伝えしたいと思います。(了)